第78話 東方への道
使節団の一行が帝都を発ったのは、晩夏の、まだ暑さの残る朝だった。
ヴェルニエを団長とし、外交官数名、護衛の兵士、そして、レオンを含む、総勢三十名ほどの一行だった。これまでの、南方戦線への道のりとは、また違う種類の緊張を、レオンは感じていた。
「東方への道は、初めてだな」
馬車に揺られながら、レオンは、窓の外に広がる景色を眺めていた。これまで見てきた、南方の乾いた大地とは違う、緑豊かな、起伏に富んだ土地が、広がっていた。
「東方は、山岳地帯が多い」隣に座っていた、外交官の一人が説明した。「リュネス帝国との国境地帯は、特に、険しい地形が続く」
「兵站の面でも、南方とは、また違う課題がありそうですね」
「その通りだ」外交官は、レオンの指摘に、感心したように頷いた。「南方では、補給線の長さが問題だったが、東方では、地形そのものが、大きな障害になる」
道中、レオンは、これまでの経験——南方戦線での兵站管理、そして、帝都での分析——を活かし、東方の地理的特性についても、改めて学びを深めていった。
「ヴァイス殿は、本当に、どんな状況でも、学ぶことを、怠らないな」
同行していたヴェルニエが、そんなレオンの様子を見て、感心したように言った。
「局長にも、言われ続けてきたことですから」レオンは、少し照れくさそうに答えた。「現状を正確に把握することが、すべての始まりだと」
「その姿勢こそが、お前を、ここまで導いてきたんだろうな」
一行は、数日をかけて、帝国の東部国境へと近づいていった。道中、レオンは、国境付近の村々の様子にも、目を配っていた。
「……戦争の気配が、すでに、こんなところにも」
ある村を通りかかった時、レオンは、思わず呟いた。村の様子は、どこか、落ち着かない空気に包まれていた。多くの若者が、すでに徴兵されたのか、村には、老人と女性、子供の姿ばかりが目立った。
「国境に近いほど、緊張の影響は、顕著に表れる」ヴェルニエは、険しい表情で言った。「南方戦線での、お前の経験と、重なるものがあるだろう」
「ええ」レオンは、静かに頷いた。「戦争は、戦場だけで、起きているわけじゃない」
その言葉は、父グランから受け継いだ、レオンの、根本的な価値観だった。
国境の要塞都市に到着したのは、出発から十日ほどが経った頃だった。
「ここが、国境の最前線か」
要塞都市は、これまでレオンが見てきた、どの街とも違う、張り詰めた空気に包まれていた。兵士の数も多く、物々しい雰囲気が、街全体を覆っていた。
到着後、一行は、現地の守備隊司令官から、現在の国境情勢について、詳しい説明を受けた。
「リュネス軍、国境付近での展開は、ここ数週間、目立った動きはありません」司令官は、報告した。「ただし、油断はできません。いつでも、動員可能な体制は、維持されています」
「この状況、お前の目には、どう映る?」ヴェルニエが、レオンに尋ねた。
レオンは、現地の地図と、これまで集めてきた情報を、改めて照らし合わせながら、慎重に答えた。
「少なくとも、積極的な攻勢の準備、という様子ではないように見えます」レオンは言った。「もし、本格的な侵攻を計画しているなら、もっと、大規模な物資の集積が、国境付近で、見られるはずです」
「物資の集積が、見られない、ということは?」
「現状維持、あるいは、防衛的な姿勢を、維持している可能性が高いと思います」レオンは、慎重に続けた。「これは、以前の分析——リュネス帝国側も、財政的な負担を、抱えているという推測とも、一致します」
ヴェルニエは、レオンの分析に、確かな手応えを感じた様子だった。
「この分析、使節団としての、今後の交渉方針にも、反映させよう」
その夜、レオンは、要塞都市の一室で、これからの交渉について、改めて考えを巡らせていた。
国境を越えれば、そこには、これまで一度も足を踏み入れたことのない、リュネス帝国の地が広がっている。そこで、何が待っているのか——その答えは、まだ、レオンにも、見えていなかった。
(これまでの経験すべてを、ここで、試されることになるんだろうな)
士官学校での学び。南方戦線での実戦。局での改革。そして、父から受け継いだ、兵站と、人を見る視点。
それらすべてを携え、レオンは、国境を越える日を、静かに待っていた。
東方の空に、これまでとは違う、新たな夜明けが、近づいていた。




