008話 エルラードの露天商
次の日、工房で仕事をしていると、親方のゴラジムからギルドへの申請手続きをしたと告げられた。予想通りではあったが、ギルドの申請が通るまでには時間がかかるとのことだった。
残念ではあるが、コルンを造るのは当面お預けだ。
とはいえ、何もできないわけではない。エールなら、蒸留装置がなくても、先に仕込んでおける。それには、まず材料である大麦を確保する必要がある。
ムザリクには、一つ心当たりがあった。
その週の休息日に、ムザリクは王都から出た。行き先は、同じ岩兄弟で、大麦を栽培するドゥランドの畑だ。
ドゥランドは、農具の取引で足を運んでいたマコンベ村の農家だ。岩兄弟の中でも齢が近く、すぐに意気投合して以来、毎年顔を出している。酒用の大麦について相談するなら、彼が適任だろう。
近場の厩舎でロバ荷車を借り、一度工房に寄る。工房では、あらかじめ作成した農具を積む。ドゥランドの畑へ行くときは、土産の代わりに予備の農具を持っていく。収穫期の今は、鎌の摩耗が激しいからだ。去年は試験で行けなかったため、今年は多めに準備しておいた。農具を積み終えると、ムザリクは門へと向かう。
ブカロンゴ王国の王都であり、要塞都市でもあるムカランゴは、三重の壁に囲まれている。一番内側の門は生活圏のため出入り自由だが、中間と外側の門は許可証がいる。門の周辺には、朝から通行税を支払うための長い列が伸びている。
一方で、王都に特定の職を持つ者は、金を支払う必要がない。ムザリクはその特権を利用し、混雑する人々を横目に、隣の空いた列からすんなり通り抜けた。
中間の門からは、ドワーフ以外の人族の姿もちらほら見えた。友好国である魚人族をはじめ、商人風のいでたちをした鳥人族や人族だ。彼らは王都に居住権がないので、外門前の交易広場で交易品を取引する決まりとなっている。
「そこのロバに乗っている赤毛の旦那!」
外門を目指していると、商人が話しかけてきた。猛禽類のような鳥顔に、袖からは鳥のような翼が生えているのが見える。鳥人族だ。朝は涼しいとはいえ、耳当てがついたニット帽にオレンジ色のストライプ模様のポンチョと、なかなかに暑そうな恰好をしている。
「お土産にどうです?」
どうやらお菓子の露店のようだ。彼らの国エルラード風のお菓子が並んでいる。歪な黄色い小麦菓子のアチラ、ココナッツの果肉を砂糖で煮込んで固めたコカーダなど、以前食べたことがあるお菓子も散見したが、中でも目につくものがあった。
「この葉っぱにくるんでるのは珍しいな。」
「おぉ、流石ドワーフ旦那。お目が高い。こっちの葉っぱにくるんでいるのはボカディージョです。今エルラードで大流行してまして、なんていっても、ほら、見てください!鮮やかなルビー色でしょう!」
店主が葉っぱをめくると、店主の言った通り、瑞々しい鮮やかなルビー色の塊が見える。一見すると羊羹のようだ。
「うまそうだな。なら、それとアチラとコカーダを5つずつもらおうか。」
「まいどあり!今、包みますんで少々お待ちください。」
ムザリクは、菓子が包まれるのを待っていると、ロバがしきりに鼻息荒く鳴いている。何事かとみてみると、ロバの視線の先には、露店に積まれた赤い林檎が見えた。どうやら林檎がお目当てのようだ。ムザリクは仕方なく、ロバ用の食糧も買い足すことにした。
店主から袋を受け取り、荷車へ積み込もうとしたところで、ムザリクは袖を小さく引かれる感触に気づいた。またロバかと思い振り返ると、露店の脇にいた鳥人族の少女が、じっとこちらを見上げている。年の頃は十にも満たないだろう。灰色の羽毛混じりの柔らかな髪を揺らしながら、何かを握りしめていた。
「どうした、お嬢ちゃん?」
「これ。」
掌の上に載っていたのは、小ぶりな鈴だった。銅とも真鍮ともつかぬ鈍い色合いをしており、長く使われていたのか、ところどころ擦れている。紐の部分には色褪せた布が編み込まれていた。
