第三話 少しずつ縮まる距離
共同生活には、パターンがあった。
朝食は別々。昼は書庫かそれぞれの部屋。夕食だけ同じ食卓で、ただし会話はほぼない。週に一度、社交的な予定があれば連れ立って出かけ、必要な場面では婚約者として振る舞い、帰宅後は解散する。
リリアナはこれを「悪くない」と思っていた。
前世のブラック企業では、いつも誰かの視線や評価を気にして生きていた。ここでは、シュトラウスはリリアナに何も求めない。感情も、愛情も、機嫌のいい顔も。ただ「そこにいること」だけを求める人間と暮らすのは、思いのほか楽だった。
ただ一つ、気になることがあった。
書庫でのことだ。
リリアナが読んでいると、シュトラウスが時々、何かを言う。「その著者の別の本が三番棚にある」とか、「そこの記述は改訂版で訂正されている」とか。助言とも雑談とも言えない、短い言葉だ。
最初は偶然かと思っていたが、三週間目には、これが彼の中の一種のコミュニケーション様式なのだとわかってきた。
感情を乗せない。必要なことだけ言う。ただし、相手が何を読んでいるかは見ている。
リナの前世の感覚が囁いた。この人は、人に興味がないのではなく、表現の仕方がわからないだけかもしれない。
ある夜、夕食後に書庫に行くと、シュトラウスが珍しくソファに座って本を読んでいた。
リリアナは邪魔しないよう静かに棚へ向かった。
「今日の夜会で何かあったか」と彼が言った。
リリアナは驚いて振り返った。今日の夜会には一緒に行っていない。彼は別の用があって欠席していた。
「フォルスター侯爵夫人に囲まれました」とリリアナは正直に答えた。「閣下との婚約について、根掘り葉掘り聞かれて」
「何と答えた」
「穏やかな方だと申しました」
シュトラウスが、本から目を上げた。
「穏やか」
「嘘ではありません。怒鳴られたことも、責められたことも、一度もないので」
彼はしばらくリリアナを見ていた。それから、視線を本に戻した。
「そうか」
それだけだった。ただ、その夜書庫を出るとき、リリアナは何となく、彼が少しだけ机に向かう姿勢を緩めたような気がした。




