第55話 若き文官の告白
仕事を終えた後、レオンはミハイルに連れられ、帝都の外れにある、静かな酒場を訪れた。
「ここなら、局の人間に見られる心配は少ないです」ミハイルは、周囲を確認しながら言った。
「随分と、用心深いな」
「用心しすぎるくらいで、ちょうどいいんです」ミハイルは、苦い表情で言った。「この局では」
席に着くと、ミハイルは、改めて話を切り出した。
「私が疑問を持っている商会、『グラーツ商会』といいます」
「聞いたことのない名前だな」
「表舞台には、あまり出てこない商会ですから」ミハイルは説明した。「主に、軍需物資の中でも、馬具や輸送車両の部品といった、地味な分野を扱っています」
「地味、というのが、逆に気になるな」
「その通りです」ミハイルは頷いた。「目立たない分野だからこそ、誰も、細かくチェックしない」
レオンは、その視点に、南方戦線で見てきた不正の構造との、共通点を感じた。派手な武器や食料ではなく、地味な部品や消耗品——目立たない部分にこそ、不正は隠れやすい。
「具体的に、どんな不自然さがあるんだ」
「調達価格です」ミハイルは言った。「グラーツ商会が納入する馬具の部品、他の商会と比べて、常に一割から二割ほど、高い価格で契約されています」
「その差額は、どこに?」
「そこまでは、私にも分かりません」ミハイルは、正直に答えた。「ただ、この契約を担当している上役が、グラーツ商会の関係者と、頻繁に会食をしているという噂は、耳にしています」
「上役の名前は?」
ミハイルは、少し躊躇した後、小声で答えた。
「……局長の、フォーグラー様です」
レオンは、その名前に、これまでの局での違和感を、改めて思い返した。局長という立場であれば、確かに、こうした不自然な契約を、握りつぶすことも容易だろう。
「証拠は、何か持っているのか」
「決定的なものは、まだありません」ミハイルは、悔しそうに言った。「ただ、契約書の写しと、価格の推移をまとめた資料なら、少しは」
「見せてもらえるか」
ミハイルは、慎重に、持参していた書類を取り出した。レオンは、その内容を、丁寧に確認した。
「……確かに、不自然な価格差がある」レオンは、資料を見ながら言った。「これだけでも、疑問を持つには十分だ」
「ヴァイス殿は、この件、どう思われますか」
レオンは、少し考えてから答えた。
「一つ、確認しておきたい」レオンは言った。「お前は、なぜ、これを俺に話す気になったんだ」
ミハイルは、しばらく沈黙した後、静かに言った。
「南方戦線での、あなたの噂を聞きました」ミハイルは言った。「輸送不正を暴き、証拠を集めて、正式な処分にまで持ち込んだ、と」
「それで?」
「私にも、同じことができるんじゃないかと思ったんです」ミハイルは、真剣な表情で言った。「ですが、一人では、どうすればいいか分からなくて」
レオンは、その言葉に、ケイレブから聞いた、父グランの若い頃の話を思い出した。正しいと思うことをしようとしても、一人では、どうにもならないことがある——それは、この帝国のあちこちに、共通する問題なのかもしれない。
「一人でやるのは、確かに危険だ」レオンは言った。「だが、俺も、一人でやってきたわけじゃない」
「……協力していただけるんですか」
「証拠が、もっと必要だ」レオンは、慎重に言った。「今の段階では、まだ、疑惑の域を出ない」
「では——」
「一緒に、集めよう」レオンは、はっきりと言った。「ただし、南方戦線での経験から言えるのは、慎重に、そして、一人で突っ走らないことだ」
ミハイルの表情に、確かな安堵と、そして決意が浮かんだ。
「ありがとうございます」
「礼はいい」レオンは言った。「これは、俺自身のためでもある。この局に来て早々、似たような不正の匂いを感じていたからな」
その夜、レオンはアレクシスに、ミハイルから得た情報を共有した。
「グラーツ商会、か」アレクシスは、資料に目を通しながら言った。「聞いたことのない名だが……確認してみる価値はありそうだ」
「フォーグラー局長についても、何か知っているか」
「名前は知っている」アレクシスは言った。「そこまで有力な貴族ではないが、局長という立場を、うまく利用しているという噂は、以前から耳にしていた」
「南方戦線のフェルナン家ほどの規模じゃない、ということか」
「規模は小さいかもしれない」アレクシスは言った。「だが、こういう小さな不正が、あちこちに積み重なっているとしたら——」
「帝国全体としては、かなりの規模になる、ということだな」
二人は、この新たな調査が、南方戦線での経験とは違う、より広範で、地道な戦いになることを、改めて認識していた。
「今回は、焦らずにいこう」レオンは言った。「証拠を、一つずつ、確実に積み上げる」
「それが、賢明だろうな」
帝都の夜、レオンとアレクシス、そして新たに加わったミハイルという協力者と共に、新たな調査が、静かに始まろうとしていた。
南方戦線で学んだ教訓を胸に、レオンは、この巨大な都市に潜む、もう一つの歪みへと、着実に歩を進め始めていた。




