第15話 南方からの報告
その日の座学は、いつもと様子が違っていた。
「今日は予定を変更する」教室に入ってきたガレスの表情は、普段より硬かった。「南方戦域から届いた戦況報告書を、資料として配る。分析してみろ」
配られた資料に目を通した瞬間、教室内の空気が変わった。それは、これまで授業で扱ってきたような整理された演習課題ではなく、生々しい戦場の実態を伝える文書だった。
レオンは黙って報告書を読み進めた。
「サルディア連合との戦線、膠着状態続く」
「補給路、複数箇所で寸断」
「後方支援部隊、人員不足深刻」
「現地指揮官二名、指揮権を巡り対立」
数字の羅列と共に記された内容は、士官学校で教わってきた「理想的な兵站計画」とは、まるで違う世界だった。
「……これ、本当に今の帝国軍の状況ですか?」
誰かが疑問を口にした。ガレスは頷いた。
「先月の報告だ。今はもっと悪化している可能性もある」
レオンは資料の数字を、自然と頭の中で計算し始めていた。
(補給路が複数箇所で寸断……ということは、前線の部隊は、予定していた物資の何割かしか受け取れていないはずだ。この数字だと——)
計算を進めるほど、レオンの表情は険しくなっていった。
「教官」レオンは手を挙げた。「この報告書にある前線部隊の兵力と、補給状況を照らし合わせると、現地の部隊は、まともに戦える状態じゃないように見えます」
「その通りだ」ガレスは頷いた。「よく気づいたな」
「これで、どうやって戦線を維持しているんですか」
「維持できていない、というのが正直なところだ」ガレスの声は淡々としていたが、その内容は重かった。「戦線は膠着しているというより、双方が消耗しきって、動けなくなっている状態に近い」
教室内がざわついた。これまで学んできた「戦術」「戦略」といった言葉が、この現実の前ではひどく軽く感じられた。
「なぜ、こんな状況になったんですか」別の学生が尋ねた。
「理由は一つじゃない」ガレスは言葉を選びながら答えた。「補給路の管理不備、現地指揮官同士の対立、そして——本国からの支援が、必要な量に追いついていないこと」
「支援が追いついていない、というのは?」
「戦争は、南方だけで起きているわけじゃない。北のノルデン王国との国境でも、小規模な衝突が続いている。限られた物資と人員を、複数の戦線に分けなければならない」
レオンは、その言葉に思わず口を挟んでいた。
「……これ、戦闘で負けてるんじゃなくて、戦争そのものに負けかけてる、ってことですよね」
教室が、しんと静まり返った。
ガレスは、しばらくレオンを見つめた後、静かに言った。
「その通りだ」
その一言が、教室内に重く響いた。
授業が終わった後も、レオンは資料を持ったまま、しばらく動けずにいた。
「大丈夫か」トーマが声をかけてきた。
「……分からない」レオンは正直に答えた。「これまで、士官学校での演習や座学で、俺は色々学んだつもりだった。地形、兵站、指揮系統——だが、今の資料を見て、それがどれだけ現実離れした話だったか、思い知らされた」
「そんなことないだろ。お前の考え方は、この学年で一番実戦的だって、みんな言ってるぞ」
「実戦的、か」レオンは自嘲するように笑った。「演習場の外に出たら、俺の計算なんて、ただの机上の空論かもしれない」
その日の夕方、レオンは一人で図書室に向かい、南方戦域に関する過去の資料を探し始めた。地図、過去の戦況報告、物資輸送の記録——手に入る限りの情報を集めて、自分なりに状況を整理しようとした。
(補給路が寸断されている場所、これまでの戦況の推移……この地域の地形なら、輸送路をこう変えれば——)
考え始めると、止まらなくなった。これは演習の課題ではない。実際に、今この瞬間も続いている、本物の戦争だった。
「まだいたのか」
声をかけてきたのは、アレクシスだった。彼もまた、同じ資料に目を通していたらしい。
「お前も気になるのか、南方の状況」
「気にならないわけがない」アレクシスは静かに言った。「私の家からも、遠縁の者が南方戦域に配属されている」
「……そうか」
「レオン」アレクシスは、いつになく真剣な表情で言った。「私たちは、あと一年もしないうちに、卒業してどこかの戦線に配属される。今、この教室で見ている『問題』は、他人事ではなくなる」
レオンは頷いた。
「分かってる。……分かってるつもりだったが、今日の資料を見て、改めて実感した」
二人は、しばらく無言で資料を見比べていた。演習場での模擬戦とは違う、本物の重みが、そこにはあった。
「なあ」レオンがふと口を開いた。「お前は、こういう状況を見て、どう思う? 帝国のやり方について」
アレクシスは、少し間を置いてから答えた。
「……この件については、また今度、じっくり話そう」
その返答には、何か含みがあるように、レオンには感じられた。だが今は、それ以上追及する気にはなれなかった。
窓の外はすでに暗くなっていた。図書室に灯る蝋燭の明かりの下で、レオンは南方戦域の資料を、さらに読み込んでいった。
この日を境に、レオンの中で、これまで漠然と感じていた「帝国のおかしさ」が、より具体的な輪郭を持ち始めていた。