ムザリクが鈴を摘まみ上げると、背後で露店の店主が「あぁ」と声を上げた。
「それは、『アプの喉鳴り』といって、鳥人族のお守りみたいなものです。なんでも、勇者様が魔物を倒すよりも昔には魔物除けとして使っていたそうですよ。」
ムザリクは鈴を軽く振った。澄んだ高い音が小さく響く。
「俺にくれるのか?」
少女はこくりと頷き、今度はムザリクの首元を指差した。
「交換。」
言われて、自分が巻いている黒いスカーフに視線を落とす。長年使っている品で、端は擦り切れ、煤や油染みも残っている。鍛冶仕事の最中にも巻いていたため、かなりくたびれていた。
「これと交換してほしいってことか?だが、これは年季入ってるぞ。新しいスカーフのほうがいいんじゃないか?」
少女は首を横に振る。
「それがいい。」
その言い方は幼いながら妙に頑固で、譲る気もなさそうだった。
ムザリクは頭を掻いた。
「まぁ、俺は別に構わないんだが。ほれ。」
首からスカーフを外し、少女へ差し出す。少女はぱっと表情を明るくすると、両手で大事そうに受け取る。受け取った拍子に、鈴が小さく鳴った。
その音で我に返ったように少女は素早く露天商の男の後ろに回った。まるで隠れるように身体を半分だけ覗かせ、小さな声でぼそりと礼を言う。
店主は呆れたように羽を広げた。
「こらっ!礼ならちゃんと目の前でいいなさい。……申し訳ございません。うちの娘が我儘を申してしまって。」
「いや、かまわねぇさ。嬢ちゃん、これ、ありがとうな!大切にするな。」
少女は店主の背後から顔を覗かせる。嘴の端をもごもごと動かし、照れ臭そうにはにかみながら小さく頷いた。
露店の親子と別れてしばらくすると、外側の壁が見えてきた。一番外側の城塞の壁は、『大いなる空』と呼ばれ、ひときわ目を引く青色をしている。この青い石材は、古代遺跡から発掘された特殊なものでできており、噂によると魔物除けの効果があるらしい。
ビンガロクを抜けてしばらく進むと三叉路に着く。案内版には、南はビセンゴ鉱山都市、東はエデム湖、西はムベレの森と記されている。マコンベ村は、ムベレの森の先なので西の方面へと進もうとするが、ロバが南に進路を取ろうとし、ムザリクは慌てて手綱を握る。
どうやら借りたロバは、まだ若いロバなようで荷車を引くのに慣れていないようだ。それからも途中で急に駆け出したかと思えば、道端の草にかじりつく。あげく、その場で立ち止まり、気ままに用を足す始末で、とにかくせわしないやつだ。とはいえ、途中で好物の林檎や湧き水を飲ませているうちに、少し慣れたのかおとなしくなった。
街道を抜け、ムベレの森へ入った途端、空気が変わった。
ムベレの森は、光で満ちていた。木々の隙間から差し込む木漏れ日がきらきらとして清々しい。ロバも心なしか足どりが軽い。露店の娘からもらった鈴もチリーン、チリーンと涼やかな音を奏でている。
その音につられたのか、ロバが耳をぴくりと動かした。
「お前も気に入ったのか?」
ムザリクが手綱を軽く揺らしながら言うと、ロバは短く鼻を鳴らした。先ほどまで好き勝手に暴れていたくせに、今は妙に上機嫌である。
道沿いには、ところどころ苔むした石積みの跡が残っていた。昔はこの森にも集落があったのだと、以前ドゥランドが話していたのを思い出す。もっとも、今では獣除けの焚火跡が残る程度で、人の姿はほとんどない。
「ん?なんだ?」
もとは住居の壁らしき石積があったのだが、掘り返されたかのように崩落していた。この辺りは害獣は、猪や鹿くらいだ。夏のこの時期、猪は子のウリ坊たちと餌を求めて駆け回るため、その時につけたのだろうか。
それにしても、風化していたとはいえ、硬い安山岩が、バラバラに砕けている。かなりの衝撃だったのだろう。縄張り争いでもあったのだろう。それとも単なる兄弟喧嘩か。ムザリクの頭に、とある岩兄妹が浮かび、フッっと笑ってしまった。
