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豪商生まれのただの平民士官【帝国改革記】  作者: 橘秀斗
帝都・改革編

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第79話 国境を越えて

 国境を越える日の朝、空は、驚くほど澄み渡っていた。


「これより、リュネス帝国の領内に入る」


 ヴェルニエの言葉に、一行の間に、緊張が走った。長年、敵対してきた国の土地に、正式な使節団として足を踏み入れる——それは、帝国の歴史の中でも、稀な出来事だった。


「国境線、ここからですか」


 レオンは、目の前に広がる、何の変哲もない平原を見つめながら、そう尋ねた。実際の国境線は、地図の上でしか意識したことのない、抽象的な概念のようにも思えた。


「ああ。この先に、リュネス側の迎えが、待っているはずだ」


 案の定、しばらく進むと、リュネス帝国側の、正装した一団が、一行を待ち受けていた。


「ヴァルディア帝国の皆様、ようこそ、お越しくださいました」


 先頭に立つのは、以前の会談でも見た、あの初老の外交官だった。


「出迎え、感謝する」ヴェルニエが、丁重に応じた。


 一行は、リュネス側の案内で、国境近くの都市へと向かうことになった。レオンは、初めて目にする、リュネス帝国の土地を、興味深く観察していた。


「帝国と、そう大きくは、変わらないな」


 街並みは、ヴァルディア帝国のものとは、建築様式こそ異なるものの、人々の暮らしぶりには、どこか共通するものが感じられた。市場には、様々な商品が並び、人々が行き交っている。


「戦争の気配は、思ったより、感じられませんね」レオンは、隣を歩く外交官に、そう漏らした。


「それが、この国の、国境付近以外の、本来の姿なんだろう」外交官は答えた。「どちらの国も、戦争を望んでいる民衆など、本来、ほとんどいないはずだ」


 その言葉に、レオンは、改めて、これまでの戦いの意味を、噛み締めていた。


 宿泊先に到着した一行は、翌日からの、本格的な交渉に向けて、改めて準備を整えることになった。


「明日の会談、これまでとは違う、より踏み込んだ内容になるはずだ」


 その夜、ヴェルニエが、一行を集めて、改めて方針を確認した。


「具体的には、どのような議題になるのでしょうか」レオンは尋ねた。


「国境付近の、軍備の相互削減——その具体的な枠組みについて、話し合うことになる」ヴェルニエは言った。「双方が、どこまで、譲歩できるか——そのせめぎ合いになるだろう」


「私の役割は?」


「お前の、兵站・財政分析に基づく視点——それを、交渉の材料として、提示してもらいたい」ヴェルニエは言った。「お互いの国が、どこまでの軍備なら、財政的に、現実的に維持できるか——その客観的な分析が、建設的な議論の、土台になるはずだ」


 レオンは、その重責に、改めて、気を引き締めた。


 翌日、本格的な会談が始まった。


 リュネス帝国側の、軍事・財政を担当する高官たちと、ヴァルディア帝国側の代表団が、長い机を挟んで向き合った。


「本日は、より具体的な提案を、持参した」ヴェルニエが、切り出した。「国境付近の、段階的な軍備削減について、我が国としての、具体案を、示したい」


 レオンは、これまでまとめてきた分析資料を、慎重に提示した。


「双方の、現在の軍事費の規模、そして、それが、国内の財政に、どれほどの負担をかけているか——その客観的なデータを、まとめています」レオンは説明した。「このデータに基づけば、双方が、一定の軍備水準を維持しながらも、過度な増強競争を、避けられる、現実的な均衡点が、見出せると考えます」


 リュネス帝国側の高官たちは、その資料を、慎重に検討していった。


「……興味深いデータだ」一人の高官が、ようやく口を開いた。「我々の内部でも、似たような分析が、行われたことがある」


 その言葉に、レオンは、わずかな手応えを感じた。


「もし、よろしければ」レオンは、慎重に続けた。「双方の分析結果を、照らし合わせてみては、いかがでしょうか。それぞれの国が、独自に出した結論が、一致するのであれば、それは、より説得力のある、合意の土台になるはずです」


 この提案に、リュネス帝国側は、しばらくの間、互いに相談する様子を見せた。


「……検討に値する提案だ」初老の外交官が、最終的に、そう応じた。


 この日の会談は、これまでで、最も具体的な、建設的な内容になった。完全な合意には、まだ、至らない。だが、双方が、数字と事実に基づいて、現実的な妥協点を探る——その姿勢が、確かに、共有され始めていた。


 宿泊先に戻ったレオンは、この日の成果に、深い達成感と、同時に、これからの道のりの長さを、改めて実感していた。


「良い一歩だったな」ヴェルニエが、レオンに声をかけた。


「まだ、始まったばかりです」レオンは、気を引き締めるように言った。「ですが、確かに、対話の可能性が、見えてきました」


 東方の夜空の下、レオンは、これまでの長い戦いの、新たな意味を、改めて噛み締めていた。士官学校での学び、南方戦線での実戦、局での改革——それらすべてが、今、この、国家間の、より大きな対話の中で、確かな実を結びつつあった。


 だが、この交渉が、本当に、戦争を避けることに繋がるのか——その答えは、まだ、完全には見えていなかった。


 レオンの戦いは、これまでとは違う、新たな局面へと、着実に進み続けていた。

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