第61話 牙を剥く相手
分析資料を携え、レオンとアレクシスは、再び監査部の文官を訪ねた。
「……これは、確かに説得力がある」
文官は、レオンが作成した資料を、じっくりと確認しながら言った。損失額の推移、他の調達価格との比較、そして、三年間にわたる累計損失——数字だけで語られた不正の実態は、これまでの証言や状況証拠とは、比べ物にならない説得力を持っていた。
「これなら、正式な調査を開始する材料として、十分だと思う」文官は言った。「監査院として、正式に取り上げよう」
「ありがとうございます」
レオンとアレクシスは、これまでの苦労が、ようやく次の段階へ進むことに、確かな手応えを感じていた。
だが、その安堵は、長くは続かなかった。
監査部への正式な提出から、わずか三日後のことだった。
「ヴァイス殿、局長がお呼びです」
再びの呼び出しに、レオンは、これまでとは違う緊張を覚えながら、局長室へと向かった。
局長室に入ると、そこには、フォーグラーだけでなく、見覚えのない、身なりの整った初老の男が、同席していた。
「紹介しよう」フォーグラーは、これまでとは違う、冷ややかな口調で言った。「デルモン子爵だ」
レオンは、その名前に、内心で身構えた。目の前の人物こそが、これまで書類の上でしか知らなかった、不正の中心人物の一人だった。
「レオン・ヴァイス殿、南方戦線での活躍は、噂に聞いている」デルモン子爵は、落ち着いた声で言った。その態度には、フォーグラーのような、あからさまな威圧感はなかった。むしろ、どこか余裕すら感じさせる態度だった。
「恐れ入ります」
「単刀直入に言おう」デルモン子爵は言った。「君たちが、私とグラーツ商会について、何か調べているという話を聞いた」
レオンは、否定も肯定もせず、相手の出方を待った。
「誤解があるようだ」デルモン子爵は、続けた。「私がグラーツ商会に行った支援は、あくまで個人的な事業投資だ。局の契約に、不当な影響を与えたことは、一切ない」
「では、なぜ、局長を通さず、直接契約に署名をされたのですか」
その質問に、デルモン子爵の表情が、わずかに変わった。だが、すぐに元の落ち着いた様子に戻った。
「フォーグラー局長が、多忙だったため、便宜的に、私が代理で対応しただけだ」デルモン子爵は、淀みなく答えた。「何ら、不自然なことではない」
「価格の不自然な上乗せについては、どうお考えですか」
「市場の変動、輸送コストの上昇——様々な要因が絡んでいる」デルモン子爵は言った。「単純な価格比較だけで、不正と断定するのは、いささか乱暴ではないかな」
その反論は、レオンが予想していた通りの、慎重に用意されたものだった。証拠が固まりつつあることを、相手もすでに察知している——そのことが、この対応の周到さから、明確に読み取れた。
「一つ、忠告しておこう」デルモン子爵は、話を締めくくるように言った。「君は、まだ若い。将来性もある。この程度の調査で、自分の経歴に、不要な傷をつける必要はないと思うが」
その言葉には、これまでのフォーグラーの牽制とは違う、より直接的な——そして、より狡猾な圧力が込められていた。
「ご忠告、ありがとうございます」レオンは、感情を抑えながら答えた。「ですが、自分の職務を、全うするだけです」
デルモン子爵は、レオンの返答に、小さく笑みを浮かべた。
「……頑固なようだな。まあ、いい」
局長室を出たレオンは、これまでにない緊張と共に、この対面での出来事を、頭の中で整理していた。
(あの余裕、ただの虚勢じゃないな)
デルモン子爵の態度には、単なる不正の隠蔽以上の、何か確固たる自信のようなものが感じられた。それが、レオンの中に、新たな警戒心を生んでいた。
その夜、レオンはアレクシスに、この面会について報告した。
「デルモン子爵、直接出てきたか」アレクシスは、険しい表情で言った。「相当な自信があるようだな」
「証拠を全部否定したわけじゃない。だが、うまく言い逃れる準備は、しっかりしていた」
「これまでのフェルナン家とは、少し違うタイプの相手かもしれないな」アレクシスは言った。「感情的にならず、冷静に、法的な言い逃れを固めてくる」
「厄介な相手だ」
「だが、私たちには、数字という、揺るがない証拠がある」アレクシスは言った。「監査院も、正式に動き始めている。この状況で、簡単に手を引くわけにはいかないはずだ」
レオンは、その言葉に頷きながらも、これまでにない、慎重な緊張感を抱いていた。デルモン子爵という相手は、これまで戦ってきた誰よりも、狡猾で、そして手強い相手になるかもしれない。
帝都の夜、新たな敵との本格的な戦いが、静かに、しかし確実に、幕を開けようとしていた。




