第2話 男爵家の三男
入学から三日。レオンはすでに、この学校の空気にうんざりし始めていた。
授業そのものは悪くない。帝国史、戦術学、兵站学——実家で独学してきた内容と重なる部分も多く、むしろ得意な範囲だった。問題は授業以外の時間だ。
「レオン・ヴァイスだったか。君、あの登用試験に合格したというのは本当かい?」
昼食の席で、隣に座った貴族学生が話しかけてきた。馬鹿にしているわけではなく、純粋な好奇心のようだった。だが質問の仕方には、どこか「珍しい生き物を観察する」ような響きがある。
「本当だ。合格しなきゃここにいない」
「へえ。座学の点数はどうだった? 帝国史の第三問、あれは相当な難問だったと聞くが」
「覚えてない。受かればいい話だ」
「ふふ、面白い返し方だな」
レオンはこの手の会話に慣れつつあった。悪意はない。ただ、彼らにとって平民が士官学校にいること自体が「話題」なのだ。
「なあレオン」向かいに座ったトーマが声をひそめた。「あそこの席、見えるか?」
視線の先には、一人の学生が食堂の隅で俯くように食事をしていた。制服は貴族仕様だが、周囲の学生たちからは明らかに距離を置かれている。
「あれは?」
「ユリウス・アルベルト。男爵家の三男だとよ。同じ貴族でも、男爵は一番下だからな。しかも本人、剣術も座学もぱっとしないらしくて、上の連中から結構馬鹿にされてる」
「貴族同士でも格差があるのか」
「そりゃそうだろ。お前んとこの商会にだって、大商人と小商人の差はあるだろうが」
「……まあ、それはそうだな」
レオンは納得した。貴族という括りで一括りにしていたが、内部にも序列がある。ならば「貴族だから優遇される」という単純な話でもないということか。
その日の午後、兵站学の授業が終わった後のことだった。
レオンが教室を出ようとすると、廊下の先で数人の学生が誰かを取り囲んでいるのが見えた。
「男爵家のくせに、剣も満足に振れないとはな」
「三男坊は家督も継げないくせに、なぜここにいるんだ? 席の無駄だろう」
嘲笑混じりの声。囲まれているのは、昼食の席で見かけたユリウスだった。俯いたまま、何も言い返せずにいる。
周囲の学生たちは見て見ぬふりで通り過ぎていく。関わりたくない、というのが誰の顔にも書いてあった。
レオンは足を止めた。
(面倒事だな。俺には関係ない)
そう思う一方で、頭の中では別の計算が働いていた。
(三人がかりで一人。時間の無駄。得るものもない。……何より、気に入らない)
理屈で動くはずのレオンが、この時ばかりは損得より先に足が動いていた。
「おい、それ何人がかりなら勝てるんです?」
声をかけると、囲んでいた学生たちが一斉に振り返った。
「なんだ貴様は」
「平民の登用組か。部外者は黙ってろ」
「部外者ねえ」レオンは肩をすくめた。「三人で一人囲んで、それで気分がいいなら、よっぽど暇なんですね。演習の準備でもしたらどうです? 卒業したら、こんな暇はなくなりますよ」
挑発的な物言いに、囲んでいた学生の一人が眉をつり上げた。
「貴様、身分をわきまえろ」
「身分の話をしてるんじゃなくて、時間の使い方の話をしてるんですけどね」
空気が一気に張り詰めた。今にも掴みかかってきそうな雰囲気に、レオンは内心で計算を続けていた。
(三人相手に喧嘩になったら分が悪い。だが、ここで引いたら次も同じことが起きる。……さて、どう収める?)
答えを出す前に、廊下の奥から落ち着いた声が響いた。
「そこまでにしろ」
現れたのは、姿勢の良い、見覚えのある学生だった。入学式でレオンと目が合った、あの男だ。
「アレクシス様」
囲んでいた学生たちの態度が一変した。明らかに格上の存在に対する反応だった。
アレクシス・フォン・レーヴェンは、囲んでいた学生たちを一瞥した後、レオンに視線を移した。
「君が割って入る問題ではない」
冷静な、しかしはっきりとした拒絶の声だった。
「は? 三人がかりで一人いじめてる場面に、割って入っちゃいけないと?」
「そういう意味ではない」アレクシスは表情を変えずに続けた。「感情だけで介入することが、問題だと言っている」
レオンは眉を寄せた。
「……こいつも結局、貴族側の人間か」
思わず漏れた呟きに、アレクシスの目がわずかに細くなった。
二人の視線がぶつかる。廊下の空気が、さらに張り詰めた。
この日が、レオン・ヴァイスとアレクシス・フォン・レーヴェンの、本格的な対立の始まりだった。




