第38話 ケイレブという男
店の扉を開けると、干し草と香辛料の混じった匂いが、レオンの鼻をくすぐった。
店内は、思ったよりも奥行きがあり、様々な交易品が整然と並べられていた。カウンターの奥には、白髪混じりの初老の男が、帳簿らしきものに目を通していた。
「いらっしゃい」
男は顔を上げ、レオンとハーケンを一瞥した。軍服姿の二人に、わずかに警戒の色を見せた。
「ケイレブ殿でしょうか」
「……そうだが。何の用だ、士官様」
レオンは、慎重に言葉を選んだ。
「私は、グラン・ヴァイスの息子、レオンと申します」
その名前を聞いた瞬間、ケイレブの表情が、明らかに変わった。
「……グランの、息子?」
「はい。父から、あなたを訪ねるようにと」
ケイレブは、しばらくレオンの顔をまじまじと見つめた。
「……なるほど、確かに面影がある」ケイレブは、小さくため息をついた。「まさか、この歳になって、あいつの息子に会うとはな」
「少し込み入った話がありまして」
ケイレブは、店の奥に視線をやり、そこにいた若い店員に声をかけた。
「少し店番を頼む。裏で話がある」
レオンとハーケンは、ケイレブに案内され、店の奥にある小さな部屋へと通された。
「同行の方は?」ケイレブが、ハーケンを見て尋ねた。
「信頼できる人間です」
「……分かった」
三人が席に着くと、ケイレブは、改めてレオンに向き直った。
「それで、何が知りたい」
「フェルナン家と、メルツ商会について、教えていただきたいんです」
その名前を聞いた瞬間、ケイレブの表情が、再び険しくなった。
「……それは、かなり危険な話題だぞ」
「知っています。ですが、南方戦線での輸送不正、そして、士官学校時代に見つけた輸送コストの異常——両方に、この二つの名前が関わっている疑いがあります」
ケイレブは、しばらく沈黙した。何かを迷っているような様子だった。
「グランは、お前に、どこまで話したんだ」
「詳しいことは、何も。ただ、あなたに聞けと」
ケイレブは、深いため息をついた。
「……あいつらしいな。自分では言わずに、俺に押し付けてくる」
「教えていただけますか」
ケイレブは、しばらく考え込んだ後、静かに語り始めた。
「フェルナン家は、代々、南部の交易路を管理する立場にある。その利権を使って、メルツ商会と結託し、軍への物資輸送を、実際よりも高い価格で請け負わせている。差額は、双方で分け合う仕組みだ」
「証拠は、どこにあるんですか」
「昔、私も、その仕組みに関わっていた」ケイレブは、苦い顔で言った。「グランと私は、若い頃、共にこの南方で商売をしていた。だが、フェルナン家のやり方に、限界を感じて、手を引いたんだ」
「父も、その不正に関わっていたということですか」
「関わっていた、というより……気づいてしまった、というのが正しい」ケイレブは言った。「そして、それを正そうとした」
レオンは、息を呑んで、続きを待った。
「グランは、当時、この不正を上に告発しようとした」ケイレブは続けた。「証拠を集め、正式なルートで、報告しようとしていた」
「それで、どうなったんですか」
ケイレブは、しばらく沈黙した後、レオンの目をまっすぐに見て言った。
「その直後、お前の母親が、事故で亡くなった」
レオンは、その言葉に、全身が凍りつくような感覚を覚えた。
「……事故、ですか」
「表向きはな」ケイレブの声は、低く、重かった。「馬車の事故、ということになっている。だが、当時から、不自然な点が多いと、噂されていた」
「フェルナン家が、関わっていると?」
「証拠はない」ケイレブは、慎重に言葉を選んだ。「だが、グランがその後、告発を完全に取り下げたことは、事実だ」
レオンは、拳を強く握りしめた。これまで漠然と抱いていた「貴族が母の死に関わっている」という認識——それが、初めて、具体的な輪郭を持って、目の前に現れていた。
「父は、なぜ、そのことを俺に話さなかったんでしょうか」
「……お前を、この件から、遠ざけたかったんだろう」ケイレブは言った。「グランは、あの一件以来、商売のやり方を大きく変えた。目立たず、波風を立てず、生きてきた。お前を、危険な世界に巻き込みたくなかったんだと思う」
レオンは、これまで厳格だった父の姿を、思い返していた。「数字を間違えるな」「客の命を預かっていると思え」——そうした教えの裏に、これほどの過去が隠されていたとは、思いもよらなかった。
「一つ、聞いてもいいですか」レオンは言った。「今回、俺が同じことを調べていると知ったら、父は、どう思うでしょうか」
ケイレブは、少し困ったような表情を浮かべた。
「……止めたいと思うだろうな。だが同時に」
「同時に?」
「あいつが、若い頃にできなかったことを、お前が成し遂げることを、内心では願っているかもしれない」
その言葉に、レオンは、胸の奥に、複雑な感情がこみ上げるのを感じた。悲しみ、怒り、そして——確かな決意。
「ケイレブさん、証拠になるようなものは、何か残っていませんか」
「私の手元には、もうない」ケイレブは首を振った。「だが、心当たりがないわけじゃない」
「教えてください」
「グラン自身が、当時集めていた証拠。もし処分していなければ、まだどこかに残っているかもしれない」
レオンは、そのわずかな可能性に、確かな光を見出した。
(親父に、直接聞くしかないのか)
これまで避けてきた、父との対話——それが、この調査の、次なる鍵になろうとしていた。
窓の外は、すでに夜の帳が下りていた。バロンでの短い滞在は、レオンにとって、これまでの人生観を大きく揺るがす、重い一夜となった。




