第53話 帝都という迷宮
南方戦域から帝都へ向かう道のりは、士官学校を卒業して南へ向かった時とは、まるで違う感慨をレオンにもたらした。
馬車の窓から見える景色は、次第に、豊かな農地や、整備された街道へと変わっていく。南方の乾いた大地とは対照的な、帝国の中枢らしい光景だった。
「随分と、雰囲気が違うな」
隣に座るアレクシスに、レオンは思わず呟いた。
「帝都は、帝国の顔だ」アレクシスは言った。「南方や北方の戦線とは、違う種類の緊張が待っているぞ」
「戦場とは違う緊張、か」
「そうだ」アレクシスは、窓の外を見ながら続けた。「ここでは、剣ではなく、書類と言葉が武器になる」
帝都に到着したのは、それから数日後のことだった。
城壁に囲まれた巨大な都市。石造りの建物が整然と並び、行き交う人々の数も、これまでレオンが見てきたどの街よりも多かった。
「これが、帝都か」
レオンは、その規模に、思わず圧倒された。だが同時に、この豊かさの裏に、南方戦線で見てきたような、様々な歪みが潜んでいることも、レオンには容易に想像できた。
到着してすぐ、レオンとアレクシスは、それぞれの配属先へ向かうことになった。
「お前は、どこに配属されるんだ」レオンは尋ねた。
「軍務省の、政務局だ」アレクシスは言った。「軍と貴族社会の橋渡しをする部署、と言えばいいか」
「俺は?」
「軍需輸送管理局、と聞いている」アレクシスは言った。「お前の兵站の手腕を買っての配属だろう」
「栄転、と思っていいのか」
「さあな」アレクシスは、肩をすくめた。「実際に行ってみなければ、分からない」
二人は、しばらくの間だけ、帝都での再会を約束し、それぞれの部署へと向かった。
軍需輸送管理局は、帝都の一角にある、古びた庁舎の中にあった。レオンが足を踏み入れると、そこには、これまで見てきたどの場所とも違う、独特の空気が漂っていた。
「新任の、ヴァイスです」
レオンが声をかけると、書類の山に埋もれるようにして仕事をしていた文官が、顔を上げた。
「……ああ、南方から来たという」文官は、レオンを一瞥した後、興味なさそうに視線を戻した。「そこの席を使ってくれ。仕事は、追って説明する」
その素っ気ない対応に、レオンは、これまでの南方戦線での評価とは違う、帝都独特の温度差を感じ取った。
与えられた席に着くと、そこには、これまで見たこともないほどの量の書類が、山積みになっていた。
「……これは」
「軍全体の物資調達記録だ」別の文官が、通りすがりに説明した。「新任には、まず、これの整理から始めてもらう」
レオンは、その書類の山を見つめながら、内心で複雑な感情を抱いていた。南方戦線で、実戦を経験し、不正を暴き、多くの兵士を救った経験——それらが、ここでは、単なる「新任」としての扱いに埋もれてしまっているようだった。
(栄転じゃなくて、体のいい厄介払い、ってことか)
だが、レオンは、それを不満に思うより先に、目の前の書類に目を通し始めていた。士官学校時代から変わらない、現実主義的な姿勢だった。
(どんな仕事でも、やることは同じだ。まず、現状を把握する)
書類を読み進めるうちに、レオンは、すぐにいくつかの違和感に気づき始めた。
同じ物資が、複数の業者から、異なる価格で購入されている記録。使われている形跡のない倉庫への、継続的な維持費の支払い。そして——書類上の数字と、実際に南方戦線で目にした現実との、明確な乖離。
「……これ、南方戦線で見たのと、同じ匂いがするな」
レオンは、思わず呟いた。フェルナン家の一件は、決着した。だが、この帝国には、まだ、同じような歪みが、あちこちに潜んでいるのかもしれない。
その日の夕方、レオンは、久しぶりにアレクシスと顔を合わせる機会を得た。帝都の片隅にある、小さな食堂だった。
「どうだった、初日は」アレクシスが尋ねた。
「山のような書類を渡されて、それだけだ」レオンは、苦笑しながら答えた。「だが、その書類の中に、色々と気になる数字がある」
「早速か」アレクシスは、呆れたように、しかしどこか予想していたように言った。
「お前の方は?」
「似たようなものだ」アレクシスは言った。「政務局は、貴族たちの利害調整が主な仕事だ。派閥、家格、利権——士官学校時代に見てきたものが、もっと大きな規模で、渦巻いている」
二人は、しばらくの間、それぞれが見てきた帝都の実態について、情報を交換し合った。
「南方は、一つの戦線だった」レオンは言った。「だが、ここは——」
「帝国そのものの縮図だ」アレクシスが、言葉を引き取った。「これまでとは、桁違いの規模の問題が、待っている」
レオンは、その言葉に、改めて気を引き締めた。士官学校での学び、南方戦線での実戦——それらすべてが、この帝都での戦いのために、積み重ねられてきたのかもしれない。
「一つずつ、やるしかないな」レオンは、静かに言った。
「そうだな」アレクシスも、頷いた。
帝都の夜は、南方の戦場とは違う、静かで、しかし確かな緊張を孕んでいた。レオンとアレクシス、二人の新たな戦いが、この巨大な都市で、今、始まろうとしていた。




