第32話 狙われた仕組み
カルディオへの進軍は、七日目に入っていた。
都市まで残すところ、あと二日の行程。帝国軍は、これまでのところ、大きな抵抗を受けることなく進撃を続けていた。だが、その順調さこそが、レオンの警戒心を強めていた。
「相変わらず、敵の抵抗がほとんどありません」
偵察部隊からの報告に、アレクシスも眉をひそめた。
「これほど整然とした後退は、単なる劣勢とは思えない」
「意図的な誘導だと思う」レオンは言った。「敵は、俺たちを深く引き込んでから、何かを仕掛けてくるはずだ」
その予感は、その夜、現実のものとなった。
「後方から緊急報告! 補給路の橋が、破壊されました!」
伝令の声に、仮設本部の空気が一変した。
「どの橋だ」
「進軍路の要となっている、川沿いの橋です。修復には、数日を要するとのことです」
レオンは、即座に地図を確認した。破壊された橋は、まさに輸送隊が必ず通過しなければならない、重要な経路上にあった。
「他にルートは?」
「迂回路はありますが、距離が大幅に伸びます」
「……来たか」
レオンは、静かに呟いた。これまで警戒していた通り、敵は正面からの戦闘ではなく、帝国軍を支える仕組みそのものを狙ってきていた。
「アレクシス、これは始まりに過ぎないと思う」
「同感だ」アレクシスも頷いた。「敵は、私たちの補給線そのものを、標的にしている」
案の定、それから数日の間に、同様の報告が相次いだ。
「街道の要所で、輸送隊が襲撃されました」
「食料庫の一つが、放火されたとの報告です」
「別の橋も、破壊工作の跡が見つかりました」
サルディア連合軍は、帝国軍本隊との正面衝突を避け、徹底して補給線を狙う戦術を取っていた。街道の封鎖、橋の破壊、輸送隊への奇襲——それらすべてが、帝国軍の進軍能力を、確実に削いでいった。
「これは、俺たちがやってきたことと、同じだ」
レオンは、思わずそう漏らした。士官学校時代から、そして南方戦線に来てからも、レオンは常に「敵の補給線を狙う」ことを、有効な戦術として考えてきた。今、その戦術を、逆に自分たちが仕掛けられていた。
「敵の指揮官、相当な知恵者だな」アレクシスが言った。
「……こいつら、俺と同じことを考えてる」
レオンは、その事実に、複雑な感情を抱いた。これまで、サルディア連合を、単なる「後退を続ける弱い敵」として、どこかで見くびっていた部分があったのかもしれない。だが、実際には、こちらの弱点を的確に見抜き、効果的な戦術を取る、優れた相手だった。
「敵の情報、何か掴んでいるか」レオンは尋ねた。
「捕虜からの証言によると、指揮官は、複数の都市国家から選出された、連合軍の将軍らしい」偵察担当の兵士が答えた。「名は、確認できていません」
「単なる寄せ集めじゃない、ってことか」
レオンは、これまでの認識を改めざるを得なかった。サルディア連合は、一枚岩ではない。だが、少なくともこの戦線においては、明確な統率の取れた戦術が展開されていた。
補給状況は、日を追うごとに悪化していった。
「食料の残量、あと四日分です」
「予備の矢も、底を突きかけています」
次々と届く報告に、仮設本部の空気は、重苦しいものになっていった。
「レオン」アレクシスが、静かに切り出した。「この状況、もう明白だと思う」
「ああ」レオンは頷いた。「これ以上の進軍は、部隊を危険に晒すだけだ」
二人は、これまでの記録と現状の分析をまとめ、正式な報告として、司令部へ提出する準備を始めた。
「撤退を進言する、ということでいいな」アレクシスが確認した。
「ああ。だが——」
「だが?」
「これが、簡単に受け入れられるとは思っていない」
その予想は、的中することになる。
翌日、レオンとアレクシスは、南方軍司令部へ、正式に撤退の進言を行った。だが、返ってきた反応は、二人が想定していた以上に厳しいものだった。
「撤退だと? カルディオまで、あと二日の距離だぞ」
司令部の上級士官は、二人の報告に対し、明確な不快感を示した。
「補給状況を鑑みれば、これ以上の進軍は、部隊の壊滅を招きかねません」レオンは、冷静に説明を続けた。「都市を奪取できたとしても、その後の維持は、現状の物資では不可能です」
「弱腰なことを言うな。ここまで来て、撤退すれば、これまでの犠牲が無駄になる」
「これ以上進めば、犠牲はさらに増えます」
アレクシスも、レオンの主張を支持する発言をしたが、上級士官の態度は変わらなかった。
「撤退の決定は、私の権限を超えている。中央の判断を仰ぐ必要がある」
「その間にも、状況は悪化し続けます」
「……分かっている。だが、勝手な判断は許されない」
その日の会議は、結論が出ないまま終わった。レオンとアレクシスは、重い足取りで仮設本部へと戻った。
「思った通りだな」レオンは、苦々しく呟いた。
「これで終わりじゃない」アレクシスは言った。「今回の件、正式な記録として残った。これは、次の判断材料になる」
「悠長なことを言ってる場合か? 今この瞬間も、兵士たちは飢えかけてる」
「分かっている」アレクシスの声にも、珍しく苛立ちが滲んでいた。「だが、組織を無視して独断で動けば、それこそ収拾がつかなくなる」
二人の間に、久しぶりに緊張が走った。だが、それは以前のような対立ではなく、共に困難な状況に直面する者同士の、焦りに近いものだった。
「……悪い」レオンが先に言った。「お前に当たっても、仕方ない」
「いや」アレクシスも、小さく息を吐いた。「私も、余裕がなかった」
二人は、しばらく無言で、暗くなっていく空を見上げていた。
補給の限界、頑なな中央の判断、そして迫りくる敵の圧力——南方戦線は、これまでで最も困難な局面を迎えようとしていた。




