第4話 貴族にもいろいろいる
翌日の放課後、レオンが図書室で兵站学の課題に取り組んでいると、遠慮がちな声が聞こえた。
「あの……レオン、だったよな」
顔を上げると、ユリウスが所在なさげに立っていた。
「ああ。座るか?」
「い、いいのか?」
「別に、椅子に持ち主がいるわけじゃない」
ユリウスはおずおずと向かいの席に腰を下ろした。しばらく沈黙が続いたが、やがて彼は意を決したように口を開いた。
「昨日は……その、助けてくれて、ありがとう」
「別に助けたつもりはない。ただ口を挟んだだけだ」
「それでも、だ」ユリウスは深く頭を下げた。「君がいなかったら、もっとひどいことになっていたと思う」
レオンは羽根ペンを置いて、ユリウスを見た。実際に話すのはこれが初めてだった。男爵家の三男だと聞いていたが、目の前にいるのは、貴族らしい威圧感の欠片もない、気弱そうな青年だった。
「一つ聞いていいか」
「な、なんだ?」
「なんで反論しなかった? 貴族なんだろ、お前も」
ユリウスは俯いた。
「……兄たちと、いつも比較されるんだ。長男は剣術で優秀、次男は座学で優秀。俺は……どっちも、中途半端で」
「だから何も言い返せない、と?」
「反論しても、どうせ何も変わらないから」
その言葉に、レオンは少しだけ違和感を覚えた。諦めというより、深く染み付いた無力感のようなものを感じたからだ。
「なあ」レオンは率直に言った。「お前、貴族だろ。伯爵だのなんだの、俺からしたら十分恵まれてるように見えるんだが」
「……そう見えるだろうな」ユリウスは自嘲するように笑った。「でも、貴族の中にも序列がある。男爵家は一番下だ。しかも三男なんて、家督も継げない。上の連中からすれば、俺なんて『貴族の中の底辺』でしかない」
「はは」
レオンは思わず笑ってしまった。ユリウスがむっとした顔をする。
「何がおかしい」
「いや、悪い」レオンは手を振った。「ただ、貴族っていうのは、平民から見たら一括りで『上』の存在だと思ってたからさ。中にも上下があるって話、ちょっと新鮮だっただけだ」
「君にとっては、笑い話かもしれないけどな」
「悪かったって。……でも、まあ、参考にはなった」
ちょうどそこへ、トーマが図書室に顔を出した。
「おっ、レオン。それにユリウスもいるじゃないか」
「トーマ」ユリウスが少し安堵したように表情を緩めた。「君も、来ていたのか」
「課題の相談、って口実で油売りに来ただけだよ」トーマは軽い調子で椅子を引いて座った。「にしても、お前ら並んでると面白いな。平民と男爵家の三男が、仲良く課題やってるとか」
「仲良くはしてない」レオンが即座に返す。
「してないんだ、これが」ユリウスも真顔で頷いた。
「お、息合ってるじゃないか」トーマが笑った。
その軽口に、ユリウスもつられて小さく笑った。彼が笑うところを見たのは、レオンにとってこれが初めてだった。
「なあ」レオンはふと思いついたように言った。「お前、貴族なんだからもっと偉そうにしていいんじゃないか? 男爵家でも貴族は貴族だろ」
「……それをやったら、君が一番怒るだろ」
「いや、それはそうだけど」
三人の間に、初めて軽い空気が流れた。トーマが噴き出す。
「息合ってるどころか、もう漫才だなお前ら」
「漫才って何だよ」レオンが眉を寄せる。
「知らない、俺が今考えた言葉だ」
ばかばかしいやり取りに、ユリウスまで肩を揺らして笑っていた。
この日を境に、レオンとユリウスの間には、はっきりとした接点が生まれた。
夕方、寮への帰り道。トーマと二人で歩きながら、レオンはぽつりと言った。
「……貴族が全員、アレクシスやあの取り巻きみたいな奴らってわけじゃ、ないんだな」
「今更気づいたのか?」
「いや、頭では分かってた。ただ、実感としては今日が初めてだ」
母の死以来、レオンの中で「貴族」という存在は、ずっと一つの色で塗りつぶされていた。だがユリウスと話した今、その色に、わずかな濃淡が生まれ始めていた。
(貴族にも、いろいろいる、か)
まだ全面的に納得したわけではない。だが、完全な敵とは言い切れない存在がいる——その事実は、レオンにとって小さくない変化だった。
空を見上げると、夕日が校舎の屋根を赤く染めていた。明日からまた、兵站学の授業が始まる。レオンにとって、数少ない得意分野だった。
「明日の兵站学の課題、進んでるか?」トーマが尋ねた。
「大体は。お前は?」
「白紙」
「……間に合うのか、それ」
「間に合わせるのが俺の得意技だ」
「その自信、どこから来るんだ」
軽口を叩き合いながら、二人は寮への道を歩いていった。
この学校生活で、レオンはまだ知らない。
次に待っているのは、初めての本格的な模擬戦——そして、アレクシスとの正面対決だということを。




