第36話 見えない視線
父への手紙を送ってから五日が過ぎていた。返信はまだ届いていない。
その間、レオンとアレクシスは、表向きの職務をこなしながら、慎重に調査を続けていた。だが、ある日を境に、レオンは周囲の視線に、微妙な変化を感じ始めていた。
「最近、ラドフォード殿の様子がおかしくないか」
ある夜、部下の一人が、何気なくそう漏らした。
「どう、おかしいんだ」
「妙に、士官殿の動向を気にしているような」
レオンは、その言葉に、内心で警戒を強めた。
翌日、レオンが倉庫の記録を確認しに行くと、いつもは無愛想なドノヴァン老兵が、珍しく声をかけてきた。
「ヴァイス殿、少しいいか」
「何でしょう」
ドノヴァンは、周囲を確認するように視線を巡らせてから、声を落とした。
「最近、あんたとレーヴェン殿の動きを、気にしている人間がいるようだ」
「誰です」
「名前までは言えん。だが、駐屯地内の、それなりの立場にいる人間だ」
レオンは、その情報に、緊張を隠せなかった。
「なぜ、それを俺に教えてくれるんですか」
「……昔の恩、ってやつだ」ドノヴァンは、ぶっきらぼうに言った。「あんたの親父さんには、若い頃、世話になったことがある」
「父に?」
「詳しくは、本人から聞け。俺の口からは言えん」
その謎めいた答えに、レオンはさらに強い興味を抱いたが、ドノヴァンはそれ以上語ろうとしなかった。
「気をつけろ。この件、掘り下げるほど、危険が増すぞ」
その警告を残し、ドノヴァンは仕事に戻っていった。
レオンは、この情報を、すぐにアレクシスに伝えた。
「監視されている、ということか」アレクシスは、険しい表情を浮かべた。
「確証はない。だが、警戒するに越したことはない」
「これまで通りの方法では、危険かもしれないな」
二人は、これまでの情報収集の方法を、改めて見直すことにした。表立った動きを控え、より慎重に、痕跡を残さない形で調査を進める必要があった。
「経理部門への接触は、完全に諦めるべきだろう」アレクシスは言った。「他に、証拠を得る方法を考えないと」
「商人ルートから、何か掴めないか」レオンは提案した。「メルツ商会と、実際に取引している別の商人がいれば、その人物から、間接的に情報を得られるかもしれない」
「心当たりは?」
「南方戦域には、多くの商人が出入りしている。父の伝手を頼れば、何か見つかるかもしれない」
その時、レオンのもとに、ようやく待ちわびていた知らせが届いた。
「レオン殿、手紙が届いています」
差出人を確認すると、父グランからの返信だった。レオンは、逸る気持ちを抑えながら、封を開けた。
『レオンへ
お前が調べている件について、心当たりがある。詳しいことは、手紙では書けない。危険すぎる話だからだ。
もし本気で調べるつもりなら、南方の交易都市バロンにいる、ケイレブという商人を訪ねろ。彼は、私の古い知人だ。フェルナン家とメルツ商会の関係について、お前が知る必要のあることを、教えてくれるはずだ。
だが、一つだけ言っておく。この件は、お前が思っているより、根が深い。母さんのことにも、関わってくるかもしれない』
レオンは、その最後の一文に、息を呑んだ。
(母さんのこと……?)
これまで、母の死に関わったのは「ある貴族」としか、レオンは知らされていなかった。だが今、その謎が、目の前の輸送不正の調査と、繋がろうとしていた。
「どうした」
レオンの様子に、アレクシスが気遣うように尋ねた。
「……父から、手紙が来た」レオンは、内容を要約して伝えた。「バロンという交易都市に、ケイレブという商人がいるらしい。そこに、詳しい事情があるようだ」
「母上の件にも、関わると?」
「そう書いてある」
アレクシスは、しばらく沈黙した後、静かに言った。
「これは、お前一人の問題じゃなくなってきているな」
「どういう意味だ」
「輸送不正、貴族の利権、そして——お前の母上の死。もし、これらすべてが繋がっているなら、この調査は、単なる不正追及以上の意味を持つことになる」
レオンは、その言葉を、重く受け止めた。これまで、漠然とした貴族への嫌悪感の根底にあった、母の死の真相——その手がかりが、思いがけない形で、目の前に現れようとしていた。
「バロンへは、すぐに行けるのか」
「今の任務を抱えたままでは難しい」レオンは言った。「休暇を取るか、あるいは別の理由をつけて、訪れる必要がある」
「私が、何とか調整しよう」アレクシスは言った。「北方からの援軍という立場を利用すれば、多少の融通は利くはずだ」
「頼めるか」
「これは、私自身の問題でもある」アレクシスは、静かに、しかしはっきりと言った。「フェルナン家が本当に関わっているなら、それを明らかにすることは、私にとっても、避けて通れない道だ」
二人は、それぞれの決意を、改めて確認し合った。
母の死の真相、そして帝国に潜む根深い不正——レオンにとって、これまでで最も重要な岐路が、今、目の前に迫ろうとしていた。
窓の外、南方の乾いた風が、静かに吹き抜けていく。この風の先に、レオンが長年抱えてきた疑問への答えが、待っているのかもしれなかった。




