第77話 次への布石
軍備・外交調整局での日々は、これまでとは違う、新しい種類の忙しさに満ちていた。
「今日の報告、リュネス帝国側の、使節団派遣の日程案です」
部下から渡された書類に、レオンは目を通した。これまでの、局内の物資記録とは違い、ここでの仕事は、国家間の、より大きな流れを扱うものだった。
「調整、順調に進んでいるようだな」
「はい。ただ——」部下は、少し表情を曇らせた。「国内の、一部の貴族からは、この対話路線に対して、強い反発の声も、上がっているそうです」
「反発、というのは?」
「東方との緊張は、帝国の安全保障の要だ、という考えを持つ、強硬派の貴族たちです」部下は説明した。「彼らは、対話よりも、さらなる軍備増強を、主張しています」
レオンは、この報告に、改めて、この問題の複雑さを、実感した。外交的な対話の糸口が見えても、国内の意見が一致しなければ、その道のりは、決して平坦ではない。
その日の夕方、レオンはアレクシスと、この件について話し合った。
「強硬派の動き、政務局でも、把握している」アレクシスは言った。「中には、かなり有力な貴族家も、含まれている」
「説得は、可能なのか」
「簡単ではない」アレクシスは、正直に言った。「だが、完全な対話路線への転換を求めているわけじゃない。あくまで、軍備増強と、外交的対話を、同時に進める——その現実的なバランスを、理解してもらう必要がある」
「お前の言う、『敵を減らす』というやり方だな」
「そうだ」アレクシスは頷いた。「強硬派すべてを、敵に回す必要はない。彼らの懸念——帝国の安全保障への不安——それ自体は、正当なものだ。ただ、その解決策が、軍備増強だけに偏りすぎている、という点を、丁寧に、説明していく必要がある」
レオンは、その言葉に、これまでの経験を、改めて重ねた。南方戦線での、フェルナン家との戦い、局でのデルモン子爵との対峙——それらとは、また違う種類の、より繊細な政治的な調整が、今、求められていた。
数週間をかけて、レオンとアレクシスは、強硬派の貴族たちとの、個別の対話を、少しずつ進めていった。時に、激しい反論を受けることもあった。だが、レオンが示す、具体的な数字と分析——軍備増強がもたらす財政的負担、そして、過去の事例における、軍拡競争の悪循環——それらは、少しずつ、相手の態度を、軟化させていった。
「……お前の分析、確かに、説得力がある」
ある日、面会した貴族の一人が、渋々ながらも、そう認めた。
「ただし、軍備を疎かにしていい、ということでは、決してありません」レオンは、丁寧に言葉を選びながら言った。「必要な防衛力は、維持しなければなりません。ただ、それと同時に、対話の道も、閉ざすべきではない、ということです」
この地道な対話の積み重ねは、少しずつ、国内の空気を変えていった。
そして、ある日、ついに、正式な外交使節団の派遣が、決定されることになった。
「使節団、ヴェルニエ局長を団長とし、お前にも、同行してもらう」
その知らせに、レオンは、改めて、この任務の重さを、噛み締めた。
「光栄です」
「東方への旅、簡単なものじゃないぞ」ヴェルニエは、真剣な表情で言った。「だが、これまでのお前の働きがあってこそ、ここまで、辿り着けた」
出発の準備を進める中、レオンは、久しぶりに、これまでの道のりを、静かに振り返る時間を持った。
士官学校での学び。南方戦線での実戦、そして、父の過去と、母の死の真相。帝都での局の改革、そして、デルモン子爵との戦い。皇帝からの、重い問い。
それらすべての経験が、今、この、東方への使節団という、新たな一歩へと、確かに繋がっていた。
「これから、本当に、大きな仕事が、待っているな」
出発前夜、レオンは、アレクシスと共に、静かな時間を過ごしていた。
「ああ」アレクシスも、頷いた。「だが、お前なら、きっと、やり遂げられる」
「お前は、一緒には来ないのか」
「今回は、帝都に残って、国内の調整を続ける」アレクシスは言った。「だが、お前が戻ってきたら、また、共に、次の課題に、向き合おう」
レオンは、その言葉に、小さく頷いた。士官学校時代からの、この相棒との絆は、これまでの、様々な困難を経て、確かなものへと、育っていた。
「必ず、良い結果を、持ち帰る」
「期待している」
帝都の夜空の下、レオンの新たな旅立ちが、静かに、しかし確実に、近づいていた。
東方への使節団——それは、これまでの、局所的な不正との戦いとは、まったく異なる、国家そのものの未来を左右する、重大な使命だった。
(軍を強くすることと、戦争を減らすこと——その答えを、この旅で、見つけられるかもしれない)
その予感を胸に、レオンは、新たな一歩を、踏み出そうとしていた。




