第113話 新しい玉座
新皇帝の即位式は、初冬の、澄んだ空の下で、行われた。
帝都の大聖堂には、貴族、軍人、議員、そして、抽選で選ばれた、平民の代表たちまでもが、列席していた。これまでの即位式では、考えられなかった光景だった。
「平民が、前列に、座っているぞ」
「陛下が、直々に、そう命じられたそうだ」
ざわめきの中、レオンは、列の中ほどで、静かに、式の開始を待っていた。
「落ち着かないな」
隣に座るアレクシスが、小声で、言った。珍しく、その指先が、わずかに、落ち着きなく、動いている。
「お前でも、緊張するのか」
「議会制度の、改正案を、通すために、何十人の貴族と、話をしたと思っている。その成果が、今日、ここに、形になるんだ」アレクシスは、小さく、息を吐いた。「緊張くらい、する」
「顔には、全然、出てないぞ」
「出さないのが、貴族の、務めだ」
レオンは、小さく、笑った。士官学校の頃から、変わらない、この男の、取り澄ました横顔が、今は、少しだけ、人間らしく、見えた。
やがて、鐘が、鳴り響いた。
大聖堂の奥から、一人の、若者が、ゆっくりと、歩み出てきた。まだ、二十歳に、満たない年齢と、聞いている。先代の皇帝の孫にあたる、その人物は、緊張で、わずかに、肩を、こわばらせながらも、まっすぐに、前を、見据えていた。
その後ろには、退位を決めた、先代の皇帝が、簡素な装いで、付き従っていた。
儀式は、これまでと、大きく、異なる形で、進められた。
新皇帝は、冠を受ける前に、一つの、宣誓を、読み上げた。
「私は、この帝国の、皇帝として、法と、議会の、決定に、従うことを、誓う」
大聖堂が、静まり返った。
「私は、戦を、始める前に、必ず、議会の、承認を、求めることを、誓う」
「私は、軍の、予算を、公に、示し、その使途に、責任を、負うことを、誓う」
一つ一つの言葉が、重く、響いた。それは、これまでの、帝国の歴史では、決して、皇帝の口から、語られることの、なかった言葉だった。
「私は、生まれによらず、才によって、人を、登用することを、誓う」
最後の誓いを、述べ終えた、若き皇帝は、わずかに、息を、吐いた。その手が、微かに、震えているのを、レオンは、見た。
「……堂々と、している、じゃないか」
レオンが、小声で、言うと、アレクシスは、小さく、首を、振った。
「手が、震えている。だが、それでも、最後まで、言い切った。それで、十分だ」
冠が、授けられた。
先代の皇帝は、少し、離れた場所から、その様子を、静かに、見守っていた。その表情は、穏やかで、どこか、晴れやかにすら、見えた。
式の後、レオンは、控えの間で、新皇帝に、謁見する機会を、得た。
「レオン・ヴァイス、参りました」
「顔を、上げて、ください」
まだ、少年の面影を、残す、新皇帝は、思いのほか、柔らかな声で、そう、言った。
「祖父から、あなたの、話を、何度も、聞かされました」
「恐縮です」
「『分かりません、と言える男だ』と」新皇帝は、少し、笑った。「あれほど、人を、褒めない祖父が、です」
レオンは、返答に、困り、小さく、頭を、掻いた。
「陛下。一つ、申し上げても、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「陛下の、誓いは、本日、この場で、立派に、述べられました」レオンは、慎重に、言葉を、選んだ。「ですが、誓いを、守り続けることは、それよりも、はるかに、難しいと、思います」
「分かって、います」新皇帝は、まっすぐに、答えた。「だから、あなたたちが、必要なのです。私が、間違えそうになった時に、『それは、違います』と、言ってくれる人が」
レオンは、先代の皇帝の言葉を、思い出していた。「周りには、『正しゅうございます』と、言う者しか、いなかった」——この若い皇帝は、その轍を、最初から、避けようとしている。
「承知いたしました。必要な時は、遠慮なく、申し上げます」
「ありがとう」新皇帝は、微笑んだ。「ただ、できれば、もう少し、優しく、お願いします」
「善処します」
控えの間の空気が、わずかに、和らいだ。
式典の後、帝都は、祝祭の空気に、包まれた。広場には、露店が、並び、人々は、新しい皇帝の、即位を、祝っていた。
レオンは、アレクシスと共に、人混みの中を、歩いていた。
「国が、変わる瞬間というのは、もっと、劇的なものだと、思っていた」レオンは、ふと、言った。
「実際は、地味なものだ」アレクシスは、答えた。「誓いの言葉と、書類と、議会の採決。それだけだ」
「それだけで、変わるのか」
「変わらない。それを、守り続ける、人間がいて、初めて、変わる」
レオンは、頷いた。
露店の一つで、子供たちが、何かを、囲んでいた。近づくと、それは、新皇帝の、似顔絵を描いた、小さな、木彫りの、人形だった。
「平民の子が、皇帝陛下の人形で、遊ぶ時代か」
「悪くないだろう」
「ああ、悪くない」
二人は、しばらく、その様子を、眺めていた。
戦争は、終わった。皇帝は、代わった。制度は、変わり始めた。
だが、レオンの、胸の内には、まだ、一つの、思いが、残っていた。
(この国が、本当に、変わったと言えるのは、きっと、もっと、先のことだ)
十年後、二十年後。新しい世代が、この国を、担うようになった時、初めて、今日の、誓いが、本当の意味を、持つのだろう。
「アレクシス」
「何だ」
「お前、士官学校に、戻る気は、ないか」
アレクシスは、一瞬、怪訝そうに、眉を、寄せた。
「唐突だな」
「ガレス教官が、新しい、カリキュラムを、作っている。次の世代を、育てる場所が、これから、一番、大事になる」レオンは、言った。「お前が、貴族側から、俺が、現場側から。二人で、教えれば、悪くない授業になる」
アレクシスは、しばらく、黙って、考えていた。
「……考えておこう」
「それは、『やる』という、返事だな」
「勝手に、解釈するな」
そう言いながらも、アレクシスの口元には、わずかに、笑みが、浮かんでいた。
帝都の、冬の空は、高く、澄んでいた。




