第44話 廃屋にて
扉は、思ったよりも軽く開いた。
中は薄暗く、埃と、かすかなカビの臭いが漂っていた。レオンは、目を凝らしながら、慎重に足を踏み入れた。
「……誰か、いるか」
小声で呼びかけると、奥の方から、くぐもった声が返ってきた。
「……そこにいるのは、誰だ」
その声に、レオンは聞き覚えがあった。
「ドノヴァンさん!」
レオンは、声のする方向へ、急いで駆け寄った。薄暗い部屋の隅、縄で縛られたドノヴァンが、壁にもたれかかるようにして座っていた。
「……ヴァイス殿、か。まさか、来てくれるとはな」
「大丈夫ですか! 怪我は」
「殴られて、少し痛めた程度だ」ドノヴァンは、力なく笑った。「命に別状はない」
レオンは、急いで縄を解き始めた。その間、アレクシスとハーケンは、周囲を警戒していた。
「異常なし。見張りは、本当にいないようだ」ハーケンが、小声で報告した。
「油断はするな」アレクシスは、緊張を緩めずに言った。
縄を解かれたドノヴァンは、体をゆっくりと伸ばしながら、深く息を吐いた。
「……何が、あったんですか」
レオンが尋ねると、ドノヴァンは、疲れた表情で語り始めた。
「数日前、駐屯地の外で、見知らぬ男たちに囲まれた。抵抗する間もなく、ここに連れてこられた」
「誰が指示していたか、分かりますか」
「顔は見たが、名前までは分からん」ドノヴァンは首を振った。「ただ、一つ、聞こえた言葉がある」
「何ですか」
「『フェルナン様の指示だ』と、男たちの一人が、口にしていた」
レオンとアレクシスは、顔を見合わせた。これで、フェルナン家が、直接この件に関与している証拠が、また一つ増えたことになる。
「なぜ、あなたが狙われたんでしょうか」
「……あんたに、監視の話をしたことが、知られたんだろうな」ドノヴァンは、苦い表情で言った。「見せしめ、というやつだ」
レオンは、その言葉に、強い罪悪感を覚えた。
「すみません、俺のせいで——」
「謝るな」ドノヴァンは、レオンを遮った。「俺は、自分の意思で、あんたに情報を渡した。後悔はしていない」
その言葉に、レオンは、胸を締め付けられる思いだった。
「早く、ここを離れよう」アレクシスが、状況を切り上げるように言った。「長居は、危険だ」
「歩けますか」レオンは、ドノヴァンに手を貸しながら尋ねた。
「……何とかな」
一行は、慎重に廃屋を後にし、駐屯地への帰路についた。道中、ドノヴァンの体調を気遣いながら、一行は可能な限り急いだ。
「無事に連れ戻せて、良かった」
駐屯地が見えてきた頃、レオンは、ようやく安堵の息を吐いた。
「まだ、終わっていない」アレクシスは、油断なく言った。「フェルナン家が、これほど直接的な行動に出たということは、追い詰められている証拠でもある」
「追い詰められている、というのは?」
「証拠が、それだけ有力だということだ」アレクシスは言った。「もし、告発の内容が根拠のないものであれば、わざわざこんな危険を冒して、人を拉致する必要はない」
その分析に、レオンは、一つの確信を深めた。自分たちの調査は、確実に、フェルナン家の核心に迫りつつあった。
駐屯地に戻ったレオンたちは、すぐに医務室へドノヴァンを運び、治療を受けさせた。大きな怪我はなかったものの、数日の安静が必要だと診断された。
「今回の一件、正式な報告として、監査部に提出しよう」アレクシスは言った。「ドノヴァン殿の拉致は、フェルナン家が、告発を握りつぶすために、証人への圧力をかけようとした証拠にもなる」
「危険は、増すだろうな」レオンは、覚悟を決めた表情で言った。
「ああ」アレクシスは、頷いた。「だが、ここで引けば、これまでの努力が、すべて無駄になる」
その夜、レオンは、治療を終えたドノヴァンを見舞った。
「ヴァイス殿」ドノヴァンは、横になったまま、レオンに声をかけた。「一つ、言っておきたいことがある」
「何でしょうか」
「あんたの親父さんが、若い頃、この不正を止めようとして、大切なものを失った話は、知ってるな」
「はい」
「それでも、あんたが、同じ道を歩もうとしているのは……正直、心配だ」ドノヴァンは、真剣な表情で言った。「だが、それ以上に、応援したい気持ちもある」
「ありがとうございます」
「命だけは、大事にしろよ」
その言葉に、レオンは、静かに頷いた。
ドノヴァンの拉致という、これまでで最も直接的な危険を経験したことで、レオンとアレクシスの中には、これまで以上に強い緊張感と、そして——確かな決意が、固まりつつあった。
フェルナン家との戦いは、いよいよ、後戻りのできない段階に入ろうとしていた。




