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豪商生まれのただの平民士官【帝国改革記】  作者: 橘秀斗
帝都・改革編

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第99話 進むべきか

 勅使が去った後、前線本部には、重苦しい沈黙が、長く、漂っていた。


「このまま、命令に、従うしかないのか」


 若い指揮官の一人が、不安げに、そう漏らした。


「待て」レオンは、改めて、地図を広げながら、冷静に、状況を整理し始めた。「感情的に、結論を急ぐ前に、まず、現実的に、何が可能で、何が危険なのか——それを、正確に、把握する必要がある」


 レオンは、これまでの補給データ、そして、現在の部隊の状態を、改めて、精査していった。


「現状の補給能力で、どこまで、進軍できる?」アレクシスが、尋ねた。


「……ぎりぎり、次の拠点都市までなら、何とか、持ちこたえられるかもしれない」レオンは、慎重に、計算結果を示した。「だが、そこから、さらに進むとなれば——」


「限界を、超える、ということか」


「ああ」レオンは、重く頷いた。「南方戦線での、大攻勢と、まったく同じ構図だ。勝っている勢いに任せて、補給の限界を、無視した進軍——その先に、何が待っているか、俺たちは、すでに、知っているはずだ」


 アレクシスは、しばらく、沈黙した後、口を開いた。


「皇帝陛下に、改めて、進言すべきだと思う」アレクシスは言った。「現状の、正確な補給状況を、お伝えし、ご判断を、改めて、仰ぐべきだ」


「それで、陛下の、お考えが、変わると思うか」


「分からない」アレクシスは、正直に答えた。「だが、何も言わずに、無謀な進軍を続けるよりは、はるかに、良い」


 レオンは、その言葉に、頷いた。これまでの、長い戦いの中で、レオンとアレクシスは、常に、正しいと信じることを、正直に、伝え続けてきた。その姿勢を、ここで、曲げるわけにはいかなかった。


 二人は、改めて、詳細な補給状況の報告書を、まとめ上げ、帝都へと、送ることにした。


 『皇帝陛下


 此度の、進軍継続のご命令について、現場の実情を、ご報告申し上げます。


 現在の補給能力では、次の拠点都市までの進軍が、限界です。それ以上の進軍は、補給線の崩壊、そして、部隊の壊滅的な消耗を、招く危険性が、極めて高いと、判断いたします。


 南方戦線での、過去の教訓——進軍の勢いに任せた、無理な攻勢が、いかに、大きな犠牲を、生むか——それを、改めて、ご考慮いただければと、存じます。


 現状を鑑みるに、ここで一旦、態勢を整え、確実な勝利の成果を、固めることが、長期的に見て、帝国にとって、より有益であると、進言いたします』


 この報告書を送った後、レオンとアレクシスは、不安な気持ちを抱えながら、返答を待つことになった。


 数日後、返答が届いた。だが、それは、レオンが、期待していたものとは、違うものだった。


 『皇帝陛下は、現場の懸念を、理解した上で、なお、進軍継続の、ご意志を、変えられない。敵が、弱体化している今こそ、決定的な勝利を、収めるべきであるとの、ご判断である』


 レオンは、この返答に、強い衝撃を受けた。


「……陛下は、お考えを、変えられないのか」


「そのようだ」アレクシスも、険しい表情を浮かべていた。


 レオンは、これまでの、皇帝との、謁見での会話を、改めて、思い起こしていた。「軍を強くすることと、戦争を減らすこと」——あの問いを投げかけた、皇帝その人が、今、現場の懸念を、押し切ってまで、積極的な進軍を、命じている。


「皇帝陛下は、何を、考えておられるんだろうな」レオンは、思わず、そう漏らした。


「おそらく——」アレクシスは、慎重に、言葉を選びながら言った。「敵国が、この機に乗じて、再び、力を蓄える前に、決定的な優位を、確立しておきたいんだろう。それは、安全保障上、理解できる、判断でもある」


「だが、その判断が、俺たちの経験と、真っ向から、対立している」


「ああ」


 レオンは、深く、息を吐いた。これまでの、長い戦いの中で、様々な困難に、向き合ってきた。だが、今、目の前にある、この問題——皇帝の、明確な命令と、現場の、切実な懸念との、対立——それは、これまでの、どの困難とも、異なる、重さを持っていた。


「アレクシス、お前は、どうするつもりだ」レオンは、改めて、尋ねた。


 アレクシスは、しばらくの沈黙の後、重い声で、言った。


「正直、まだ、結論は、出ていない」アレクシスは、言った。「貴族として、軍人として、皇帝陛下への、忠誠は、私の、根本にある価値観だ。だが——」


「だが?」


「兵士たちを、無謀な死地へ、送り込むことも、私には、できない」


 レオンは、その言葉に、静かに頷いた。士官学校時代から、南方戦線を経て、ここまで積み重ねてきた、アレクシスとの絆——それが、今、この、極めて重い問いの前で、改めて、試されようとしていた。


 東方の空の下、レオンとアレクシスは、これまでの、すべての経験と信念を賭けた、最大の決断に、向き合い始めていた。


 皇帝の命令に従うのか、それとも——


 その答えは、まだ、二人の中にも、見出されていなかった。

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