第5話 魔王は宇宙人に逆らえない
ガラスに覆われた高層ビルの上階。
三年前であれば、これほど高い建造物は「塔」と呼ばれるダンジョンくらいのものだった。
この高さまで登れば、スカイドラゴンやガルーダといった空の魔物が飛び交う危険地帯だっただろう。
しかし、もはや現代では関係のない話だ。
会場には赤い絨毯が敷かれ、天井では煌びやかなシャンデリアが輝いている。
貴族を思わせるドレスや礼服を身にまとった宇宙人、魔族、人族が、ワイングラスを片手に言葉を交わしていた。
ここは社交の場であると同時に、ビジネスに必要な人脈を築くための場所でもある。
もっとも、少なくとも一部の宇宙人は、ビジネスなど二の次なのだろう。
現地のハイクラスな美男美女を見繕い、自分の手元へ置くことしか考えていない。
窓の外へ目を向ける。
眼下に広がっているのは、三年前には考えられなかったほどの光に満ちた都市だ。
しかし、遠くへ目を凝らせば、いまだ三年前と変わらない大地や森が残っている。
いや、変わらないのではない。
宇宙人の攻撃によって破壊され、そのまま放置されているのだ。
「やあ、アヴェルナ嬢。夜景はどうかな?」
背後から、男に声をかけられた。
振り返ると、頭部から2本の触角を生やした宇宙人が立っている。
イナク・ナール。
宇宙文明圏の物流網と営業許可を管理する公社の幹部だ。
――アヴェルナ嬢。
パーティーとはいえ、ここはビジネスの場である。
会社の代表者として参加している私を、役職ではなく「嬢」と呼ぶ。
最初から対等な取引相手ではなく、女としてしか見ていないのだろう。
私――ティアアマティア・アザトス・アヴェルナは、胸の内で顔をしかめた。
三年前まで、魔王として魔族を率いていた女である。
汚らわしい。
本来であれば、我々魔族はいまも人族との決着をつけるため、戦争を続けていたかもしれない。
勇者が行方知れずになってからは、明らかにこちらが優勢だった。
やがて魔族が人族を打ち破り、世界を牛耳る。
そのような未来が訪れるはずだった。
だが、魔族が世界を支配する未来は訪れなかった。
星の外から飛来したこいつら――宇宙人が、すべてをめちゃくちゃにしてしまったからだ。
いや、いまはいい。
もう、いい。
ここで私が目の前の男に危害を加えれば、困るのは私だけではない。
イナク一人を殺すだけなら、指先を動かすほどの労力も必要ない。
しかし、彼の機嫌を損ねれば、アザトス・ロジスティクスは明日にでも営業許可を取り消される。
そうなれば、私についてきてくれた社員たちが全員、路頭に迷うことになる。
いまの私は魔王であると同時に、アザトス・ロジスティクスの社長なのだ。
「いえ。少し、昔のことを思い出していました」
「そうだね。まだ三年しか経っていないんだ。割り切れないところもあるだろう」
「ええ。そうかもしれませんね」
「だが、私は君に過去ではなく、未来を見てほしいと思っている」
イナクはワイングラスを傾けながら、こちらとの距離を詰めた。
「どうかな? 今夜は部屋を取っているんだ。そこで一緒に、未来についての話でもしないか?」
結局、これである。
宇宙人だろうが魔族だろうが、男という生き物は、こういう根の部分では変わらないのだろう。
「お気持ちはうれしいのですが、明日は朝から別件が入っておりまして……申し訳ございません」
「別件、ねえ」
イナクが露骨に不満そうな顔をする。
「キャンセルはできないのかな? というか、君が行かなければならない仕事なのかい? 部下に任せてはどうだろう」
「我が社も、まだ三年目です。部下だけに任せるわけにはまいりません」
表情を崩さず、私は言葉を続ける。
「社長である私が率先して働く姿を、社員たちへ示したいと考えております。それに、すでにお約束している相手方にも不義理となってしまいますので……」
ちっ。
お断りだと言っているのよ。
察しなさいよ!
