第二話 契約婚約と公爵邸での静かな日々
条件は思ったより悪くなかった。
シュトラウスが必要としているのは、政略的な意味での婚約者だった。いくつかの貴族派閥から縁談の圧力がかかっており、それを遮断するための盾として、婚約という既成事実が必要だという。
リリアナが得るのは、公爵家の後ろ盾と、「氷公爵の婚約者」という肩書きだ。前者は彼女の現在の不安定な立場を守り、後者は社交界での嫌がらせを大幅に減らす効果がある。
「期間は一年。その後は互いの合意で延長か解消を選ぶ。接触は必要最低限。公の場での同伴は月に一度程度を想定している」
シュトラウスはそこまで言って、少し間を置いた。
「質問は?」
「一つ」とリリアナは言った。「閣下は、私が悪役令嬢として名高いことをご存知ですか」
「知っている」
「それでも?」
「婚約者に求めるのは社交的な体裁と、私に余計な感情を向けないことだ。あなたの評判の悪さは、前者には多少影響するが、後者に関しては問題ない」
リリアナは思わず少し笑いそうになった。
この人は、「私に懸想しない女が欲しい」と言っている。
前世の記憶によれば、この公爵はヒロインとも恋愛関係にならないルートの人間だ。恋愛そのものに興味がないか、あるいは何か別の理由があるかのどちらかだ。
「わかりました」とリリアナは言った。「お受けします」
◇
婚約の書類は翌週に整った。
リリアナがノルト公爵邸に移ったのは、その二週間後だった。使用人たちの案内は丁寧で、与えられた部屋は広く、シュトラウスはほぼいなかった。
初日、二日目、三日目と彼と顔を合わせることはほとんどなく、リリアナは拍子抜けしながらも、これが「必要最低限の接触」という意味なのだと理解した。
四日目の朝、書庫で本を探していると、シュトラウスがいた。
彼は机の前に座って書類を読んでいた。リリアナが入ってきたことに気づいていたはずだが、顔を上げなかった。
リリアナは棚の前に立って、背表紙を読み始めた。
五分後、シュトラウスが言った。「何を探している」
「植物についての本です。薬草の基礎知識を復習したくて」
「三番棚の右端」
「ありがとうございます」
それだけだった。
リリアナは本を見つけて、隅の椅子に座って読み始めた。シュトラウスは書類に戻った。
一時間ほど、二人は同じ部屋にいた。
それが最初の会話らしい会話だった。




