第10話 計算できないもの
翌日の戦術学の授業は、いつも以上に重い空気の中で始まった。
「昨日の演習について話す」
ガレスの声に、教室内の視線が自然とレオンに集まった。誰もが、前回に続いての敗北を知っている。
「東軍指揮官、ヴァイス。今回の作戦、前回の反省を踏まえて改善した点を説明しろ」
レオンは前に出て、地形図と共に説明を始めた。北側斜面の重点防衛、遊撃隊としての予備部隊、そして事前の質疑応答による意思疎通——前回にはなかった要素を、一つずつ挙げていった。
「……なるほど」ガレスは黙って聞いていた。「では聞くが、なぜ負けた?」
「天候の急変です。予備部隊の運用方針を、十分に共有していなかったことが原因で、東側の防衛が崩れました」
「原因は分かっているようだな」ガレスは頷いた。「では、その原因をどう解決する?」
レオンは一瞬、言葉に詰まった。
「……天候は、予測できるものではありません」
「そうだ。ならば、どうする?」
「予測できない事態が起きることを、前提に計画を組みます」
「具体的には?」
レオンは考えを整理しながら答えた。
「予備部隊の運用ルールを、もっと明確にします。『状況が変わったら自分の判断で動く』ではなく、『誰の指示で、どういう条件が満たされたら動くか』を、事前に決めておきます」
「それだけか?」
「……それと」レオンは続けた。「一人の指揮官がすべての状況を把握して指示を出す、というやり方自体に限界があると思います。伝令が届くまでの時間差で、状況はどんどん変わっていく」
「では、どうする?」
「現場の判断で動ける権限を、もっと下に渡す必要があると思います。ただし、その権限がどこまでかを、明確にした上で」
ガレスは初めて、わずかに表情を緩めた。
「悪くない。……お前は今、指揮官として最も難しい問題にぶつかっている」
「最も難しい問題、ですか」
「一人の人間が、戦場のすべてを把握し、すべてを正しく指示することはできない」ガレスは教室全体に向けて言った。「これは、才能や努力の問題じゃない。物理的に不可能なんだ。優れた指揮官とは、自分がすべてをコントロールしようとする人間ではなく、部下が自分の判断で正しく動けるように、事前に準備をしておく人間のことを言う」
教室内は静まり返っていた。多くの学生にとって、この言葉は初めて聞く類のものだった。
「レオン」ガレスは名指しで続けた。「お前は優秀だ。計算能力も、地形の読みも、兵站の知識も、この学年で一番かもしれない。だが、それだけでは指揮官にはなれない」
「……分かっています」
「本当に分かっているか? お前はまだ、『自分の計算がすべてを解決する』と、心のどこかで思っているんじゃないか」
図星だった。レオンは何も言い返せなかった。
授業が終わった後、レオンは一人、演習場の脇に座り込んでいた。
「よう」
声をかけてきたのは、アレクシスだった。今回の演習では、彼は別の陣営で指揮を執っていた。
「お前も見てたのか、俺の惨敗」
「見ていた」アレクシスは隣に腰を下ろした。「率直に言うと、驚いた」
「何がだ」
「君の作戦自体は、前回よりずっと良くなっていた。予備部隊の概念、質疑応答による意思疎通——正直、私も参考になる部分があった」
「結果は負けだ」
「結果だけを見れば、そうだな」アレクシスは静かに続けた。「だが、私が驚いたのはそこじゃない。天候の急変という想定外の事態に対して、君がすぐに『自分の落ち度だ』と認めたことだ」
「……当たり前だろう」
「当たり前じゃない」アレクシスは首を振った。「多くの人間は、想定外の事態が起きたとき、まず言い訳を探す。天候のせいだ、部下の落ち度だ、と。だが君は、すぐに自分の準備不足を認めた」
レオンは、この言葉に少し驚いた。アレクシスからそんな評価を受けるとは思っていなかった。
「……お前だったら、どうしてた?」
「同じ状況なら、私も苦戦しただろう」アレクシスは正直に答えた。「ただ、一つ違いがあるとすれば——私は最初から、『すべてを自分の指示で動かす』という発想自体を持っていない。伯爵家の跡取りとして、幼い頃から『自分がいなくても組織が動く仕組み』を作ることを教えられてきたからだ」
「……組織作り、か」
「軍隊も、家も、国も同じだ。一人の人間の能力に依存する仕組みは、いずれ破綻する」
その言葉は、レオンの中に静かに染み込んでいった。これまで自分一人の計算能力に頼りすぎていたことを、改めて突きつけられた気がした。
「一つ、聞いていいか」レオンは言った。
「何だ」
「お前はなんで、俺にそういうことを教える? ライバルだろ、俺たち」
アレクシスは少し考えてから答えた。
「ライバルだからといって、相手が成長する機会を潰す必要はない。それに——」
「それに?」
「君の考え方には、私にはない視点がある。君が成長すれば、私にとっても得るものがある。単純な話だ」
その割り切った答えに、レオンは思わず苦笑した。
「合理的な奴だな」
「褒め言葉として受け取っておく」
夕暮れの中、二人はしばらく無言で座っていた。敵対関係は変わらない。だが、レオンの中で、アレクシスへの見方が少しずつ変化し始めていた。
(こいつと組んだら、どうなるんだろうな)
そんな考えが、ふと頭をよぎった。だがまだ、それは形になるには早すぎる思いだった。
この夜以降、レオンは自分の作戦の立て方を、根本から見直し始めることになる。