◇
結局、イナク・ナールとの攻防は三十分にも及んだ。
この時間があれば、会場にいるほかの出席者と新しい人脈を築けたかもしれない。
そう考えると、損失はとても大きかった。
しかし、下手にイナクの機嫌を損ねた場合のことを考えれば、仕方がなかったのかもしれない。
それにしても――ふふっ。
先代魔王である父をも凌ぎ、三年前には魔王として戦場の矢面に立っていたこの私を、か弱い女のように扱うとは片腹痛い。
おっと、いけない。
魔王ムーブが少し出ていたかもしれない。
パーティー会場を後にし、ビルの外へ出る。
迎えを呼ぼうとスマホを取り出したが――思い直して鞄へ戻した。
少し、歩きたい気分だった。
できれば途中でコンビニへ寄り、焼酎と鮭のおにぎりでも買って帰りたい。
ああいう場所で出される食事は、昔から好きではないのだ。
食事とは、もっとこう、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか……救われていなければならないものだと思う。
だが、そんな些細な願いすら、今日は聞き入れてもらえないらしい。
気がつくと、目の前にイナク・ナールが立っていた。
もう勘弁してもらいたい。
こちらは仕事を終え、気持ちを完全にオフへ切り替えていたのだ。
「夜道を歩いて帰るつもりかい? 送っていこう」
イナクは、すぐそばにあるホテルへ目配せした。
「そこのホテルに部屋を取ってあってね。私のパルシェも、そこに停めてあるんだ。どうかな? 一緒に夜のドライブでも」
この男、先ほどのパーティーで酒を飲んでいなかったか?
確か、車という乗り物は、飲酒した状態で運転してはいけないはずだ。
宇宙人が持ち込んだ法律にも、そのように書かれていた気がする。
「いえ、お気持ちはうれしいのですが――」
断ろうとした瞬間、イナクが私の腕を強引につかんだ。
「遠慮することはない」
くっ。
ここで私が腕を振りほどけば、こいつの腕と胴体が永遠にさよならすることになる。
そうなれば、本当に面倒な事態になってしまう。
なぜ、これほど脆弱なステータスで私を手籠めにできると思っているのだ。
いっそ、ここで大声を上げてやろうか。
そう考えながら、周囲へ視線を向ける。
道を歩く者たちは、誰もが見て見ぬふりをしていた。
当然だ。
宇宙人に逆らえば、我々に明日はない。
私が自分の身体を差し出せば、手下たちの未来を守ることができる。
それしかないのか。
私が諦めかけた、そのときだった。
目の前に、凄まじい速度で一人の男が現れた。
男は、イナクが感知することすらできない速度で、その手を私の腕から丁寧に外す。
次の瞬間には、拳がイナクの顔面へ迫っていた。
拳が触れる――その直前。
膨大な魔力が、ほんの一瞬だけ揺らめいた。
直後、イナクの姿が空間からかき消える。
「危ないところだった……」
――何だ、いまの動きは?
我が魔王の血脈に許された、1ターン3回行動。
それを遥かに凌ぐ速度だった。
何とか目で追うことはできたが、身体を反応させることができなかった。
私は呆然と、目の前に現れた男を見つめる。
着古した安物のスーツ。
少し緩んだネクタイ。
手入れはされているものの、すっかりくたびれた革靴。
しかも、片手にはコンビニの袋を提げている。
伸びた前髪に隠れ、目元はよく見えない。
本当に、先ほどの動きをした人物なのだろうか?
「あ、あの、大丈夫でしたか? それとも、もしかして余計なことをしちゃいましたか?」
男の声を聞くと、不思議と心が安らいだ。
優しい声だった。
そうだ。
私を散々悩ませた頭痛の種であるイナクを、この男がどこかへ消してしまったのだ。
残された魔力の痕跡からして、使われたのは《バルーラ》。
それも、ほとんど無詠唱だった。
――何者なの、この男?
「いえ、ありがとうございました。取引先の方で、無下にもできず、本当に困っていたところなので……」
私がお礼を告げると、男はさっさとこの場から立ち去ろうとした。
「あ、そ、それじゃあ、俺はこれで」
「待ってください」
危ない、危ない。
ここで助けられておきながら、まともな礼もせずに帰してしまうのは、魔王としての矜持に反する。
「あの、できれば、あとでお礼がしたいのですが……」
「あ、あ、すみません」
「ふふ。どうして謝るんですか?」
「いえ、その、あの……」
男は慌ててスマホを取り出し、連絡先交換用のQRコードを表示した。
私も自分のスマホを取り出し、カメラでコードを読み込む。
画面に、彼の登録名が表示された。
――アークライト。
中央の貴族に多く見られる名字だ。
この男も、元は貴族だったのだろうか?
貴族として暮らしていた者のなかには、現代の生活になじめずにいる者も多い。
昔とは、何もかもが違うのだ。
「それでは、あとでご連絡しますね」
「あ、はい」
そう言うと、男は一瞬で姿を消した。
否。
とてつもない速度で歩き去ったのだ。
今度は意識を集中していたにもかかわらず、ほとんど目で追うことができなかった。
「いったい、何者なの……?」
もう彼の姿は、どこにも見えない。
それでも彼の優しい声だけが、頭の片隅に残っているような気がした。




