ザミラとエール
「ルゾガルが帰ったぞ!!!」
申請書を書き終えたころ、下から野太い酔っ払いの声が響いた。窓の外を眺めると、日はとっくに落ち、街路の灯りが点々と石畳を照らしている。
羽ペンを置き、乾きかけたインクを確かめてから机を軽く整え、ムザリクは階段へ向かった。
ダイニングに入ると、顔を真っ赤にしたルゾガルが石の長椅子に横たわっていた。片腕はだらりと床に垂れ、足は無造作に投げ出されている。テーブルには使いかけのタンガードと石甕が転がり、酒の匂いが部屋に充満していた。
「ムザリク。めし。」
「俺は、てめぇの石父じゃねぇよ。」
「細かいことはいいじゃねぇか!兄弟!」
のんきな返事に、ムザリクは肩をすくめる。怒る気にもならない。こうして酔い潰れるのは、いつものことだ。
棚から食材を取り出しながら、手慣れた動きで夕飯の用意に取りかかる。夜は簡単に、オープンサンドだ。
ナイフで黒パンを切り分け、ニシンのマリネ漬けとチーズ、玉ねぎのスライス、香草をのせる。いつもなら、ルゾガルにはエールを出すが、今日はしこたま飲んできている。代わりに、冷やしたハーブ水を杯に注いだ。
皿を並べ終えた頃には、ルゾガルもどうにか体を起こし、椅子に腰を落ち着けていた。まだ目は赤いが、意識ははっきりしているらしい。
「はぁ!!?酒造り!?おまえがか!?」
「うるっせぇ!いちいち叫ぶな。耳がいてぇ。」
「いや、叫ぶだろ。だって、おまえ、酒飲めねぇじゃねぇか?どうやって酒を造る気だ?」
「酒は技術だ。それに、今の酒が飲めねぇから新しい酒を造るんだ。」
「はぁ~、よくわからんが、その酒うめぇのか?」
「さぁな。造ってみないことにはわからん。」
ムザリクは淡々と答えながら、パンをかじる。塩気と酸味が口の中に広がるが、味わう余裕はあまりなかった。
視線の先では、ルゾガルが腕を組み、妙に真剣な顔でうなっている。
「まぁ、安心しろ!王都一の酒のみであるこのルゾガル様が味見してやるよ!」
その言葉に、ムザリクは一瞬だけ視線を上げた。酒が飲めない以上、味を見る者がいるというのは都合がいい。だが――
(こいつか……)
内心でそう思いながらも、否定はしなかった。
「それなら、ゾガラの家にいくぞ」
「これからか?」
「善は急げというだろ?」
ゾガラの顔が脳裏に浮かぶ。王都でも新しい酒工房であるバルザラ工房の職人――そして、ルゾガルの岩妹。
ムザリク自身も、亡くなった親父の飲むエールを買いに何度も通った家だ。勝手知ったる場所ではあるが、こんな時間に押しかけるのはどうかと思う。
ルゾガルはそんな事情など気にも留めず、思い立ったが早いという調子でパンを一気にほおばり、椅子を軋ませて立ち上がった。
王都の夜は静かで、危険が多いわけではない。だが、用もなく歩き回るには向かない時間帯だ。
まして、酔っ払いを連れてとなればなおさらだ。
だが今のルゾガルに、その程度の理屈が通じるはずもない。
ムザリクは小さくため息をつき、残ったパンを口に押し込みながら立ち上がった。
王都の中心部から少し離れた住宅街に向かう。大通りの喧騒が背後に遠ざかるにつれ、空気は落ち着きを帯び、代わりに生活の匂いが濃くなる。
この辺りは商人が多いせいか、魚人族の王国であるアウロラティア式の建物が多い。
アウロラティア式は、パステル調のカラフルな外壁と断崖絶壁に建てられるよう耐久性や断熱性に優れた石造りの建物だ。
珊瑚礁をイメージして造られた様式らしく、派手な色合いの割に自然と調和がとれているため、素直に美しい街並みである。エクスヴァーミン輝石やパレットストーンの街灯が、街並みを淡く照らして幻想的である。
赤や青、淡い緑といった色彩が夜の闇に沈みきらず、むしろ静かに浮かび上がる。その様子は、海底に差し込む光に照らされた珊瑚の群れを思わせた。
久しぶりにみる街並みを堪能していると、目的のゾガラの家に着いたらしい。朱い外壁に黒い屋根の2階建ての家だ。
周囲の建物と同じ様式でありながら、外壁の色は一段と濃く、はっきりとした主張を持っている。手入れも行き届いており、商いの成功を物語っていた。
エールは、労働者向けの酒だ。安価だが、賞味期限が切れるのが早く、造り手によってはまずい上に腹を壊す。そのため、一般的には酒造の若手の職人から買うことが多く、住宅街には必ず若手職人用の家と酒用の倉庫が用意されている。
若手職人側も住居費はタダで、練習と小遣い稼ぎができるので、担い手は多い。ゾカラの家もその一つだ。
かつてムザリクも、親父のためのエールを買いに何度もここを訪れていた。扉の位置も、裏手の通路も、体が覚えている。
「おい!どこに行くんだ!そっちは、母屋じゃねえだろ?」
「母屋はだめだ。そっちはザミラがいるからな。」
