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豪商生まれのただの平民士官【帝国改革記】  作者: 橘秀斗
南方戦域

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第30話 順調という名の消耗

 大攻勢は、夜明けと共に開始された。


 帝国軍南方戦域の複数の師団が、一斉に前進を始める。太鼓の音、行軍する兵士たちの足音、そして荷馬車の車輪の軋み——駐屯地全体が、これまでにない規模の動きに包まれていた。


 レオンの所属する第七師団も、進軍部隊の一角を担っていた。レオンは兵站担当として、輸送隊の統括を任されていた。


「初日の進軍、予定より早いペースです」


 伝令からの報告に、レオンは地図を確認しながら頷いた。


「敵の抵抗は?」


「ほとんどありません。サルディア軍は、後退を続けています」


 この報告は、駐屯地全体に楽観的な空気を広げた。


「思ったより、楽な戦いになりそうだな」


 周囲の兵士たちから、そんな声も聞こえてくる。だがレオンは、その空気に、素直に乗ることができずにいた。


 (後退が早すぎる)


 士官学校で学んだ知識が、レオンに警告を発していた。敵が抵抗もせずに後退を続けるのは、必ずしも味方の優勢を意味しない。むしろ、意図的に誘い込まれている可能性を、レオンは疑っていた。


「補給部隊の状況を、確認してくれ」


 レオンは、輸送隊を担当する部下に指示を出した。


「現在のところ、順調です。ただ——」


「ただ?」


「進軍速度に、輸送隊の移動がやや追いついていません」


 その報告に、レオンは眉をひそめた。


 進軍二日目、三日目と、状況は同じ調子で続いた。帝国軍は、次々と敵の陣地を無血で占領し、いくつかの小都市を制圧していった。


「順調すぎる」


 レオンは、自分の中の違和感を、上官である中隊長に伝えた。


「懸念があります。敵の後退が、あまりにも整然としすぎています」


「戦果を見れば、順調な進軍だ。何を懸念している?」


「補給線が、想定以上に伸びています。このペースで進軍を続ければ、後方からの補給が、前線に追いつかなくなる時期が来ます」


「まだ余裕はあるだろう」


「余裕があるうちに、対策を考えておくべきだと思います」


 中隊長は、レオンの懸念を一応記録に留めたものの、進軍そのものを止める判断には至らなかった。戦果を求める上層部の圧力が、現場にも確実に及んでいることを、レオンは肌で感じていた。


 進軍五日目、状況に変化が現れ始めた。


「輸送隊、道路の悪化により、進行が大幅に遅延しています」


 レオンが懸念していた通り、伸びきった補給線に、綻びが見え始めていた。舗装されていない道が、多数の荷車の往来によって荒れ、輸送速度がさらに落ちていく悪循環に陥っていた。


「馬の消耗も、報告されています。数頭が、疲労のため使用不能に」


 次々と届く報告に、レオンは唇を噛んだ。


 (進軍が進むほど、状況が悪化していく)


 戦果だけを見れば、帝国軍は確かに勝利を重ねていた。奪還した都市の数、後退させた敵軍——数字の上では、輝かしい成果だった。だが、レオンが注視していたのは、別の数字だった。


 負傷兵の増加。


 輸送効率の低下。


 馬の消耗率。


 食料消費の増大に対する、補給の遅延。


「……勝っているのに、軍隊が死んでいく」


 レオンは、地図を前に、思わずそう呟いていた。


「何か言ったか」


 隣にいた部下が尋ねた。


「いや」レオンは首を振った。「このままの進軍ペースは、危険だと思う」


「ですが、上からの命令では、目標のカルディオまで、進軍を続けるようにと」


「分かってる」


 レオンは、自分の立場の限界を、改めて感じていた。兵站の専門知識を持ち、懸念を的確に指摘できても、最終的な作戦の決定権は、レオンにはなかった。


 進軍六日目の夜、レオンは駐屯地の仮設本部で、これまでの記録を整理していた。


 (このペースだと、あと三日でカルディオに到達する。だが、その時点での補給状況は——)


 試算を進めるほど、レオンの表情は険しくなっていった。カルディオに到達した時点で、部隊の物資は、防衛戦を維持するのに十分な量を大きく下回る可能性が高かった。


「奪取はできても、維持できない」


 レオンは、その結論を、翌朝改めて中隊長に報告することにした。


 だがその夜、レオンのもとに、思いがけない報告が届いた。


「後方から、援軍が到着するとの連絡です」


「援軍? どこから」


「北方戦線から、一部兵力が南方へ派遣されると。詳細は明日、正式に通達されるそうです」


 レオンは、その情報に、わずかな期待を抱いた。だが同時に、一つの名前が、頭をよぎっていた。


 (北方から……まさか)


 翌朝、正式な通達と共に、援軍として派遣される部隊の指揮官名が伝えられた。


「アレクシス・フォン・レーヴェン殿、率いる部隊」


 レオンは、その名前を聞いて、思わず息を呑んだ。


 士官学校を卒業して以来、初めての再会が、こんな形で訪れようとしていた。


 だが、再会を喜ぶ余裕は、今のレオンにはなかった。目の前の補給問題は、援軍が来たからといって、すぐに解決するものではない。むしろ、援軍を受け入れることで、さらに物資の消費が増える可能性すらあった。


 (喜んでばかりもいられないな)


 複雑な感情を抱えながら、レオンは、迫りくる困難な状況に、改めて向き合う準備を始めた。


 カルディオへの進軍と、迫る補給の限界。そして、アレクシスとの再会——南方戦線は、いよいよ大きな転換点を迎えようとしていた。

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