第7話 数字にならないもの
兵站学の授業で、教官から新しい演習課題が発表された。
「今回は、部隊への物資補給計画を立ててもらう」
担当はガレスではなく、兵站学を専門とする初老の教官だった。眼鏡の奥の目が、いかにも几帳面そうな印象を与える。
「想定は、五百名の部隊が三日間の行軍を行い、その後七日間の駐屯戦を行う場合の必要物資量。各自、計画書を提出するように」
教室内がざわついた。多くの学生にとって、兵站学は座学の中でも退屈な部類に入る科目だった。
「兵士五百人、食料は一人一日どれくらいだったか……」
「馬の分も計算しないとな」
周囲の学生たちが計算に頭を悩ませる中、レオンは早々に筆を走らせていた。
(五百人、一日の食料は穀物換算で大体これくらい。水は行軍中の消費量が変わるから、地形と気温を加味して……荷車一台の積載量は……)
実家の商会で、何百回と繰り返してきた計算だった。父の下で、軍への物資納入の帳簿をつけていた経験が、そのまま活きる場面だった。
しかし、レオンの計算は他の学生よりも一段階先を行っていた。
(荷車を引く馬にも飼料が要る。馬が疲弊すれば速度が落ちる。荷車が壊れれば修理の人員と時間が要る。道が悪ければ、そもそも予定通りの日数で到着できない)
(それに——)
レオンは自分の計画書に、他の学生が触れないであろう項目を書き加えていった。
物資の「損耗率」。輸送中に雨に濡れて使えなくなる食料。荷車の車軸が折れる確率。護衛が必要な区間での遅延。
「これでよし」
完成した計画書は、他の学生の何倍も分厚いものになっていた。
提出された計画書を確認した教官は、レオンのものを見て眉を上げた。
「……ヴァイス、これは詳細すぎるくらいだが、良く書けている。損耗率まで計算に入れているのは、この教室では君だけだ」
「実家が商売柄、荷が傷むことにはうるさかったので」
「なるほどな」
教官はレオンの計画書を、他の学生に見せるためにも読み上げ始めた。
「ここを見てみろ。荷車一台あたりの積載量から、必要な荷車の台数、それを引く馬の頭数、さらにその馬の飼料まで計算に入れている。これが本来の兵站計画だ」
教室内から感心の声が漏れる中、ガレスが授業の様子を見学するために教室の隅に立っていた。彼はレオンの計画書に、少し違う視点で目を向けていた。
放課後、ガレスがレオンを呼び止めた。
「お前の計画書、面白かったぞ」
「ありがとうございます」
「だが」ガレスは続けた。「一つ、聞きたいことがある」
「何でしょうか」
「その計画書通りに物資を運ぶ荷車引きたちが、お前の計算通りに動くと思うか?」
レオンは一瞬、言葉に詰まった。前回の模擬戦での敗北が、頭をよぎった。
「……動かない可能性がある、ということですか」
「例えばだ」ガレスは腕を組んだ。「荷車引きの中には、危険な区間に差し掛かると、勝手に速度を落とす者がいる。護衛の兵士が足りないと感じれば、荷を置いて逃げ出す者もいる。お前の計算には、そうした『人間の判断』が入っていない」
「……」
「数字は正しい。だが、数字通りに人が動くとは限らない。それを前提にした計画を立てられて、初めて実戦で使える兵站計画になる」
レオンは黙って考え込んだ。前回の模擬戦での教訓——「作戦の正しさと、実行できることは別問題」——が、ここでも繰り返されていた。
「では、どうすればいいんでしょうか」
「簡単な話じゃない」ガレスは正直に言った。「だが、一つ言えるのは——数字だけを見ている限り、この壁は超えられないということだ。お前は、荷車を動かす人間の心理まで、考えたことがあるか?」
「……ないです」
「なら、それを考えろ。お前の父親は、商人としてどうやって荷車引きたちを働かせていた?」
レオンは記憶を辿った。父グランは、厳しい男だったが、荷車引きたちとの関係は決して悪くなかった。
「……給金は他より少し多く払っていました。それと、危険な区間には必ず護衛をつけて、荷車引きたちに『お前らを見捨てない』という姿勢を見せていた、と思います」
「それだ」ガレスは頷いた。「数字の裏には、必ず人がいる。お前が持っている商人としての感覚は、そこに気づく土台になる。だが、まだ完全には活かせていない」
その夜、レオンは自室で、昼間の計画書を見返していた。
完璧だと思っていた計算の中に、抜け落ちていたものがある。数字の外側にある、人間の判断、感情、信頼——それらを、どう計算に組み込めばいいのか。
「……親父は、こういうことを分かってて、俺に教えてたのか?」
厳しかった父の言葉の数々が、今になって違った意味を持ち始めていた。
「数字を間違えるな」
「客の命を預かっていると思え」
単なる商人としての心構えだと思っていた言葉が、実は戦場にも通じる教訓だったのかもしれない。
レオンはノートに新しい項目を書き加えた。
『物資の計算だけでなく、それを運ぶ人間の心理を計算に入れる』
まだ答えは出ていない。だが、少しずつ、見えてくるものがあった。




