第41話 告発への一歩
実家を発つ前夜、レオンは木箱の中身を、改めてじっくりと確認した。
古い契約書の写し。輸送費の内訳を記した帳簿。そして、フェルナン家の代理人と、メルツ商会の間で交わされた、密かな取り決めを示す書簡——それらは、父グランが、命がけで集めた証拠だった。
「これだけあれば……」
レオンは、書類を一枚一枚、丁寧に確認しながら、証拠としての価値を見極めていった。士官学校で培った分析力が、ここでも役立っていた。
翌朝、レオンは父に見送られながら、南方戦域への帰路についた。
「気をつけてな」
グランの言葉には、これまでにない、素直な心配が滲んでいた。
「必ず、無事に戻ります」
レオンは、父に一礼すると、馬に乗り、駐屯地への道を進み始めた。
数日後、駐屯地に到着したレオンを、アレクシスが出迎えた。
「戻ったか。首尾は?」
「父から、証拠を受け取った」レオンは、持ち帰った木箱を見せた。「契約書、帳簿、そして——書簡もある」
アレクシスは、その内容を一つずつ確認し、表情を険しくしていった。
「……これは、想像以上だな」
「フェルナン家とメルツ商会の関係、これで、ほぼ明確に立証できる」
「問題は、これをどう使うかだ」アレクシスは、慎重に言った。「先日の将官の言葉、覚えているか。証拠があれば対処する、と言っていたが……」
「額面通りに受け取っていいのか、疑問はある」
「そうだ」アレクシスは頷いた。「フェルナン家は、軍上層部にも影響力を持っている。正式なルートで提出すれば、握りつぶされる危険がある」
「では、どうする」
アレクシスは、しばらく考え込んだ後、口を開いた。
「複数のルートから、同時に情報を流す」
「複数のルート?」
「軍の正式な監査ルートに加えて、私の家——レーヴェン伯爵家からも、同時に問題提起を行う」アレクシスは言った。「フェルナン家と対立する派閥は、宮廷内にも存在する。そこにも、情報を届ける」
「お前の家を、巻き込むことになるぞ」
「構わない」アレクシスは、はっきりと言った。「これは、私自身の問題でもある。フェルナン家のような貴族が、責任を果たさず私腹を肥やす——それこそが、私が変えたいと思っている、この帝国の歪みそのものだ」
レオンは、アレクシスの決意を、静かに受け止めた。二人の思想の違いは、依然として存在する。だが、この一点において、二人の目指す方向は、完全に一致していた。
「一つ、確認しておきたい」レオンは言った。「もし、これが表沙汰になれば、お前の家にも、何らかの影響が及ぶ可能性がある。それでもいいのか」
「覚悟の上だ」アレクシスは、迷いなく答えた。「不正を見過ごすことの方が、私にとっては、より大きな問題だ」
二人は、証拠を基に、告発のための正式な書類を作成する作業に取りかかった。契約書の写し、帳簿の分析結果、そして書簡の内容——それらを、誰が見ても明確に理解できる形に整理していく作業は、慎重かつ緻密なものだった。
「この帳簿の数字、士官学校時代に俺が見つけた不自然なコストと、完全に一致する」レオンは、資料を見比べながら言った。
「これで、士官学校時代からの不正が、継続的に行われていたことも、証明できるな」
数日をかけて、二人は告発のための資料を完成させた。だが、これを実際に提出する段階になって、新たな懸念が持ち上がった。
「誰を通じて、これを提出する?」レオンは尋ねた。
「軍の監査ルートには、先日会った将官を通す」アレクシスは言った。「彼は、少なくとも、不正の噂そのものは把握していた。証拠があれば、無視はできないはずだ」
「宮廷への働きかけは?」
「私が、直接、父に手紙を書く」アレクシスは言った。「レーヴェン家として、フェルナン家の問題を、正式に取り上げてもらうよう、要請する」
「お前の父上は、この件をどう受け止めると思う?」
アレクシスは、少し考えてから答えた。
「歓迎はしないだろう。だが、拒否もしないはずだ。フェルナン家との対立は、以前から、家同士の因縁もある」
準備が整い、告発のための書類が、二つのルートへ、それぞれ送られることになった。
「これで、動き出したな」レオンは、送り出した書類を見送りながら、静かに呟いた。
「ここからが、本当の勝負だ」アレクシスは言った。「フェルナン家が、黙って引き下がるとは思えない」
レオンは、その言葉に、緊張と共に、確かな覚悟を感じていた。証拠を提出したことで、これまで以上に、レオンとアレクシス、そして彼らに関わる人々に、危険が及ぶ可能性が高まっていた。
「一つ、聞いていいか」レオンは言った。「お前は、なぜここまで、俺に協力してくれるんだ」
アレクシスは、少し考えてから答えた。
「士官学校時代、私は、君のやり方を『危うい』と言った」アレクシスは言った。「だが、今回のことで、確信した。正しいことを、正しい方法で進める——それが、必ずしも矛盾しないこともある、と」
「……お前らしい、回りくどい言い方だな」
「褒め言葉として受け取っておけ」
二人は、小さく笑い合った。だが、その笑顔の裏には、これから始まるであろう、困難な戦いへの緊張が、確かに存在していた。
南方の空に、これまでとは違う種類の嵐が、静かに近づいてきていることを、レオンは、肌で感じ始めていた。




