第18話 二つの道
あの夜の会話から、レオンとアレクシスの間には、目に見えない距離が生まれていた。共同指揮演習で築いた協力関係は消えていないが、互いの根本的な考え方の違いが、これまで以上にはっきりと意識されるようになっていた。
「最近、あの二人、また空気悪くないか?」
トーマが心配そうに言った。ユリウスも頷く。
「前みたいな、感情的な対立とは違う気がする。もっと……根の深いところで、噛み合ってない感じがする」
「気のせいじゃないと思うぞ」レオンは正直に答えた。「あいつとは、目指す場所は同じでも、辿り着き方が違いすぎる」
その日の座学は、帝国の政治体制について扱う内容だった。教官が皇帝の統治方針や、貴族と中央政府の関係について説明する中、レオンは自然と考え込んでしまっていた。
「質問はあるか」
教官の言葉に、レオンは手を挙げた。
「もし、ある貴族家が不正な利益を得ていることが分かった場合、それを是正する仕組みは、帝国のどこにあるんですか」
教室内が、わずかにざわついた。誰もが、先日のレオンの一件を知っていた。
「監査院が、その役割を担っている」教官は慎重に答えた。「ただし、監査院の人事も、最終的には皇帝と有力貴族の影響を受ける」
「つまり、不正を働いた側と、それを裁く側が、実質的につながっている可能性がある、ということですか」
「……理論上は、そうならないよう制度設計されている」
「理論上は、ですね」
レオンの皮肉に、教室内に微妙な空気が流れた。教官は言葉を濁し、次の話題に移っていった。
放課後、演習場の脇でアレクシスが待っていた。
「今日の質問、聞いていた」
「思ったことを言っただけだ」
「その姿勢は、嫌いじゃない」アレクシスは意外な言葉を口にした。「だが、危うい」
「危うい、ね」
「教官の前であそこまで言えば、お前の評判に響く。それだけの覚悟があるならいいが」
「覚悟なら、とっくにできてる」レオンは言った。「じゃなきゃ、最初から証拠なんて集めない」
二人は、演習場のベンチに並んで腰を下ろした。夕日が二人の影を長く伸ばしていた。
「聞かせてくれ」レオンは切り出した。「お前は、この国のどこがおかしいと思ってる? この前、答えを濁してたが」
アレクシスは少し考えてから、口を開いた。
「私が問題だと思うのは、身分制度そのものではない」
「知ってる。責任を果たさない者が問題、って言ってたな」
「そうだ」アレクシスは頷いた。「私の家のような伯爵家は、代々軍を率い、領地を治める責任を負ってきた。だが、今の帝国では、その責任を果たさず、権力だけを享受する貴族が増えている。今回の輸送コストの一件も、その一つの現れに過ぎない」
「なら、それをどう正す?」
「制度から変える」アレクシスは言った。「監査院の人事に、より独立性を持たせる。功績による叙爵を増やし、無能な家の権力を相対的に弱める。時間はかかるが、内側から着実に変えていく」
「時間がかかりすぎないか? その間にも、南方じゃ兵士が飢えて死んでる」
「では、君はどうするつもりだ」アレクシスが逆に問い返した。「証拠を集めて、正面から突きつける? それで、今回のように握りつぶされて終わりだ」
「なら次は、もっと大きな声で言う。一人がダメなら、二人、三人——賛同者を集めて、無視できない声にする」
「賛同者を集めれば、それだけ敵も増える」アレクシスは冷静に指摘した。「大きな声を上げれば上げるほど、既得権益を持つ者たちの警戒は強まる。君のやり方は、変化を早めると同時に、大きな反発も呼び込む」
「反発を恐れて、何も変わらないよりましだ」
二人の議論は、次第に熱を帯びていった。
「レオン」アレクシスは、いつになく真剣な声で言った。「君は、正しいことを声高に叫べば、いずれ人はついてくると信じている。だが、現実はそう単純じゃない。正しさだけでは、権力を持つ者を動かせない」
「じゃあ、お前の言う『権力を使う』ってやり方は、結局、今の貴族社会の仕組みを利用するってことだろう。それじゃ、根本的には何も変わらないんじゃないか?」
「変わらないとは言っていない」アレクシスは言った。「仕組みの中から変えていく。それが、私にできる唯一の現実的な方法だ」
「俺には、まどろっこしく感じる」
「私には、君のやり方は無謀に見える」
二人の間に、これまでで最も明確な溝が見えていた。目指す先——「帝国のおかしさを正す」という点では、確かに同じだった。だが、そこへ至る道筋は、根本的に異なっていた。
「一つ、聞いていいか」レオンは、少し落ち着いた声で尋ねた。「お前は、いずれ伯爵家を継ぐんだろう。その時、本当に、その権力を使って何かを変えるつもりがあるのか」
アレクシスは、しばらく沈黙した後、静かに答えた。
「……分からない。継いだ時、私が今と同じ考えでいられる保証はない」
その正直な答えに、レオンは少し意外な感情を抱いた。
「珍しいな、お前がそんな弱気なことを言うのは」
「弱気ではない」アレクシスは言った。「現実を見ているだけだ。権力の座に近づくほど、その座を守りたいという欲が生まれる可能性がある。私自身、それを完全に否定できない」
夕日はすでに沈みかけていた。二人は、しばらく無言でその光景を眺めていた。
「……お前とは、多分、最後まで同じ道を歩けないんだろうな」レオンがぽつりと言った。
「かもしれない」アレクシスは頷いた。「だが、今はまだ、同じ場所にいる」
その言葉に、レオンは小さく頷いた。完全な理解には至らない。だが、互いの立場と考え方を、これまでよりずっと深く知った夜だった。