そういって、ルゾガルは堂々と家の庭から裏へ向かう。躊躇の欠片もなく、門を回り込むその足取りは、訪問というより侵入に近い。
ムザリクはしぶしぶ、ルゾガルの後に続く。夜の静けさの中で、自分たちの足音だけが妙に浮いて聞こえる。
庭の細道から倉庫らしい建物に到着すると、プレートがはめ込まれたドアの前に立つ。プレートには、月の焔を象徴する紋様が刻まれている。
ルゾガルは慣れたてつきでプレートに手を当てると、文字が浮かびあがる。
「”扉は閉ざせ、さもなくば樽が泣く”」
「”樽を泣かせる奴は、鉄槌を!”」
ルゾガルが呪文を唱えると、文様に沿うように一瞬青白い光が走り、カチャッと音が鳴った。ルゾガルはノブを回し、堂々と倉庫に中に入っていく。
「おい!勝手に入っていいのか?」
「いい、いい。ゾガラにばれたら面倒だからな。」
声を潜めるが、本人はまるで気にしていない。言っていることとやっていることが噛み合っていない。
倉庫の中には、大きな酒樽がずらりと並んでいる。木の香りと発酵の匂いが混ざり合い、むわっとした空気が鼻をつく。かすかに泡の弾けるような音すら聞こえる気がした。
ルゾガルは奥へと進み、一回り小さな樽が並ぶ棚の前で足を止めた。
「ほら、これ持っていくぞ。」
「おまえ、いくら石兄だからって、勝手に持ち出して本当に大丈夫なのか?」
「こっちの樽は、家族用のエールだから大丈夫だ。……前に間違ってフレームハートに手をつけたときは、3日くらいドミニクの診療所に転がり込む羽目になった。」
「……ドミニク、ご愁傷様。」
俺の心配をしろよと、ぼやくルゾガル。ルゾガルが樽に手をつけようとした瞬間——
――ゴァンッ!!
突然、金属が割れるような音とともに、壁にぶっとばされたルゾガル。乾いた破裂音とともに空気が震え、重い体が宙を舞い、石壁に叩きつけられる。
「いてぇな!誰だよ!?・・・・・げっ!?ゾガラ。」
そこに立っていたのは少女だった。金の長いくせ毛をターコイズのスカーフを結んだ整った顔立ちの美少女。ただし、その美少女はウォーハンマーを肩にもち、鬼のような形相で仁王立ちしている。
「ルゾガル!あんたまたうちの商品(酒)をかっぱらうつもりね!!今度という今度は絶対許さないわよ!」
そういってルゾガルに向かい何度もウォーハンマーを振り下ろす。岩より硬い硬度を誇るドワーフでなかったら確実に致命傷だ。
「ゾガラ、その辺にしてくれ。そいつの酒盗癖は殴ったところで補正不可能だ。それから、酒が欲しいのは俺の方だ。」
「あら?ムザリクが?お酒は飲めるようになったのかしら?」
「……まだだ。そのために、王都一の酒名人のゾガラの酒を研究しようと思ってな。」
「王都一なんて、やだぁ!お世辞がうまいんだから!母さんに比べたら私なんてまだまだよ。」
ゾガラは頬をゆるめ、先ほどまで振り上げていたウォーハンマーを肩に軽く担ぎ直した。
「ふふふ…そこまで褒められたら、譲ってあげないこともないわよ!」
倉庫に満ちていた殺気は嘘のように引き、代わりに機嫌の良さがそのまま空気に滲む。
その様子を横目に、壁際でうずくまっていたルゾガルがようやく身を起こした。
「ゾカラ、てめぇ俺と対応が全然違うじゃねぇか。」
「ムザリクはちゃんと買ってくれるもの。毎度毎度仕込んだ酒を勝手に持ち出して全部飲み干すバカと同じ対応なわけないでしょ!」
ゾカラは鼻を鳴らし、ルゾガルから視線を外すと、そのまま棚に並ぶ樽へと目を向けた。
「器に移す?」
「いや、できれば樽ごと欲しい。それから使ってない樽や壊れた桶があるなら、それも譲って欲しい。もちろん、新しい樽や桶の代金も払う。」
「古い樽や壊れた桶?そんなの何に使うの?」
「酒の研究に使う。」
「研究に……?なんだかよくわからないけど、ムザリクなら意味があることなんでしょうね。じゃあ、いい酒ができそうなら私にもレシピ教えてね。」
「あぁ、もちろんだ。」
「なら、決まりね!」
ゾカラは満足げにうなずくと、すぐに踵を返し、奥の樽棚へと歩み寄った。一方でルゾガルは、さきほどの一撃の余韻が残っているのか、壁際で体をさすりながら渋い顔をしている。その様子をちらりと見たゾカラの目が、わずかに細くなった。
「ほら、ルゾガル!ぼさっとしないで運ぶの手伝いなさい!」
「なんで俺が?」
「あら?嫌ならこれまであんたが飲み干してきた酒の代金、ここできっちり請求してもいいのよ?」
「……運ばせてもらいます。」
ゾカラがひらひらと見せつけた請求書の金額をみて、顔を真っ青にしてしょぼくれるルゾガル。もはやそこに兄の威厳はなく、とぼとぼとゾガラに指示された蔵に向かった。
GW連続更新はここまでとなります。
本編の次回更新は5/8(金)です。




