第98話 決定的な一撃
補給拠点への奇襲作戦から、半月が過ぎていた。
敵軍の撤退は、レオンたちの予想以上の速さで進んでいた。
「敵、国境付近まで、後退を続けています」
偵察部隊からの、連日の報告に、前線本部には、これまでにない、高揚した空気が、漂い始めていた。
「このまま、一気に、押し込むべきではないか」
前線の、若い指揮官の一人が、そう主張した。会議の場には、同様の、積極的な攻勢を求める声が、次第に、強まっていった。
レオンは、この流れに、一抹の不安を覚えていた。
「少し、待ってください」レオンは、発言を求めた。「敵の撤退、確かに、大きな戦果です。ですが、この勢いのまま、追撃を続けることには、慎重であるべきだと考えます」
「なぜだ。敵は、明らかに、弱っているじゃないか」
「南方戦線で、同じような状況を、経験しました」レオンは、落ち着いて説明した。「勝っている時こそ、補給線が、伸びきる危険があります。無理な追撃は、せっかくの勝利を、台無しにしかねません」
この慎重な意見に、アレクシスも、同調した。
「ヴァイス殿の指摘、重要だ」アレクシスは言った。「ここで、浮かれて、無理をすれば、これまでの犠牲が、無駄になりかねない」
前線指揮官は、しばらく、考え込んだ後、頷いた。
「分かった。慎重に、進軍を進めよう」
この慎重な方針の下、帝国軍は、着実に、しかし、無理のない形で、追撃を進めていった。レオンは、常に、補給線の状況を、精密に計算しながら、進軍の速度を、調整し続けた。
「ここまでなら、補給は、十分に、維持できる」レオンは、地図上に、安全な進軍限界線を、示しながら言った。「これ以上は、一旦、態勢を整える必要がある」
この、慎重かつ着実な戦略により、帝国軍は、大きな消耗を避けながら、確実に、戦果を積み重ねていった。
一ヶ月後、帝国軍は、ついに、国境を越え、リュネス帝国領内の、重要な拠点都市の一つを、制圧することに成功した。
「ついに、ここまで、来たか」
制圧された都市を前に、アレクシスが、感慨深げに言った。
「南方戦線とは、違う形の、勝利だな」レオンも、静かに、これまでの道のりを、振り返っていた。
この勝利は、すぐに、帝都へと報告され、宮廷内でも、大きな反響を呼んだ。
「帝国軍、リュネス帝国に対して、決定的な優位を、確立」
そうした報告が、帝都の軍務省を通じて、皇帝のもとへと、届けられることになった。
そして、この戦果を受けて、前線のレオンとアレクシスのもとに、思いがけない、皇帝からの、直接の勅使が、訪れることになった。
「皇帝陛下より、両名への、直々のお言葉を、お伝えする」
勅使の、その重々しい言葉に、レオンとアレクシスは、緊張しながら、耳を傾けた。
「此度の、両名の功績、高く評価する。そして——」勅使は、続けた。「この機を逃さず、さらなる進軍を、命じる」
その言葉に、レオンは、強い戸惑いを覚えた。
「さらなる進軍、というのは——」
「リュネス帝国の、さらなる弱体化を、図るための、積極的な攻勢だ」勅使は、淡々と、しかし、明確に、伝えた。「敵が、この機に乗じて、体制を立て直す前に、決定的な打撃を、与えるべきである、というのが、皇帝陛下のご判断だ」
レオンは、この命令に、これまでの、慎重な戦略とは、まったく異なる方向性を、感じ取っていた。
「……敵は、すでに、大きく、後退しています」レオンは、慎重に、言葉を選びながら言った。「これ以上の進軍は、補給線の限界を、超える危険があります」
「陛下の、ご意志は、変わらない」勅使は、はっきりと言った。「速やかな、進軍継続を、求める」
レオンは、その言葉に、深い動揺を覚えた。これまで、慎重に、積み重ねてきた、勝利——それを、さらに拡大しようとする、皇帝の判断。だが、それは、レオンが、これまでの戦いで、学んできた教訓と、真っ向から、対立するものだった。
勅使が去った後、レオンは、重い沈黙の中、アレクシスと向き合っていた。
「……どう思う」レオンは、ようやく、口を開いた。
「皇帝陛下の、お考えも、理解はできる」アレクシスは、慎重に言った。「敵が、弱っている今のうちに、決定的な優位を、確立しておきたい——それは、安全保障上、合理的な判断でもある」
「だが——」
「だが、お前の懸念も、正しい」アレクシスは、続けた。「補給の限界を超えた進軍は、これまでの、すべての成果を、無駄にしかねない」
レオンは、これまでの、長い戦いの中で、積み重ねてきた、すべての経験——南方戦線での、無謀な大攻勢、そして、それがもたらした、悲惨な結果——それらを、改めて、思い起こしていた。
(この命令に、従うべきなのか——)
東方の空の下、レオンは、これまでの戦いの中で、最も重く、そして、最も困難な、岐路に立たされようとしていた。
皇帝からの命令と、自らの信念——その間で、レオンは、これから、どのような決断を下すことになるのか。
物語は、いよいよ、その最大の対立点へと、近づいていた。




