第21話 届かなかった一手
北側から迂回した別動隊が、西軍本陣への突入を開始した。緊迫した空気の中、レオンは伝令からの報告を待ち続けていた。
「本陣付近、まだ抵抗が薄いです! このまま——」
伝令の声が、途中で途切れた。
「どうした!」
「西軍、本陣周辺に、予備部隊が展開していました! 完全な奇襲にはなりませんでした!」
レオンは息を呑んだ。
(読まれていた……?)
北側への迂回部隊が本陣に接近すると、そこには最小限ながらも、明らかに「万が一」を想定した予備部隊が配置されていた。
戦況は、一進一退の激しい攻防に転じた。レオンの別動隊は数で劣勘えながらも、これまでの兵站分析で把握していた地形の優位を活かし、粘り強く抵抗を続けた。
「レオン、本隊から応援を送るべきでは!」トーマが焦った様子で尋ねた。
「……いや」レオンは冷静に地図を見つめていた。「南側の戦線から兵力を割けば、そちらが崩れる。この局面は、別動隊の判断力に賭ける」
演習終了まで、残り僅かな時間だった。
北側での攻防は、最後まで決着がつかないまま、時間切れを迎えた。
「演習終了! 双方、判定に入る」
審判役の教官たちが、各陣営の戦況を集計し始めた。しばらくの緊張の後、結果が発表された。
「今回の演習、両陣営とも本陣の完全占拠には至らず……総合判定の結果、僅差で西軍の優勢と判断する」
東軍の陣地から、落胆のため息が漏れた。レオンも、拳を握りしめながら、その結果を受け止めていた。
(……届かなかったか)
演習場の中央で、アレクシスがこちらに向かって歩いてきた。三日間の疲労が滲む表情の中に、それでも凛とした佇まいは崩れていなかった。
「見事だった」アレクシスは言った。「北側への迂回、正直、最後まで気づかなかった」
「気づいてなかったにしては、随分としっかりした予備部隊を置いてたな」
「あれは、念のための備えだ」アレクシスは正直に答えた。「君の性格上、正面からの力押しだけで終わらせるとは思えなかった。だから、最小限だが、常に本陣周辺に予備を残すようにしていた」
「……読まれてたわけか」
「読んだわけじゃない。備えていただけだ」
その違いに、レオンは思わず苦笑した。完璧に見抜かれたわけではない。だが、常に「想定外」への備えを怠らないアレクシスの姿勢が、結果的にレオンの一手を防いだ形だった。
「悔しいか」アレクシスが尋ねた。
「当然だろう」レオンは正直に答えた。「三日間、色々考えて、最後まで粘ったつもりだった」
「粘りだけじゃない。今回の作戦、これまでの君の成長が、全部詰まっていたように見えた」
「……慰めのつもりか」
「事実を言っているだけだ」アレクシスは静かに続けた。「南側での持久戦、北側への迂回、部下への権限移譲——これまでの君なら、できなかったやり方だ」
レオンは、その言葉を静かに受け止めた。悔しさは消えないが、確かに、これまでの成長の跡を、自分自身でも感じていた。
演習後、部隊全体が集まった場で、レオンは仲間たちに言葉をかけた。
「今回は、負けた」レオンは率直に言った。「だが、この三日間、それぞれが自分の判断で、よく動いてくれた。それが、以前の俺には、できなかったことだ」
「レオン先輩」ユリウスが前に出た。「僕の判断ミスで、南側の防衛が一度崩れかけました。すみませんでした」
「ミスは誰にでもある」レオンは言った。「それでも、お前は自分で判断して、立て直した。それでいい」
「……ありがとうございます」
トーマが、少し明るい調子で場の空気を和らげた。
「まあ、負けたっていっても、あのアレクシス様相手に、ここまで食い込んだんだ。胸張っていいだろ」
その言葉に、部隊の学生たちから、疲労の中にも小さな笑いが起きた。
その夜、レオンは一人、演習場の脇に座って、夜空を見上げていた。
(負けは負けだ。だが——)
入学当初のレオンなら、この結果に、ただ苛立ちを覚えるだけだっただろう。だが今は、違う感情があった。悔しさの中に、確かな手応えが混じっていた。
「一人か」
声をかけてきたのは、アレクシスだった。
「お前も、一人でこんなところをうろついてるのか」
「勝っても、色々考えることはある」アレクシスは隣に腰を下ろした。「今回の演習、正直、危ない場面が何度もあった」
「危ない場面?」
「北側への迂回に気づいたのは、演習終了間際だった」アレクシスは正直に言った。「もし、あと半日、演習期間が長ければ、結果は違っていたかもしれない」
その言葉に、レオンは少し驚いた。
「……お前がそこまで言うとはな」
「事実を、事実として言っているだけだ」アレクシスは、いつもの調子で言った。
二人は、しばらく無言で夜空を見上げていた。三日間の激しい戦いの後の、静かな時間だった。
「なあ」レオンがふと口を開いた。「卒業したら、お前はどこの戦線に配属される予定なんだ」
「まだ、正式には決まっていない」アレクシスは言った。「だが、噂では、北方の国境警備の可能性が高いと聞いている」
「北か。俺は、南方戦域だ」
「知っている」
「……そうか」
卒業が近づくにつれ、これまで同じ場所で過ごしてきた二人が、それぞれ違う戦場へ向かうことが、現実味を帯びてきていた。
「レオン」アレクシスは静かに言った。「これから先、私たちは別々の道を歩むことになるかもしれない。だが——」
「だが?」
「今回のような形で、また君と競う、あるいは共闘する機会があれば、悪くないと思っている」
その素直な言葉に、レオンは少し照れくさそうに視線を逸らした。
「……お前がそういうこと言うと、調子狂うな」
「そうか」
夜風が、二人の間を静かに流れていった。士官学校での日々が、確実に終わりへと近づいていた。




