第1話 平民の士官
帝国中央士官学校の正門をくぐった瞬間、レオン・ヴァイスは思った。
(うわ、金の匂いがする)
比喩ではない。実際に金がかかっている。石造りの校舎は磨き上げられ、庭園には手入れの行き届いた植木が並んでいる。門をくぐる学生たちの制服は仕立てが良く、腰に下げた剣も装飾入りだ。
対してレオンの制服は、支給された最低限の一着。剣も、実家の商会に出入りする鍛冶屋から安く譲ってもらった実用一辺倒の代物だった。
「……この学校、制服だけでどれだけ金使ってるんだ」
思わず呟くと、隣を歩いていた男子学生がぎょっとした顔でこちらを見た。上等な布地の制服。腰の剣には家紋らしき彫刻。間違いなく貴族だ。
「君は……もしかして、平民登用枠か?」
「ええ、まあ」
「ほう。噂には聞いていたが、本当にいるとはな」
男は値踏みするような目でレオンを一瞥すると、興味を失ったように前を向いて歩いていった。
レオンは肩をすくめた。慣れている。父の商売柄、貴族の従者や役人と接することは多かった。ああいう視線には慣れていた。
(別に、睨まれたところで飯が食えなくなるわけじゃない)
現実主義者のレオンにとって、他人の態度は数字にならない限り気にする価値のないものだった。
入学式が行われる大講堂へ向かう道すがら、レオンは周囲を観察していた。
学生の数はざっと二百人。そのうち平民らしき姿は、数えられる程度しかいない。
(試験の倍率、たしか平民枠は百人に一人以下だったか)
登用試験を思い出す。体力、座学、実技。中でも座学が鬼門だった。帝国史、戦史、地理、軍事学、数学……参考書は高価で、貴族の子弟なら家庭教師付きで学べる内容を、レオンは商会の帳簿仕事と父の小言の合間に独学で詰め込んだ。
(親父の帳簿つけが、まさかこんなところで役に立つとはな)
大講堂に入ると、貴族学生たちが家格ごとに固まって談笑しているのが見えた。伯爵家、子爵家、男爵家……派閥というほど露骨ではないが、明らかに「格」で自然と分かれている。
レオンはその輪に加わる気もなく、後方の空いている席に腰を下ろした。
「そこ、座っていいか?」
声をかけてきたのは、人懐っこい笑みを浮かべた同年代の少年だった。制服は質素——おそらく平民だろう。
「別に構わないが」
「助かる。俺、トーマ・ベル。平民枠だ。お前は?」
「レオン・ヴァイス。同じく平民枠」
「おお、仲間じゃないか!」トーマは嬉しそうに笑った。「見た感じ、あっちの連中とは馴染めそうにないもんな」
トーマが視線で示した先には、談笑する貴族学生たちの一団があった。
「馴染む気もないけどな」レオンは正直に答えた。
「はは、正直だな。まあいいさ、これから同じ釜の飯食う仲間になるわけだし……あ、いや、飯は寮の食堂で別々に食うんだったか」
「そこは気にしてなかった」
「気にしろよ」
二人が軽口を叩いていると、講堂の前方で教官らしき人物が立ち上がり、静粛を求める声が響いた。
式が始まる。校長らしき初老の貴族が壇上に立ち、帝国の栄光と士官学校の伝統について語り始めた。
レオンは半分聞き流しながら、講堂の広さ、椅子の数、装飾に使われた金額をぼんやり計算していた。
(この式典だけで、南方の駐屯地の一週間分の食料費は飛んでるだろうな)
ふと視線を感じて振り向くと、少し離れた席から一人の男子学生がこちらを見ていた。姿勢が良く、制服も装備も一分の隙もない。明らかに上位の貴族だ。
レオンと目が合うと、その学生は小さく会釈をして、すぐに視線を戻した。敵意はない。ただ、値踏みするような、観察するような視線だった。
「あれ、誰だ?」
「ああ」トーマが小声で答えた。「アレクシス・フォン・レーヴェン。伯爵家の長男だとよ。入学前から名前が知られてる」
「ふうん」
レオンにとっては、その時はまだ、ただの「有名な貴族の坊ちゃん」でしかなかった。
式が終わり、学生たちは寮へと向かう。石畳の道を歩きながら、レオンは校舎を見上げた。
この学校で、自分がどう扱われるのか。どんな壁にぶつかるのか。まだ何も分かっていない。
ただ一つ、確かなことがある。
(俺は、ここで結果を出す。じゃなきゃ、この国は変わらない)
平民の士官候補生、レオン・ヴァイスの学校生活が、こうして始まった。




