第68話 遠い国境の噂
局の改革が、少しずつ軌道に乗り始めていたある日、レオンは、これまでとは違う種類の話題が、帝都の中で囁かれ始めていることに気づいた。
「東方の国境、また緊張が高まっているらしいな」
食堂で、同僚たちがそんな会話を交わしているのを、レオンは、耳にした。
「東方、というと、リュネス帝国のことか」レオンは、思わず会話に加わった。
「ああ。最近、国境付近での軍備増強が、頻繁に報告されているそうだ」同僚の一人が答えた。「向こうも、こちらの出方を、探っているんだろうな」
レオンは、この話に、漠然とした不安を覚えた。士官学校時代、座学で学んだ、東方の大国リュネス帝国——ヴァルディア帝国と並ぶ国力を持つ、長年の宿敵。
その夜、レオンは、アレクシスに、この噂について尋ねた。
「政務局でも、その件は、話題になっている」アレクシスは、真剣な表情で言った。「ただの噂ではなく、実際に、国境付近での動きが、活発化しているのは、事実のようだ」
「戦争になる、ということか」
「まだ、そこまでは分からない」アレクシスは、慎重に言った。「だが、双方が、互いを警戒し合っている状況は、確かにある」
レオンは、以前、士官学校時代にアレクシスと交わした、帝国の構造的な問題についての議論を、思い出していた。「戦争をやめることを恐れている国」——その言葉が、改めて、レオンの頭をよぎった。
「南方戦線、東方の緊張——帝国は、常に、どこかで、戦争の種を抱えているな」レオンは、苦い表情で言った。
「それが、この国の、根本的な問題の一つだ」アレクシスは言った。「一つの戦線が落ち着けば、別の戦線で、新たな緊張が高まる」
レオンは、この話に、改めて、これまでの自分の視野の狭さを、思い知らされていた。南方戦線での戦い、帝都での不正の追及——それらは、確かに、重要な一歩だった。だが、帝国全体が抱える、より根深い問題は、まだ、何一つ解決されていないのかもしれない。
数日後、局内でも、この東方情勢に関連する、新たな業務が発生した。
「東方国境への、物資輸送計画の見直しが、必要になるかもしれない」
ヴェルニエ局長から、そう告げられたレオンは、改めて、緊張を覚えた。
「本格的な、軍備増強の準備、ということですか」
「まだ、正式な決定ではない」ヴェルニエは言った。「だが、念のための準備は、進めておく必要がある」
レオンは、この指示に従い、東方戦線への輸送体制について、改めて検討を始めることになった。南方戦線での経験が、ここでも、確かに活かされることになった。
「東方への輸送路、南方とは、また違う特性がありそうだな」
地図を広げながら、レオンは、これまでの経験を基に、分析を進めていった。
その作業の中で、レオンは、改めて、ある疑問に突き当たった。
「この軍備増強、本当に、必要なことなんだろうか」
レオンは、ふと、その疑問を、アレクシスに投げかけた。
「どういう意味だ」
「南方戦線で、俺たちは、無理な攻勢が、どれだけの犠牲を生むか、学んだはずだ」レオンは言った。「東方でも、同じような無理が、繰り返されるんじゃないか、という不安がある」
アレクシスは、しばらく考え込んだ後、静かに言った。
「その懸念は、私も、共有している」アレクシスは言った。「だが、今の段階では、まだ、防衛的な準備の範囲内だ。南方の時のような、積極的な攻勢とは、性質が違う」
「それでも、双方が、警戒を強め合えば、いずれ、取り返しのつかない状況になりかねない」
「その通りだ」アレクシスは、頷いた。「これは、南方戦線やフェルナン家の一件とは、また違う種類の問題だ。個人や、一つの家の不正を正す、という話ではない」
「国家そのものの、あり方の問題、ということか」
「そうだ」
レオンは、この会話を通じて、これまで自分が向き合ってきた問題とは、また違う、より大きな、そして、より根深い問題の存在を、改めて、強く意識し始めていた。
(士官学校での学び、南方戦線での実戦、局での改革——それぞれが、この先に待っている、もっと大きな問題のための、準備だったのかもしれないな)
その夜、レオンは、窓の外に広がる帝都の夜景を、これまでとは違う感慨を持って、見つめていた。
局の改革は、着実に進んでいる。だが、その先には、東方リュネス帝国との緊張という、これまでとは比較にならない規模の問題が、静かに、しかし確実に、待ち構えていた。
レオンの戦いは、まだ、終わりに近づいているどころか、新たな、より大きな局面へと、足を踏み入れようとしていた。




