第71話 問いの重み
皇帝との謁見から数日、レオンは、これまでにない、重苦しい思索の中にいた。
「軍を強くすることと、戦争を減らすこと——どちらが、帝国を守るのか」
その問いは、レオンの頭の中で、何度も繰り返されていた。局での仕事をこなしながらも、ふとした瞬間に、その言葉が蘇ってくる。
「浮かない顔だな」
ある日の夕方、アレクシスが、レオンの様子に気づいて声をかけてきた。
「あの問い、考えれば考えるほど、分からなくなる」レオンは、正直に打ち明けた。
「私にも、簡単には、答えが出せない問いだ」アレクシスは言った。「だが、お前なりに、考えを整理してみてはどうだ」
レオンは、その助言を受け、改めて、これまでの経験を、一つずつ振り返ることにした。
「南方戦線では、軍の兵站が整っていなかったせいで、多くの兵士が苦しんだ」レオンは、考えを言葉にしながら、整理していった。「あの経験から言えば、軍を『正しく』強くすることは、確かに、兵士を守ることに繋がる」
「正しく、というのが、重要な点だな」アレクシスが、相槌を打った。
「だが——」レオンは、続けた。「南方戦線での大攻勢、あれは、軍を『強く見せる』ための、無理な進軍だった。あの時、本当に必要だったのは、軍の強さじゃなく、戦う必要のない状況を、作ることだったんじゃないか」
「つまり、軍の強さそのものが、問題なのではなく、それを、どう使うか、ということか」
「そうかもしれない」レオンは、頷いた。「だが、それでも、東方のリュネス帝国のような、明確な脅威がある以上、軍を弱くすることが、安全に繋がるとも、思えない」
二人は、しばらくの間、この答えのない問いについて、議論を重ねた。
「一つ、思うことがある」アレクシスが、ふと、口を開いた。「皇帝陛下は、おそらく、お前に、単純な答えを求めているわけじゃない」
「どういう意味だ」
「この問いに、明確な正解があるなら、とっくに、誰かが答えを出しているはずだ」アレクシスは言った。「陛下は、おそらく、お前が、この問いと、どう向き合い続けるか——その姿勢そのものを、見ようとしているんじゃないか」
レオンは、その言葉に、改めて、考えを巡らせた。
「答えを出すこと自体が、目的じゃない、ということか」
「少なくとも、今すぐに、単純な結論を出すべき問いではないと思う」アレクシスは言った。「これから先、様々な経験を積む中で、お前なりの答えを、少しずつ、見つけていけばいい」
その言葉は、レオンにとって、ある種の救いだった。すぐに答えを出さなければ、という焦りから、少しだけ、解放された気がした。
その後も、レオンは、局での改革の仕事を、着実に続けていった。だが、その中で、常に、あの問いを、心の片隅に、留め続けていた。
ある日、レオンは、局の記録を整理する中で、ふと、興味深い記録を見つけた。
「……これは」
それは、過去数十年にわたる、帝国の軍事費と、実際の戦争の発生頻度を、まとめた資料だった。レオンは、士官学校時代から培ってきた分析力を活かし、その数字を、改めて精査し始めた。
「軍備が増強された時期の後、必ずしも、戦争が減っているわけじゃない」
レオンは、その傾向に、ある種の違和感を覚えた。むしろ、軍備が増強された時期の後に、新たな戦争が、発生しているケースも、少なくなかった。
「これは、偶然なんだろうか」
レオンは、この発見を、アレクシスに報告した。
「軍備増強が、かえって、新たな緊張を生んでいる、ということか」アレクシスは、資料を確認しながら、険しい表情を浮かべた。
「断定はできない」レオンは、慎重に言った。「だが、少なくとも、軍を強くすれば、それだけで戦争が減る、という単純な図式は、成り立たないのかもしれない」
「これは、重要な発見かもしれないな」アレクシスは言った。「もし、この傾向を、もっと明確に示すことができれば——」
「皇帝陛下への、一つの答えの、手がかりになるかもしれない」
レオンは、この新たな分析を、さらに深めていくことを、決意した。これまでの、局の改革という、具体的な仕事に加えて、この、より大きな、そして、根源的な問いにも、本格的に向き合い始めることになった。
帝都での日々は、レオンにとって、これまで以上に、重く、そして、深い意味を持つものへと、変わり始めていた。
(答えは、まだ見えない。だが——)
少なくとも、レオンは、その問いから、逃げるつもりはなかった。この帝国の未来に関わる、重大な問いに、真正面から向き合う——それこそが、皇帝から託された、新たな使命なのかもしれなかった。
窓の外、帝都の空は、これまでと変わらず、静かに広がっていた。だが、レオンの心の中には、これまでとは違う、確かな覚悟が、芽生え始めていた。




