第73話 迫る足音
東方情勢は、レオンが分析を進める間にも、着実に悪化の一途をたどっていた。
「国境付近で、リュネス軍の演習規模が、さらに拡大しているとの報告です」
ある日、アレクシスが、政務局で得た最新の情報を、レオンに伝えた。
「演習、という名目だが」レオンは、地図を広げながら言った。「実質的には、軍備の誇示だろうな」
「こちらも、同様の対応を迫られている」アレクシスは、険しい表情で言った。「軍務省内では、国境付近への、増派を求める声が、強まっている」
レオンは、これまでまとめてきた分析結果を、改めて見直した。
「悪循環が、すでに、始まっているということか」
「そうかもしれない」
数日後、レオンとアレクシスは、これまでの分析結果と提言を、正式な報告書としてまとめ、軍務省の上層部へ提出する準備を進めることにした。
「軍備の増強と、外交的な対話——この両方を、同時に進める必要がある、という提言だな」ヴェルニエ局長は、完成した報告書に目を通しながら、確認するように言った。
「はい」レオンは答えた。「どちらか一方だけでは、この悪循環を、断ち切ることはできないと考えます」
「大胆な提言だが……説得力はある」ヴェルニエは言った。「ただ、これを、軍務省上層部、そして、皇帝陛下にまで、届けるのは、簡単なことではないぞ」
「それでも、提出したいです」レオンは、はっきりと言った。「陛下から、この問いを、投げかけられた以上、自分なりの答えを、示す責任があると思います」
ヴェルニエは、レオンの決意を、静かに受け止めた。
「分かった。私からも、上に、この報告書を、正式に推薦しよう」
報告書の提出から数日後、思いがけない反応が、レオンのもとに届いた。
「軍務大臣が、直接、お前たちの報告書に、関心を示している」
アレクシスからの知らせに、レオンは驚きを隠せなかった。
「軍務大臣が?」
「ああ。近いうちに、お前たちを、直接呼んで、話を聞きたいという意向が示された」
その知らせを受けた数日後、レオンとアレクシスは、軍務省の、これまで足を踏み入れたことのない、上層階へと案内されることになった。
「ヴァイス卿、レーヴェン卿、よくいらした」
出迎えたのは、これまで噂でしか知らなかった、軍務大臣その人だった。威厳のある佇まいは、どこかアレクシスの父を思わせるものがあった。
「此度の報告書、興味深く拝読した」軍務大臣は、二人を部屋に招き入れながら言った。「特に、軍備増強と、外交的対話を、同時に進めるべきだという提言、これまでの軍務省の方針とは、少し異なる視点だな」
「失礼を承知で、申し上げました」レオンは、緊張しながら答えた。
「いや、むしろ、新鮮な視点として、興味深く受け止めている」軍務大臣は言った。「実のところ、皇帝陛下も、この報告書について、お耳に入れていらっしゃる」
レオンは、その言葉に、改めて、この問題の重大さを、実感した。
「陛下は、この提言について、どのようにお考えでしょうか」
「それは、私からは、お答えできない」軍務大臣は、慎重に言った。「ただ、一つ、伝えておこう。東方情勢は、お前たちが想像している以上に、切迫している」
その言葉に、レオンとアレクシスは、顔を見合わせた。
「切迫している、というのは、具体的には?」アレクシスが尋ねた。
「ここだけの話だが——」軍務大臣は、声を落として続けた。「リュネス帝国側から、非公式な使者が、すでに、帝都入りしている」
「使者、というのは」
「交渉のためか、あるいは、最後通牒のためか——それは、まだ、分からない」軍務大臣は言った。「だが、いずれにせよ、この数ヶ月のうちに、何らかの、大きな動きがあることは、間違いない」
レオンは、この知らせに、深い緊張を覚えた。これまでの局の改革、皇帝からの問い、そして、この分析——それらすべてが、今、より大きな、決定的な局面へと、収束していこうとしていた。
「お前たちの提言、この状況において、重要な意味を持つかもしれない」軍務大臣は、最後に、そう付け加えた。「引き続き、この問題に、向き合ってもらいたい」
軍務省を後にしたレオンとアレクシスは、これまでにない緊張感を抱えながら、帝都の街を歩いていた。
「……本当に、来るんだな」レオンは、静かに呟いた。
「ああ」アレクシスも、険しい表情で頷いた。「私たちが向き合ってきた問題が、これから、本当の意味で、試されることになる」
帝都の空に、これまでとは違う、重苦しい緊張が、確かに広がり始めていた。士官学校での学び、南方戦線での実戦、そして、帝都での改革——レオンのこれまでの歩みすべてが、この、帝国の運命を左右するかもしれない、大きな局面へと、収束しようとしていた。
東方からの使者の存在。そして、その先に待つかもしれない、新たな戦争——レオンの戦いは、いよいよ、これまでとは次元の違う、重大な局面を迎えようとしていた。




