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黒柳悦郎は転生しない 一学期編  作者: 織姫ゆん
二十日目 一学期の終業式
180/181

20-8 いつもとは違う緊張感

 

「ああ、ほらあれだ麗美」

「美しいです……」


 学校の敷地的には一番奥。

 校門から一番離れた位置に、その建物はあった。

 建物と言っても、ちょっとした簡単なプレハブ建て。

 そして片面の壁が、すべて取り払われていた。


 ピュンッ……パツンッ。


 俺たちを引き寄せた音が、再び発せられた。

 そしてそれは俺たちの予想通り、そこで弓を引く人物から発せられていた。


「横溝海松さん。去年のインハイと秋大会の優勝者。今年の春の大会は初戦敗退で、そのまま引退」

「え?」

「ずいぶんと唐突ですわね」

「もたれっていう、弓道でのイップスにかかっちゃったらしくて、人前で弓を射ることができなくなったとか」

「なんだそりゃ。キツイな」

「かわいそうです」


 どこからそういう情報を仕入れてくるのかは知らないが、相変わらずの事情通な緑青の解説。

 そんな解説を聞いている俺と麗美の脇で、咲はうっとりと横溝先輩の射手姿に見とれていた。


「ホントに……素敵」


 確かにそれは、一枚の絵のような光景だった。

 傾きかけた太陽の赤みがかった光。

 真っ白な横溝先輩の弓道着が、茜色に染められている。

 一本にまとめられた長い髪が小さく揺れ、迷いのない視線が一筋に的を射抜いている。

 どういう作法があるのかはわからなかったが、ゆっくりと横溝先輩が動きはじめた。

 両足をやや大きめに開き、弓に矢をつがえて軽く掲げる。

 そのまま引き始めるのかと思ったら、再び弓を下に戻した。

 そして軽く何度か呼吸したあと、もう一度ゆっくりと弓を上げはじめた。

 大きく掲げられた弓を、左手で押し開いていく。

 弓は引くものという印象があったが、どうやら違っていたようだ。

 どちらかといえば、弓を押している。

 そしてあまりにもなめらか過ぎていつ動いたのかもわからなかったが、いつの間にか右手も横溝先輩の顔よりも後ろまで引き絞られていた。


「ごくっ……」


 見ているこちらまで緊張感が伝わってくる。

 蝉の声も野球部の歓声もそれ以外の音もどこか遠くへ行ってしまったようになっていた。


 ピュンッ……パツンッ。


 放たれた矢が的に刺さる。

 その瞬間緊張から開放され、俺はほーっと息を吐いた。

 ちょうどそれが最後の一射だったのか、横溝先輩は深々と一礼すると去っていってしまった。


「あんなに見事な腕前なのに、大会では勝てないんですね」

「まあ人前で射てないんじゃしょうがないからね」


 遠くなっていた蝉たちの声と野球部のだみ声、それに吹奏楽部のパラパラパーというラッパの音が俺たちの耳に帰ってきた。

 そして蘇る蒸し暑さ。

 直接の交流は一切なかったけれども、横溝先輩は俺たちに一瞬の涼を与えてくれた。


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