第6話 計算の外側
翌朝、レオンは戦術学の授業に向かう足取りが重かった。
昨日の敗北が、頭から離れない。作戦は正しかったはずだ。それなのに負けた——その事実が、どうしても納得できずにいた。
「よう、辛気臭い顔してんな」
トーマが背中を叩いてきた。
「悪いか」
「悪いとは言わないけどよ。昨日の演習、俺も見てたぞ。お前の作戦、正直すごかったと思うけどな」
「結果は負けた」
「結果は、な」
教室に入ると、戦術教官のガレス・クロウがすでに教壇に立っていた。恰幅は良くないが、目つきは鋭い。元帝国軍人という経歴が、その佇まいからも伝わってくる。
「昨日の演習について話す」
ガレスの言葉に、教室の空気が張り詰めた。全員、レオンとアレクシスの模擬戦の話だと理解していた。
「東軍の指揮官、レオン・ヴァイス」
「はい」
「お前の作戦を、黒板に書いてみろ」
レオンは前に出て、地形図を描き、迂回路、補給地点の位置、攻撃の流れを説明した。話し終えると、教室内からもいくつか感嘆の声が漏れた。座学だけを見れば、非常に精緻な作戦だった。
「よくできている」ガレスは頷いた。「地形の読み、補給線への着目、いずれも士官候補生としては優秀な発想だ」
「……ですが、負けました」
「そうだな」
ガレスは黒板の作戦図を、じっと見つめた。
「お前の作戦には、一つ足りないものがある。分かるか?」
レオンは考えた。地形、距離、補給、兵力配分——すべて計算した。何が足りなかったのか。
「……分かりません」
「『人間』だ」
ガレスの一言に、教室が静まり返った。
「お前は敵の動きを完璧に読んだ。だが、味方が完璧に命令通りに動くと思い込んでいた。防衛部隊の一部が持ち場を離れたのは知っているな?」
「はい」
「なぜ離れたと思う?」
レオンは黙り込んだ。考えたこともなかった。
「命令を、聞かなかったからです」
「それは結果だ。理由を聞いている」
教室内の視線が、レオンに集まっていた。答えを探して、レオンは記憶を辿った。防衛部隊に指示を出したときの、彼らの反応——
「……納得していなかった、からだと思います。俺が、迂回作戦の理由を十分に説明しなかった。だから、目の前で本陣が攻められそうになったとき、彼らは俺の指示より自分の判断を優先した」
「そうだ」ガレスは頷いた。「お前の作戦そのものは間違っていない。だが、お前は『なぜその作戦が正しいのか』を、部下に納得させなかった。頭では理解していても、心が納得していない兵士は、いざという時に勝手に動く」
レオンは拳を握りしめた。
「戦場では、お前の計算通りに敵が動くとは限らない。それどころか、味方すら計算通りに動くとは限らない」ガレスは教室全体を見渡しながら続けた。「これは、レオンだけの話じゃない。お前たち全員が覚えておくべきことだ。作戦とは、紙の上で完結するものではない」
授業が終わった後、レオンは一人、演習場の脇に立って考え込んでいた。
「……人間、か」
これまでレオンは、兵站や物資、地形といった「数字にできるもの」を武器にしてきた。だがガレスの指摘は、その先——数字にならないものの重要性を突きつけていた。
「難しい顔してるな」
声をかけてきたのは、意外にもアレクシスだった。
「お前か。……昨日の勝ち方、あれは最初から見抜いてたのか? 俺が迂回して補給を断とうとすることを」
「完全に見抜いていたわけではない」アレクシスは正直に答えた。「ただ、君の性格から考えて、正面からの力押しを選ぶとは思えなかった。だから、迂回されることを前提に、本隊を温存する作戦を立てた」
「……性格の読み合いか」
「戦とは、結局そういうものだ」アレクシスは静かに言った。「地形や兵站は重要な要素だ。だが、それを動かすのは人間だ。敵の性格、味方の士気、指揮官への信頼——それらすべてが、勝敗に関わってくる」
レオンは黙って聞いていた。悔しいが、否定する材料がなかった。
「一つ聞いていいか」レオンは言った。「お前は、どうやって兵を納得させる?」
「簡単なことだ」アレクシスは答えた。「命令を出す前に、なぜその命令が必要なのかを、相手が理解できる言葉で説明する。そして、指揮官自身が、部下から信頼されていること。技術だけでは、人は動かない」
(信頼、か)
レオンにとって、それは今まであまり意識してこなかった要素だった。作戦の正しさこそがすべてだと思っていた。だが実際には、その作戦を実行する「人」がいて、その人が納得していなければ、どんなに優れた計画も紙の上のものでしかない。
「……次は、負けない」
レオンは呟いた。アレクシスはそれを聞いて、わずかに口角を上げた。
「楽しみにしている」
その夜、レオンは自室で日記代わりのノートに、今日学んだことを書き記した。
『作戦の正しさと、それを実行できることは別問題。人を納得させる力が要る』
ペンを置いて、レオンは窓の外を見た。夜空に星が瞬いている。
(正しい答えを出すだけじゃ、足りないんだな)
この気づきが、レオンにとって士官学校編を通じた最初の大きな転換点になった。