ここ数年、王都にいる間は、どうしても鍛冶のことで頭がいっぱいだった。試験のこともあるが、誰にも負けたくないと意気込んでいたのもある。それに、儀式の醜態と前世の記憶に、謎の竜に、酒造り。こうして外へ出ると、自分でも気づかぬうちに気が張っていたのだと思い知らされる。
ドゥランドの畑も久しぶりだ。去年はギルド試験のせいで、こうしてマコンベ村へ来る余裕もなかった。
ーー今年の出来はどうだろうか。
ーー酒に向いた粒が残っていたらいいのだが。
ーーまぁ、あの男のことだ。それより地下で密かに栽培してる自慢のキノコ料理をすすめてきそうだが。
そんなことをつらつら考えているうちに、ムザリクの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
鈴がまた、チリンと鳴った。
森の風に溶けるような、澄んだ音だった。
ムザリクは紐に手をかけ、もう一度鈴鳴らした。
一方その頃。
王都外門付近の交易広場では、鳥人族の露店が静かに店じまいを始めていた。朝方の喧騒もひと段落し、人通りは先ほどより少なくなっている。露店の男は、売れ残った菓子を木箱へ丁寧に戻しながら、ちらりと背後へ視線を向けた。
「なぜ、護符をお渡しに?ママイ。」
問いかけながら、男は布幕をめくってテントの中へ入る。
外から見れば質素な露店用の天幕にしかみえない。だが、内へ入ると、厚手の絨毯が敷かれ、硝子のランプシェードが部屋を照らし、奥には精緻な装飾が施された豪奢な机や椅子まで置かれている。
その椅子に腰かけていたのは、先ほどの少女だった。
露店で見せていた幼い仕草や怯えたような表情は消え失せ、金色の瞳だけが静かにこちらを見据えている。男は、思わず背筋を伸ばした。
「あの者から神竜の気配がした。」
ママイは、手にした黒いスカーフを指先で撫でながら淡々と言った。その答えに、男は目を丸くする。
「えぇ!?では、彼が先代の言ってた勇者の。」
思わず声を荒げた男を、ママイは軽く片手を上げて制した。
「いや、それは少し違う。彼には印がなかった。」
「なら」
男は怪訝そうに眉をひそめ、続きを促す。
「ただ、神竜の力は授かっているようだ。魔力は確認できた。」
「ふむ。印がないのに、力は授けられた。伝承にそのようなことは伝わっておりませんが。」
男は腕を組み、考え込むように唸った。
神竜に選ばれた者には“印”が現れる。だからこそ、男には理解できなかった。
だが、ママイは首を横に振った。
「どちらにせよ、兆しであることは間違いあるまい。……悪い意味でのな。」
そう言って、深くため息をつく。その声は、ひどく疲れて聞こえた。
男もまた、それ以上軽々しく言葉を返せず、しばし沈黙が落ちる。
やがて空気を変えるように、男はわざとらしく肩を震わせた。
「それにしても、貴女をお嬢さんだなんて。……ププッ。」
つい吹き出した男に、ママイはじろりと睨みを向ける。
「年長者を馬鹿にするではない。孫よ。」
「ププッ……ひ孫ですよ。それにしても、あの下手な演技。腹抱えて笑うのをこらえるのが大変でしたよ。」
「仕方なかろう。訂正するのも人目が多すぎたからな。それに、ドワーフにとって、短命の我ら鳥人族など赤子とそう変わらぬ。たとえ、50年生きぬいた長老だとしてもな。」
「800年ですもんね。そんなに生きてたら気が狂いそうです。」
男は苦笑した。鳥人族の寿命は短い。数百年生きるドワーフと比べればなおさらだった。
ママイは、窓布の隙間から外を見た。そこには、ムザリクが去っていった青い外門が続いている。
彼女は視線を外へ向けたまま、膝の上の黒いスカーフを指でなぞった。煤けた布地の奥に、刺繍で紋様が刻まれている。
「月の焔か。これが良い兆しになるといいのだが。」
ドゥランドさんの畑に向かうはずが、ママイの回になってしまいました。
そばにいるのは、ひ孫さんです。
次回こそ、ドゥランドさんの登場です。お楽しみに。




