第62話 証拠の摩耗
デルモン子爵との面会から数日後、監査院による正式な調査が、静かに始まった。
「予備調査として、関係者への聴取を進める」
監査部の文官から、レオンとアレクシスにそう告げられたのは、面会から一週間ほど経った頃だった。
「予備調査、というのは?」レオンは尋ねた。
「正式な処分を検討する前段階として、証拠の裏付けを取る作業だ」文官は説明した。「今回は、フェルナン家の時よりも、慎重に進める必要がある」
「デルモン子爵側の反論が、それだけ巧妙だから、ということですね」
「その通りだ」文官は、険しい表情で頷いた。
だが、この予備調査は、レオンたちが期待していたようには、順調に進まなかった。
「グラーツ商会側が、価格差の理由について、詳細な説明書を提出してきました」
数日後、監査部から届いた報告に、レオンは眉をひそめた。
「詳細な説明書、というのは?」
「輸送コスト、原材料費の変動、そして——品質の違いを主張しているようです」文官は言った。「グラーツ商会の部品は、他社製よりも耐久性に優れている、という主張です」
「そんな話、これまで一度も出てこなかったはずですが」
「向こうも、時間をかけて、反論を準備してきたのでしょう」
レオンは、この巧妙な後出しの主張に、強い苛立ちを覚えた。だが、感情的になるだけでは、事態は前進しない。
「品質の違いという主張、実際に検証できますか」レオンは尋ねた。
「技術的な検証には、時間がかかります」文官は言った。「専門の技師による、実物の比較調査が必要になるでしょう」
「その調査、こちらから依頼できますか」
「監査院として、正式に要請することは可能です」
この新たな課題に、レオンとアレクシスは、改めて対応を迫られることになった。
「品質の検証となると、これまでとは違う専門知識が必要になるな」アレクシスは言った。
「南方戦線で、実際に使われていた馬具や部品の状態を、思い出してみよう」レオンは言った。「もし、グラーツ商会の主張通り、耐久性に優れているなら、現場での破損率にも、明確な差が出ているはずだ」
「現場のデータか」
「南方戦線での記録なら、俺の方で、ある程度把握している」レオンは言った。「破損の報告、交換の頻度——それらを、グラーツ商会の製品と、他社製品とで、比較できるはずだ」
レオンは、南方戦線での経験を、この帝都での戦いにも、着実に活かし始めていた。
数日かけて、レオンは、南方戦線時代の記録を、可能な限り取り寄せ、分析を進めた。
「……予想通りだ」
分析の結果は、レオンの推測を裏付けるものだった。グラーツ商会製の部品は、他社製と比較して、耐久性に明確な優位性は見られなかった。むしろ、いくつかの項目では、平均よりもやや劣る結果すら出ていた。
「これで、品質の違いという主張を、覆せる」レオンは、アレクシスに報告した。
「見事だ」アレクシスは、資料を確認しながら言った。「だが、油断はできない。相手は、まだ他の反論を用意している可能性がある」
その予感は、的中することになった。
「デルモン子爵側から、今度は、証拠そのものの正当性について、異議が申し立てられました」
監査部からの新たな報告に、レオンは思わず声を上げた。
「証拠の正当性、というのは?」
「デルモン子爵本人の署名がある、あの支払い記録——その入手経路について、不正な手段で入手されたのではないか、という主張です」文官は説明した。
「不正な手段、とは、どういうことですか」
「局内の正規の権限を持たない人物が、無断で記録を閲覧、あるいは持ち出した可能性がある、と主張しています」
レオンは、その言葉に、コレットの存在を思い浮かべ、緊張を覚えた。
「……もし、これが本当に問題視されれば、証拠提供者が、逆に処罰される可能性があるということですか」
「その可能性は、否定できません」
レオンは、拳を強く握りしめた。証拠そのものの中身ではなく、その入手経路を問題視することで、告発全体の正当性を揺るがそうとする——それは、レオンがこれまで経験してきた、どの反撃よりも、巧妙で、そして卑劣な手段だった。
「デュボワさんを、守らなければ」レオンは、強い決意を込めて言った。
「監査院にも、その旨を、正式に伝えよう」アレクシスも、険しい表情で頷いた。「証拠提供者の保護は、以前、約束されていたはずだ」
帝都での戦いは、これまでのどの局面よりも、複雑で、そして、周到な相手との、知恵比べの様相を呈し始めていた。
レオンとアレクシス、そして、協力者たちを守りながら、この戦いを、どう進めていくべきか——新たな試練が、二人の前に立ちはだかろうとしていた。




