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豪商生まれのただの平民士官【帝国改革記】  作者: 橘秀斗
南方戦域

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第29話 大攻勢の命令

 南西戦線での一件から、レオンの中で、これまでとは違う緊張感が芽生えていた。自分の判断が、想像以上に広い範囲へ影響を及ぼす——その事実を、身をもって知ったからだった。


 それから半月ほどが過ぎた頃、駐屯地に、一つの重大な命令が届いた。


「南方軍全体に、大規模攻勢の命令が下った」


 中隊長からの発表に、駐屯地内は騒然となった。


「大規模攻勢……目標はどこですか」


「サルディア連合の要衝、港湾都市カルディオ。ここを奪取することで、交易路の確保と、敵補給拠点の破壊を狙う」


 レオンは、その名前を聞いて、地図を思い浮かべた。カルディオは、現在の前線から、かなりの距離がある都市だった。


「中隊長、質問があります」


「言ってみろ」


「現在の補給能力で、カルディオまでの進軍と、その後の維持は可能でしょうか」


 中隊長は、一瞬言葉に詰まった。


「……それを検討するのが、お前の仕事の一つになる」


 その日の夜、レオンは早速、大攻勢に必要な物資量の試算に取りかかった。距離、地形、予想される戦闘の規模、そして——これまで見てきた輸送の実態。すべてを踏まえた上で、レオンは計算を進めていった。


 数時間後、レオンの表情は険しくなっていた。


 (これは……無理がある)


 試算の結果、現状の輸送能力と物資量では、カルディオまでの進軍途中で、補給が破綻する可能性が高いことが分かった。特に、進軍が長引けば長引くほど、その危険性は増していく。


 翌朝、レオンは自分の試算結果を持って、中隊長のもとへ向かった。


「中隊長、大攻勢について、懸念があります」


「聞こう」


 レオンは、自分の計算結果を丁寧に説明した。距離による補給線の伸長、道路状況の悪化、消耗品の補充速度——数字を並べた説明は、これまでの実績もあって、説得力を持っていた。


「つまり、お前の見立てでは、この攻勢は無謀だと?」


「無謀とまでは言いません。ですが、現状の補給体制のままでは、都市を奪取できたとしても、その後の維持が困難になる可能性が高いです」


「……その意見、正式な報告として、上げてもいいか」


「もちろんです。ですが」


「ですが?」


「これは、あくまで兵站の観点からの意見です。政治的、あるいは戦略的な事情で、攻勢自体が必要とされているなら、自分の意見だけで覆るものではないと思います」


 中隊長は、レオンをしばらく見つめた後、頷いた。


「……お前も、少しは分かってきたようだな」


 レオンの試算は、正式な報告として、南方軍司令部へ上げられた。だが、数日後に返ってきた回答は、レオンの予想通りのものだった。


「攻勢は、予定通り実施する」


 その決定を聞いた時、レオンは正直、落胆した。だが同時に、士官学校時代の経験から、この結果もある程度予想していた。


「なぜ、これほど明確な懸念があっても、攻勢を続けるんでしょうか」


 レオンは、思わず中隊長に尋ねた。


「理由は、私にも完全には分からん」中隊長は正直に言った。「だが、一つ言えるのは——帝国軍が、これ以上後退を続けることを、中央が許容できない状況にある、ということだ」


「威信の問題、ということですか」


「それもある。だが、それだけじゃないだろう。この戦線が崩れれば、他の国境——北方や東方にも、影響が及びかねない。帝国が弱いと見なされれば、あらゆる方面で危険が増す」


 レオンは、その説明に、以前アレクシスと交わした議論を思い出していた。「戦争をやめることを恐れている国」という、帝国の構造的な問題——それが、今、目の前の攻勢命令という形で、レオンの前に現れていた。


「攻勢が実施される以上、自分にできることは何でしょうか」


「せめて、被害を最小限に抑える計画を立てることだ」中隊長は言った。「無謀な攻勢だとしても、それを支える兵站を、できる限り機能させる。それが、お前の役割になる」


 レオンは、その言葉を受け止めた。反対しても覆らない以上、次にできることは、限られた条件の中で最善を尽くすことだった。


「一つ、確認させてください」レオンは言った。「攻勢の途中で、補給が明らかに限界に達した場合、その判断は誰が下すんですか」


「現場の指揮官の裁量に、一定の余地は残されている。だが……」中隊長は、言葉を濁した。「実際には、撤退の決定は、極めて難しい判断になるだろうな」


 その曖昧な返答に、レオンは一抹の不安を覚えた。


 攻勢開始まで、あと数日。レオンは、限られた時間の中で、できる限りの準備を進めることにした。輸送計画の見直し、予備物資の確保、そして——万が一の事態に備えた、撤退時の物資配分計画。


 (表向きは、攻勢を支える計画だ。だが……)


 レオンの頭の片隅には、すでに「もし撤退が必要になったら」という想定が、静かに組み込まれ始めていた。


 その夜、レオンは久しぶりに、士官学校時代のことを思い出していた。アレクシスとの対立、そして最後の会話——「北方国境警備隊に配属される」と話していた、あの日のことを。


 (あいつは今、どこで何をしてるんだろうな)


 まだこの時点では、二人が再び同じ戦場で顔を合わせることになるとは、レオンは知らなかった。


 南方の空に、攻勢開始を告げる号令が響くまで、あと僅かな時間だった。

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