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豪商生まれのただの平民士官【帝国改革記】  作者: 橘秀斗
帝都・改革編

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104/116

第103話 陛下の御前にて

 謁見の間は、これまで、レオンが訪れた、どの時よりも、多くの人々で、満たされていた。


 軍務省の高官たち、宮廷の有力な貴族たち——その中には、以前、南方戦線で対峙した、デルモン子爵の縁者と思われる顔も、見受けられた。緊張した空気が、部屋全体を、覆っていた。


「レオン・ヴァイス、アレクシス・フォン・レーヴェン、両名、入られよ」


 その呼びかけに、レオンとアレクシスは、深く息を吸い込み、謁見の間へと、足を踏み入れた。


 玉座には、皇帝が、これまでと変わらぬ、威厳に満ちた姿で、座っていた。だが、その表情には、以前の謁見の時とは、わずかに異なる、重い色が、浮かんでいるように、レオンには、感じられた。


「面を、上げよ」


 レオンとアレクシスは、顔を上げた。


「此度の、進軍命令の拒否——その理由を、改めて、申し述べよ」皇帝は、重々しく、そう命じた。


 レオンは、深く息を吸い込むと、これまで、何度も、繰り返し、整理してきた、事実を、はっきりと、述べ始めた。


「陛下。進軍停止の時点で、我が軍の、補給能力は、限界に、達しておりました」レオンは、持参した資料を示しながら、説明した。「これ以上の進軍は、兵站の崩壊、そして、部隊の壊滅的な損害を、招く危険が、極めて高いと、判断いたしました」


「それは、南方戦線の、あの撤退の時と、同じ理屈か」皇帝が、鋭く、問いかけた。


「はい、陛下」レオンは、まっすぐに、皇帝を見据えながら、答えた。「あの時も、そして、今回も——勝利の勢いに任せた、無謀な進軍が、どれほどの犠牲を、生むか、私は、身をもって、学んで参りました」


 謁見の間に、重い沈黙が、流れた。


「アレクシス」皇帝は、続けて、尋ねた。「お前は、伯爵家の嫡子であり、軍人だ。皇帝への、忠誠よりも、現場の判断を、優先したのか」


 アレクシスは、一瞬の躊躇いもなく、答えた。


「陛下への、忠誠を、捨てたつもりは、ございません」アレクシスは、はっきりと、言った。「ですが、私が、真に、忠誠を尽くすべきは、陛下お一人への、盲目的な服従ではなく——この、帝国そのものを、守ることだと、信じております」


「帝国を、守るために、私の命令に、背いたと言うのか」


「はい」アレクシスは、動じることなく、答えた。「もし、あのまま、進軍を続けていれば、我が軍は、壊滅していたはずです。それは、帝国にとって、取り返しのつかない、損失となったでしょう」


 皇帝は、しばらくの間、二人を、じっと見つめていた。その視線には、怒りとも、別の何かとも、判別のつかない、複雑な感情が、宿っているように、レオンには、思えた。


「お前たちは、もう勝ったと、考えているのだな」皇帝は、やがて、そう言った。


「はい、陛下」レオンは、はっきりと、答えた。「局地的な勝利は、すでに、確立されています。これ以上の、積極的な進軍は、必要ないと、考えます」


「だからこそだ」


 皇帝の、その短い言葉に、謁見の間の空気が、一変した。


「どういう、意味でしょうか」レオンは、思わず、問い返した。


「勝っている、今だからこそ、進むべきなのだ」皇帝は、静かに、しかし、確かな重みを持って、言葉を続けた。「敵が、弱体化している今、決定的な優位を、確立しなければ——いずれ、敵は、再び、力を蓄え、我が国に、攻め込んでくる」


 レオンは、その言葉に、深い、違和感を覚えた。これまでの、長い戦いの中で、積み重ねてきた、経験と分析——それが、今、この瞬間、ある、根本的な疑問として、レオンの中に、浮かび上がっていた。


「陛下」レオンは、思わず、口を開いていた。「お伺いしても、よろしいでしょうか」


「申せ」


「我が国は、これまで、何度も、戦争を、繰り返して参りました」レオンは、慎重に、しかし、確かな決意を込めて、言葉を続けた。「北方での、過去の衝突、南方での、長年の戦い、そして、今回の、東方との戦争——そのたびに、『敵が弱っている今こそ』、あるいは、『敵が強くなる前に』という、理由が、示されて参りました」


「それが、何か、問題があると、言うのか」


「もし——」レオンは、深く、息を吸い込んだ。「もし、勝利そのものが、次の戦争の、理由になっているのだとしたら——」


 謁見の間に、これまでにない、重い静寂が、落ちた。


 皇帝は、しばらくの間、無言のまま、レオンを、見つめ続けていた。


「……続けよ」皇帝は、やがて、低い声で、促した。


 レオンは、これまでの、すべての経験——南方戦線、帝都での改革、東方での対話、そして、この、長い戦争——それらすべてを、胸に、改めて、問いかけようとしていた。


 帝国の、根源的な矛盾に、レオンは、今、まさに、正面から、向き合おうとしていた。

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