第9話 崩れた計算
兵站演習での成功から数日後、学年全体を対象とした二度目の大規模模擬戦が発表された。
「今回は、前回とは規模も条件も変える」ガレスが淡々と告げた。「陣営構成、天候条件、すべて演習当日まで伏せる。実戦に近い形での判断力を見るためだ」
教室内にざわめきが広がった。前回の敗北を経験しているレオンにとって、今回は雪辱を果たす機会でもあった。
(前回の反省は活かした。地形と補給だけじゃなく、味方の納得も考えて作戦を組む)
演習前日、レオンは自分の陣営に割り当てられた学生たちを集め、丁寧に作戦を説明した。
「今回は防衛戦だ。相手の兵力は不明だが、こちらの陣地の弱点は北側の斜面。ここを重点的に固める」
「質問がある人間は?」
前回とは違い、レオンは説明の後、必ず質問の時間を設けるようにしていた。この姿勢は学生たちからも好意的に受け止められていた。
「レオン、北側の護衛はどのくらいの人数を?」
「三十名。残りは東西の防衛と、遊撃隊として二十名を予備に回す」
「予備というのは?」
「状況が変わったとき、すぐに動かせる部隊だ。計画通りに事が運ばないことは、前回の演習で身に染みてる」
その言葉に、何人かの学生が小さく頷いた。前回の敗北を知っている者たちだった。
レオンの計画は、前回よりもずっと柔軟性を持ったものになっていた。地形、兵站、そして人間の納得——三つの要素を組み込んだ、これまでで最も完成度の高い作戦だった。
(今度こそ)
自信を持って、レオンは演習当日を迎えた。
だが、その自信は、開始からわずか一刻で崩れ始めた。
「天候、変わります!」
伝令の声に、レオンは空を見上げた。晴れていた空が、急速に曇り始めていた。演習開始前の天気予報では、快晴が続くはずだった。
「……まさか、雨か」
案の定、間もなく雨が降り始めた。地面がぬかるみ、視界も悪くなる。
「北側斜面の護衛部隊から報告! 足場が悪く、想定した防衛陣形が組めません!」
レオンは唇を噛んだ。計算に入れていなかった要素だった。天候は、演習開始前の予報を信じて考慮していなかった。
「……予備部隊を北側に回せ」
指示を出したものの、伝令が走る間にも状況は悪化していった。
「敵部隊、東側から接近中! しかし、こちらの東側防衛部隊、半数が持ち場を離れています!」
「なぜだ!」
「雨で足場が悪くなったため、北側の応援に自主的に向かったと……!」
レオンは頭を抱えたくなった。前回の反省を活かし、事前に「予備部隊」という概念を用意していたはずだった。だが、その予備部隊の運用ルールを、学生たちに十分に共有していなかった。「状況が変わったら自分の判断で動いていい」という言葉が、拡大解釈されてしまっていた。
「持ち場に戻れと伝えろ!」
伝令を飛ばすが、混乱した戦場では指示の伝達に時間がかかる。その間に、東側の防衛が崩れ始めた。
「東側、突破されました!」
「くそ……!」
レオンは即座に地図を広げ、状況を立て直そうとした。だが、次々と入る悪い報告に、思考が追いつかなくなっていく。
(落ち着け。まだ挽回できる。北側の予備部隊を戻して、東側の穴を埋めれば——)
しかし、時すでに遅かった。混乱に乗じた相手部隊が、本陣への道を一気に突き進んできていた。
「本陣、包囲されます!」
演習終了の合図が鳴り響いた。
「……東軍、敗北」
審判役の教官の声が、雨の中に響いた。
レオンは、ぬかるんだ地面に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
(何が、悪かった……)
前回の反省は、確かに活かしたはずだった。人間の心理を考慮し、予備部隊まで用意した。それなのに、結果は同じ——いや、前回よりも酷い負け方だった。
演習が終わり、雨に濡れたまま撤収する学生たちの中に、レオンは立っていた。トーマが心配そうに近づいてくる。
「レオン、大丈夫か」
「……分からない」レオンは正直に答えた。「何が悪かったのか、まだ分からない」
「天候の変化は、誰にも予測できなかっただろ。仕方ないさ」
「そういう話じゃない」レオンは低い声で言った。「天候の変化に対応できなかったのは、俺の落ち度だ。想定外を想定していなかった」
自分の作戦は、あくまで「予想される状況」への対応だった。予想を超えた事態が起きたとき、それに対処するための余白を、十分に用意していなかった。
その夜、レオンは自室に戻ってからも、ずっと考え込んでいた。
(俺の計算は、間違っていなかった。だが——)
「間違っていない」という言葉が、今のレオンには虚しく響いた。正しさだけでは、勝てない。それは前回の敗北で学んだはずのことだった。
なのに、また同じように負けた。
レオンは、これまでで最も深い挫折感を味わっていた。
自分の考え方、自分の強み——それらすべてに、初めて明確な疑問符がついた夜だった。




