第5話 初めての模擬戦
入学から二週間が過ぎた頃、士官学校で最初の大規模な部隊演習が行われることになった。
「部隊演習?」
朝礼でその発表を聞いたレオンは、思わず声を漏らした。
「ああ」トーマが隣で頷く。「学年全体を二つの陣営に分けて、模擬戦をやるんだと。指揮を執る学生も、くじで決まるらしい」
掲示板に張り出された組分け表を確認しに行くと、レオンの名前は「東軍」の指揮官の一人として記載されていた。そしてもう一つ、目を引く名前があった。
「西軍指揮官、アレクシス・フォン・レーヴェン、か」
偶然にしては出来すぎている、とレオンは思った。だが実際には単なるくじの結果らしい。掲示板の前で、レオンとアレクシスの視線が一瞬交差した。
「面白い巡り合わせだな」アレクシスが言った。
「そう思うなら、手加減はなしだ」
「望むところだ」
演習は三日後。舞台となるのは学校近郊の演習場——丘陵地帯と森林が入り混じる、実際の戦場を模した地形だった。
その日から、レオンは演習場の地図を借り出し、自室にこもって作戦を練り始めた。
「兵站を重視して作戦を組め、って教官は言ってたな」
トーマの言葉に、レオンは地図を見つめながら頷いた。
「言われるまでもない」
演習のルールは単純だった。両軍とも百名程度の学生部隊を率い、それぞれの陣地を守りながら、相手の本陣を落とせば勝利。制限時間は半日。
レオンは地形図を睨みながら、頭の中で計算を組み立てていった。
(西軍の本陣は、あの丘の向こう。直線距離なら近いが、間に沢がある。正面から突っ込めば、渡河に時間を取られて士気が落ちる)
(迂回路は北側。距離は遠いが、地面が固く、行軍速度を落とさずに済む)
(それに——)
レオンは地図の一点を指でなぞった。
(西軍の補給地点は、おそらくここだ。本陣から離れた場所に設置される可能性が高い。実戦なら当然、集中を避けて分散配置するはずだからな)
演習前夜、レオンは自分の作戦をほぼ完成させていた。
北から迂回して補給線を断ち、西軍の行動力を削いだ上で、本陣を突く。正面からの力押しではなく、相手の体力を奪う戦い方。
(これなら、兵力で劣っていても勝てる)
自信を持って、レオンは眠りについた。
演習当日。東軍の陣地に集まった百名の学生たちを前に、レオンは作戦を説明した。
「北側に迂回部隊を出す。地形が固く、行軍速度を落とさずに済む。西軍の補給地点を叩いてから、本陣を突く」
説明を聞いた学生たちの反応は、芳しいものではなかった。
「迂回? そんな回りくどいことをせず、正面から力で押せばいいだろう」
「補給地点を叩く? そんなもの、後回しでいい。まずは本陣だ」
声を上げたのは、貴族出身の学生たちだった。彼らにとって「戦」とは、正面からぶつかり合うものという固定観念が強い。
「時間がかかっても、それが確実に勝てる方法だ」レオンは説明を重ねた。「補給を断てば、西軍は動けなくなる。動けない相手を叩くのは簡単だ」
「そんな悠長なことをして、指揮官としての面目が立つと思っているのか」
反発の声が続いた。レオンは苛立ちを抑えながら、なんとか説得を試みたが、完全な納得は得られないまま、演習開始の合図が鳴った。
「……仕方ない。北側の迂回部隊、予定通り動いてくれ」
レオンは半数の学生を率いて北へ向かった。残りは陣地防衛に残した。
作戦通り、迂回部隊は地形の固い北ルートを進み、行軍速度を維持したまま西軍の側面に回り込んだ。予測していた通り、補給地点も発見できた。
「よし、予定通りだ」
レオンは内心でほくそ笑んだ。この時点では、作戦は完璧に機能しているように見えた。
だが——。
「なんだあれは」
補給地点への攻撃を終え、本陣への進軍を命じたその時だった。伝令役の学生が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「レオン、報告です! 東軍本陣が、西軍の攻撃を受けています!」
「は? 本陣防衛は十分な兵力を残してきたはずだが」
「それが……西軍が、正面から一気に本陣を狙ってきていて」
レオンは地図を広げた。
(西軍が、迂回もせず本陣を直接狙う……? そんな単純な手を——)
その瞬間、レオンは気づいた。
アレクシスは、レオンが迂回して補給を断とうとすることを、最初から見抜いていたのだ。だからこそ、あえて自軍の補給地点を軽く見せかけ、レオンの部隊を北へ誘導しつつ、本隊を温存して東軍本陣を直接叩く——そういう作戦だったのだ。
「戻るぞ! 急いで本陣を——」
レオンは部隊を反転させたが、地形と距離が味方をしなかった。本陣へ到着した時には、すでに東軍の旗は倒され、演習終了の合図が鳴り響いていた。
「……西軍の勝利」
審判役の教官の声が、演習場に響いた。
レオンは呆然と立ち尽くした。
(作戦は、間違っていなかったはずだ……)
補給を断つという発想自体は正しかった。地形の読みも正確だった。それなのに、負けた。
演習場の中央で、アレクシスがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「見事な作戦だった」アレクシスは言った。「補給地点の読みも、迂回路の選択も、完璧だ」
「……なら、なんで負けたんだ」
アレクシスは静かに答えた。
「君は、敵の動きを完璧に予測しようとした。だが、味方が完璧に動くかどうかは、考えていなかったな」
レオンは言葉に詰まった。
「東軍本陣に残した防衛部隊、命令通りに動いていなかっただろう。持ち場を離れて、勝手に前進しようとした者もいたはずだ」
図星だった。防衛部隊の一部が、レオンの采配に不満を持ち、独自の判断で動いてしまっていたのだ。
「作戦が正しければ、人は動くと思っているのか?」
アレクシスの問いが、静かにレオンの胸に突き刺さった。
その夜、レオンは自室で一人、演習の記録を見返していた。
(作戦は正しかった。地形の読みも、補給線の分析も、間違っていなかった)
(なのに、負けた——)
紙の上に描いた完璧な戦術図を、レオンは無言で見つめ続けた。
初めての本格的な壁が、目の前に立ちはだかっていた。




