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豪商生まれのただの平民士官【帝国改革記】  作者: 橘秀斗
士官学校編

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第3話 秩序という理屈

 廊下に漂う緊張は、長くは続かなかった。


 囲んでいた貴族学生たちは、アレクシスの登場で完全に気勢を削がれていた。伯爵家の長男に見られている状況で、これ以上ユリウスを追い詰める度胸は誰にもなかった。


「……今日のところは、これくらいにしておいてやる」


 捨て台詞のように言い残し、三人は足早に去っていった。ユリウスは俯いたまま、小さく息を吐いている。


 残されたのは、レオンとアレクシス、そしてユリウスの三人だった。


「大丈夫か」


 レオンが声をかけると、ユリウスは驚いたように顔を上げた。


「あ……ああ、大丈夫だ。すまない、巻き込んで」


「別に巻き込まれたつもりはない。俺が勝手に首を突っ込んだだけだ」


 その様子を、アレクシスは黙って見ていた。ユリウスが会釈をして立ち去ると、廊下にはレオンとアレクシスだけが残った。


「さっきの話の続きだが」レオンは腕を組んだ。「感情だけで介入するのが問題、ってのはどういう意味だ?」


「言葉のままだ」アレクシスは静かに答えた。「君は、あの状況を見て『気に入らない』から動いた。違うか?」


「まあ、否定はしない」


「士官になる者が、その場の感情だけで秩序や立場を無視して動けば、戦場では部隊を壊す。上官の命令系統を無視して勝手に動く兵士がいれば、それがどれだけ『正しい行動』であっても、組織は機能しなくなる」


「……理屈は分かる」レオンは眉を寄せた。「だが、目の前で三人がかりで一人を追い詰めてる場面を見て、黙って通り過ぎろってのか?」


「私はそうは言っていない」


「じゃあ何なんだよ」


「正しいことをするなら、正しい方法でやれと言っている」アレクシスは初めて、わずかに語気を強めた。「君のやり方は、相手を挑発し、対立を煽っただけだ。あの場で本当に必要だったのは、相手を刺激せずに事態を収める方法だった」


 レオンは一瞬、言葉に詰まった。


 (……正論、ではあるな)


 悔しいが、否定できない部分があった。レオンは挑発的な言葉でその場を収めようとした。結果的にアレクシスが現れなければ、もっと大きな衝突になっていた可能性もある。


「じゃあ聞くが」レオンは反撃するように言った。「お前だったら、どうやってあの場を収めた?」


「囲んでいた三人のうち、リーダー格は分かっていた」アレクシスは即答した。「あの家の当主は、私の父と縁がある。後で個別に話をつければ済む話だ。表沙汰にする必要はなかった」


「……根回しか」


「そうだ。派手に立ち回らなくても、解決できる問題はある」


 レオンは黙り込んだ。悔しいが、アレクシスの言い分には筋が通っている。だが同時に、どうしても引っかかる部分があった。


「一つ聞きたいんだが」


「何だ」


「お前、あいつらがユリウスをいじめてること自体は、問題だと思ってるのか?」


 アレクシスは一瞬、間を置いた。


「思っている」


「じゃあ、なんで俺があの場で止めたのを咎めた? 結果はどうあれ、あの瞬間ユリウスを助けたのは事実だろう」


「……」


 アレクシスは答えなかった。だがその沈黙は、否定ではないように、レオンには感じられた。


 (こいつ、単純にあいつらの味方ってわけじゃないのか)


 レオンの中で、最初の印象——「偉そうな貴族の坊ちゃん」——に、小さな違和感が生まれた。


「一つだけ言っておく」アレクシスは話を切り上げるように言った。「君は平民枠だそうだな。ならばなおさら、感情だけで動くのは危険だ。君の立場では、失敗が許されない」


「立場、ね」


「気に入らないか?」


「いや」レオンは肩をすくめた。「事実だから、否定はしない。俺が問題を起こせば、平民枠そのものの評判に響く。……気に入らないのは、その事実の方だけどな」


 アレクシスは初めて、わずかに表情を緩めた。皮肉なのか納得なのか、判断のつかない微妙な変化だった。


「では、また」


 そう言うと、アレクシスは踵を返して去っていった。


 レオンはその背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。


「……厄介な奴だ」


 だがその声には、単純な敵意だけではない、何か別の感情が混じっていた。


 その日の夕食時、レオンはトーマにこの一件を話した。


「へえ、アレクシス様と正面からやり合ったのか。大した度胸だな」トーマは半分呆れたように言った。


「度胸っていうか、成り行きだ」


「まあいいけどよ。……ユリウスの奴、あの後お前に礼を言いたがってたぞ」


「別に礼を言われるようなことはしてない」


「そう言うと思ったよ」トーマは笑った。「でも、お前が動かなかったら、あいつはもっとひどい目に遭ってたかもしれないんだぜ」


 レオンは黙って食事を続けた。頭の中では、アレクシスの言葉が繰り返し響いていた。


 (正しいことをするなら、正しい方法でやれ、か)


 悔しいが、一理ある。だが、まだ完全には納得できない部分もあった。


 この違和感が、後にレオンにとって重要な意味を持つことになるとは、この時のレオンはまだ知らない。

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