第74話 使者の真意
リュネス帝国からの非公式な使者が帝都入りしているという情報は、それから数日のうちに、宮廷内でも、次第に公然の秘密として扱われるようになっていった。
「使者の目的、まだ、はっきりしないのか」
レオンは、局での仕事の合間、アレクシスに尋ねた。
「表向きは、通商関係の調整、という名目だ」アレクシスは、慎重に言葉を選びながら答えた。「だが、実際には、もっと踏み込んだ話し合いが、水面下で行われているという噂がある」
「軍事的な緊張についての、直接交渉、ということか」
「その可能性が高い」アレクシスは頷いた。「ただ、どちらに転ぶかは、まだ分からない」
レオンは、この状況に、これまでとは違う、歯がゆさを感じていた。士官学校での学び、南方戦線での実戦、局での改革——それらを通じて、レオンは、自分の手で、問題を解決していく力を、培ってきた。だが、国家間の外交という、この巨大な局面においては、レオンにできることは、驚くほど限られていた。
「俺たちにできることは、何かないのか」
「今は、報告書で示した提言が、どう扱われるかを、見守るしかない」アレクシスは言った。「だが——」
「だが?」
「軍務大臣が、私たちに声をかけた、というのは、何らかの形で、私たちの視点が、必要とされる可能性がある、ということかもしれない」
その予感は、数日後、現実のものとなった。
「ヴァイス卿、レーヴェン卿、軍務大臣より、招集がかかっている」
伝令からの知らせに、レオンとアレクシスは、再び、軍務省の上層階へと向かうことになった。
「此度は、少し違う話をしたい」
軍務大臣は、前回よりも、さらに重い表情で、二人を迎えた。
「リュネス帝国の使者との、非公式な会談が、近く、行われることになった」軍務大臣は言った。「その場に、お前たち二人にも、同席してもらいたい」
その言葉に、レオンとアレクシスは、驚きを隠せなかった。
「我々が、ですか」レオンは、思わず聞き返した。
「お前たちの報告書、軍備と外交の両立という視点——それが、今回の会談において、重要な意味を持つかもしれないと、判断された」軍務大臣は言った。「特に、お前の兵站における知見は、相手側の交渉材料を、見極める上で、役立つはずだ」
「兵站における知見、というのは?」
「リュネス帝国側も、我が国と同様、長年の軍備増強によって、財政的な負担を、抱えているはずだ」軍務大臣は言った。「もし、相手側が、本当に、軍備の縮小や、緊張緩和を望んでいるなら、その背景には、同じような、兵站・財政上の限界があるかもしれない」
レオンは、その言葉に、これまでの分析を、改めて思い返した。
「相手の『懐事情』を見極めることが、交渉において、重要な材料になる、ということですね」
「その通りだ」軍務大臣は頷いた。「お前には、その分析を、お願いしたい」
レオンは、この重大な役割に、強い緊張と同時に、確かな使命感を覚えていた。
「全力を尽くします」
その日から、レオンは、これまでの帝国内での分析だけでなく、リュネス帝国の経済状況や、軍事費の推移についても、可能な限りの情報を集め、分析を始めることになった。
「リュネス帝国の情報、どこまで手に入るものなんだ」レオンは、アレクシスに尋ねた。
「商人の情報網や、これまでの外交記録——限られてはいるが、ある程度は、手に入る」アレクシスは言った。「それに、南方戦線やバロンでの、お前の伝手も、役立つかもしれない」
レオンは、ケイレブをはじめとする、これまでの繋がりを、改めて頼ることにした。交易都市バロンを経由して、わずかながらも、リュネス帝国側の経済状況についての情報が、集まり始めた。
「……これは」
数日かけて集めた情報を分析したレオンは、ある傾向に気づいた。
「リュネス帝国側も、長年の軍備増強によって、かなりの財政的な負担を、抱えているようだ」レオンは、アレクシスに報告した。「国内の商業活動にも、明らかに、影を落としている」
「つまり、向こうも、本音では、これ以上の軍拡競争を、望んでいない可能性がある、ということか」
「あくまで、推測の域は出ない」レオンは、慎重に言った。「だが、もし、この分析が正しければ、交渉の余地は、十分にあるはずだ」
この分析結果は、すぐに、軍務大臣のもとへ届けられた。
「これは、会談において、重要な材料になるだろう」軍務大臣は、資料を確認しながら、満足げに言った。「準備は、着々と整いつつある」
会談の日は、刻一刻と、近づいていた。レオンにとって、これまでの、士官学校での学び、南方戦線での実戦、局での改革——それらすべての経験が、今、この、帝国の運命を左右するかもしれない、重大な局面に、収束しようとしていた。
(父上の言葉通りだ。力と、信頼——その両方の均衡点を、見つけなければならない)
帝都の夜、レオンは、これまでにない緊張感と、そして、確かな使命感を抱きながら、会談の日を、静かに待っていた。




