第72話 数字が語るもの
軍備と戦争の関係についての分析は、レオンにとって、これまでの局の改革とは、また違う種類の、困難な作業だった。
「過去の記録だけでは、限界があるな」
レオンは、集めた資料を前に、そう呟いた。軍事費の推移、戦争の発生時期——それらの数字を並べるだけでは、因果関係を、明確に示すことは難しかった。
「もっと、具体的な事例を、分析する必要があるかもしれない」
レオンは、過去数十年の中から、特に顕著な事例を、いくつか選び出し、詳細に調べ始めた。
「この時期——三十年ほど前だが、北方のノルデン王国との緊張が、一度、大きく高まっている」レオンは、資料を見ながら、アレクシスに説明した。「当時の記録によると、帝国が、国境付近で、大規模な軍備増強を行った直後に、ノルデン側も、対抗して軍備を強化している」
「相互に、警戒を強め合った、ということか」
「そうだ。そして、この緊張は、最終的に、小規模な衝突にまで発展している」レオンは続けた。「もし、どちらかが、最初の軍備増強を、控えていたら——この衝突は、避けられたかもしれない」
「仮定の話だがな」アレクシスは、慎重に言った。
「分かってる」レオンは頷いた。「だが、少なくとも、『軍を強くすれば、それだけで安全になる』という考え方には、明確な限界がある、ということは、示せると思う」
レオンは、この分析を、さらに深めていくため、当時の外交記録や、軍の内部文書にも、目を通し始めた。
数週間かけて、レオンは、いくつかの重要な発見に辿り着いた。
「軍備増強そのものが、問題なんじゃない」レオンは、ある日、アレクシスに、自分の考えをまとめて伝えた。「問題は、相手が、その増強の意図を、どう受け取るか、ということだ」
「意図の、伝わり方の問題、ということか」
「そうだ」レオンは続けた。「防衛のための軍備増強でも、相手にそれが『攻撃の準備』と受け取られれば、相手も、対抗して軍備を強化する。そして、その対抗が、こちらにとって、また新たな脅威として、受け取られる」
「悪循環、というわけか」
「ああ」レオンは言った。「この悪循環を断ち切るには、単に軍を強くするだけでなく、意図を、相手に正確に伝える仕組み——つまり、外交や、対話のルートが、同じくらい重要なんじゃないか」
アレクシスは、レオンの分析を、しばらく黙って聞いていた。
「……これは、かなり重要な視点だと思う」アレクシスは、ようやく口を開いた。「軍事力だけでなく、外交的な対話の仕組みを、同時に強化する必要がある、ということだな」
「東方のリュネス帝国との関係にも、同じことが言えるんじゃないか」レオンは言った。「もし、双方が、互いの軍備増強の意図を、正確に伝え合う仕組みがあれば、今のような、疑心暗鬼の悪循環は、避けられるかもしれない」
「だが、それを、どう実現する?」アレクシスは、現実的な疑問を投げかけた。「外交の仕組みを変えることは、軍の仕組みを変えることよりも、さらに、大きな政治的な壁がある」
「分かってる」レオンは、正直に答えた。「だから、今すぐに、答えが出せる話じゃない。だが、少なくとも、この視点は、皇帝陛下への、一つの答えの、糸口になると思う」
二人は、この新たな視点を、さらに具体的な提言としてまとめるため、時間をかけて、議論を重ねていった。
その過程で、レオンは、これまでの自分の視野が、どれほど狭かったかを、改めて実感していた。士官学校時代、南方戦線、そして局の改革——それぞれの経験は、確かに、レオンを成長させてきた。だが、国家間の関係という、より大きな視点に立った時、レオンには、まだ、学ぶべきことが、数多く残されていた。
ある夜、レオンは、この分析の過程で得た気づきを、父グランへの手紙にしたためた。
『父上
皇帝陛下から、重い問いを投げかけられました。軍を強くすることと、戦争を減らすこと、どちらが、この国を守るのか——その答えを、今、必死に探しています。
まだ、明確な答えは、見つかっていません。ですが、少なくとも、単純な答えでは、済まされない問題だということは、分かってきました。
父上なら、どう考えますか』
数日後、父からの返信が届いた。
『レオンへ
難しい問いに、向き合っているようだな。
私の経験から、一つだけ、言えることがある。商売も、戦争も、結局は、人と人との関係の上に成り立っている。どれだけ強い力を持っていても、相手との信頼関係がなければ、その力は、いずれ、争いの種になる。
逆に、どれだけ信頼関係があっても、自分を守る力がなければ、その信頼は、簡単に踏みにじられる。
お前が今、見つけようとしている答えは、おそらく、この二つの、どちらか一方ではなく、両方を、どう両立させるか、ということなのかもしれないな』
レオンは、その手紙を、何度も読み返した。父の言葉には、長年、商人として、そして、かつて不正と戦った経験を持つ人間としての、確かな重みがあった。
(力と、信頼——その両方が、必要ってことか)
レオンの中で、まだ完全な答えには至らないながらも、一つの方向性が、少しずつ、形になり始めていた。
帝都の夜、レオンは、この重い問いと、これからも、向き合い続けることを、改めて決意していた。
そして、その問いへの答えを、本当の意味で試される日が、そう遠くない未来に、訪れようとしていることを、レオンは、まだ、知らなかった。




