第104話 勝利という名の罠
謁見の間に、重い沈黙が、長く、続いていた。
レオンは、皇帝の、促す言葉を受け、改めて、言葉を、紡ぎ始めた。
「陛下」レオンは、これまでの、すべての経験を、胸に、刻みながら、続けた。「南方戦線での、戦いを、思い起こしていただきたいのです」
「南方の、戦いが、どうしたと言うのだ」
「あの戦争も、始まりは、『交易路の確保』、そして、『敵の弱体化』という、理由でした」レオンは、静かに、しかし、確かに、続けた。「我々は、局地的な、勝利を、いくつも、収めました。ですが、戦争そのものは、終わりませんでした。そして、犠牲だけが、積み重なっていきました」
皇帝は、無言のまま、レオンの言葉に、耳を傾けていた。
「東方での、此度の戦いも、同じです」レオンは、続けた。「我々は、敵の、無謀な侵攻を、防ぎました。補給線を断ち、敵を、撤退へと追い込みました。これは、確かな、勝利です」
「であれば——」
「ですが」レオンは、皇帝の、言葉を遮るように、しかし、丁重に、続けた。「ここで、さらに、進軍を続ければ——私たちは、また、新たな、『次の脅威』を、生み出すことになるのでは、ないでしょうか」
「どういう、意味だ」
「敵を、徹底的に、打ち破れば——相手は、必ず、再起を、誓うはずです」レオンは、はっきりと、言った。「その再起に備え、我が国は、さらなる、軍備増強を、求められることになる。そして、敵も、同様に、軍備を、強化する。この、悪循環——それこそが、帝国が、何度も、何度も、戦争を、繰り返してきた、根本的な、理由なのでは、ないでしょうか」
謁見の間に、これまでにない、張り詰めた静寂が、広がっていた。
「……お前は」皇帝は、やがて、重い声で、口を開いた。「私が、戦争を、好んでいると、思っているのか」
「いいえ、陛下」レオンは、はっきりと、首を振った。「陛下が、誰よりも、この帝国の、安全を、願っておられることは、理解しております。ですが——」
「ですが?」
「勝つたびに、次の戦争への、備えを、始めてしまう」レオンは、静かに、しかし、確かな決意を込めて、言葉を続けた。「軍を強くすれば、『強くなったのだから、もっと、安全な国境を』と、考えるようになる。領土を得れば、『新しい国境を、守らなければ』と、考えるようになる。……勝利そのものが、次の戦争の、理由になってしまっているのではないでしょうか」
皇帝は、しばらくの間、無言のまま、玉座に、座り続けていた。その表情には、これまで、レオンが、一度も、見たことのない、深い、苦悩の色が、浮かんでいた。
「……それが、お前の、答えか」皇帝は、やがて、静かに、問いかけた。「以前、私が、投げかけた、問い——軍を強くすることと、戦争を減らすこと——その答えが」
「完全な、答えでは、ないかもしれません」レオンは、正直に、答えた。「ですが、少なくとも——戦争に、終わりの条件が、存在しない限り、どれだけ、戦い続けても、本当の意味での、安全は、訪れないのではないかと、考えております」
皇帝は、深く、息を、吐いた。その息には、長年にわたり、積み重ねてきた、重責と、葛藤が、滲んでいるように、レオンには、感じられた。
「お前は、帝国を、守るために、軍人になったのではないのか」皇帝は、改めて、問いかけた。
「はい、陛下」レオンは、まっすぐに、答えた。「だからこそ、止めるのです」
「戦わなければ、いつか、誰かに、奪われる」
「戦い続ければ」レオンは、静かに、しかし、はっきりと、言った。「いつか、我々は、自分たち自身で、この国を、壊してしまいます」
謁見の間に、これまでで、最も重い、沈黙が、長く、流れていた。
皇帝は、玉座から、レオンを、じっと、見つめ続けていた。その眼差しには、怒りでも、失望でもない、何か、もっと、深く、複雑な——これまでの、長い治世の中で、積み重ねてきた、重責そのものが、宿っているように、見えた。
「……下がれ」皇帝は、やがて、静かに、そう、告げた。「この件について、私は、改めて、考える」
レオンとアレクシスは、深く、頭を下げ、謁見の間を、後にした。
外に出た瞬間、レオンは、深い、疲労と共に、これまでにない、重い感情が、こみ上げてくるのを、感じていた。
「……言ってしまったな」レオンは、小さく、呟いた。
「ああ」アレクシスも、静かに、頷いた。「だが、それが、お前の、本当の、答えだったんだろう」
レオンは、その言葉に、静かに、頷いた。皇帝から、投げかけられた、あの重い問い——その、自分なりの答えを、今、確かに、示すことができた。
だが、その答えが、皇帝の、そして、この帝国の、未来を、どう変えていくのか——その答えは、まだ、誰にも、分からなかった。
帝都の空の下、レオンとアレクシスは、これまでの、すべての戦いの、最も重大な局面を、ようやく、乗り越えようとしていた。




