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シルシトウ二頁目



 鬱蒼とした森の中をふたつの人影が駆け抜ける。

 せわしなく周囲を見渡して何かを探すふたり。木々の枝葉の隙間から漏れる日の光が立ち止まった彼女らの姿を照らした。


「カノイ、いた?」


 背中の中程まで伸びる紫紺色の髪の少女が左手で髪を掻きあげると、柔らかい髪が細い指の隙間をするすると流れていく。


 視線の先には鴇色ときいろの髪の少女。

 カノイと呼ばれた少女が首を横に振る。


「だめ。見つからない。クルラは?」


 クルラと呼ばれた少女も同じ様に首を横に振った。

 彼女らの住む街がリリマニトの襲撃に逢ったのは早朝の事だった。




 “リリマニト”。バベルの塔から現れる異形の怪物。二年ごとにバベルの塔から発生し、各大地に散らばって行く。

 リリマニトが襲うのは人類だけではない。天使や悪魔だろうと、その辺にいる野生動物だろうと例外なく牙を剥く。


 人類は一度、リリマニトがどのように発生するのか調査するために、何千人もの有志を募ってバベルの塔のもとへ向かったことがある。

 調査後に生き残ったのは十人にも満たず、調査結果は“不明”という絶望的な結果となった。


 生存者が語るに、バベルの塔へ近づけば近づく程に、リリマニトは強くなり、多くの犠牲の末に辿り着いた塔には、何処にも入り口が無かった。

 壁を破壊して突入を試みるも、傷ひとつ付けられなかったらしく、装置の類を探すも見当たらなかったと言う。




 そのリリマニトが現れた、ふたりの少女が住む街はアシェルと言う。

 街はリリマニトから人びとを守るために高さ20メートルの城壁で囲まれていて、各所には警備隊が数人組で常時配備されている。

 リリマニトが確認された場合、直ぐに警鐘が鳴らされる。


 だが、その鐘が今朝はならなかった。気が付けばそれは街の中に我が物顔で佇んでいた。


 侵入したリリマニトは二体。

 すぐさまに迎撃に当たった近辺の警備隊によって一体は退治できた。しかし、残りの一体を仕留め損ない逃がしてしまった。

 過去に、取り逃したリリマニトが大群を引き連れて戻って来るという事態があったため、慌ててその一体を皆で追っていると言うのが現在のふたりの状況だ。



「ねえクルラ、二手に別れて探してみない? その方が早く見つかるかも」


 額の汗を拭いながらカノイが提案した。

 しかし、クルラがそれを一蹴する。


「だめよ。カノイはつい最近、生徒会に入ったばかりでしょ? それにリリマニトの討伐は原則二名以上。みっちり生徒会の規則を教えたつもりだったんだけど……もう一度する? 徹夜の勉強会」


 満面の笑顔を向けたクルラ。男性が見れば惚けたであろうその笑顔も、長年一緒にいたカノイにはそれが黒い笑顔だと言うのはすぐに分かった。

 カノイが一歩後ずさる。数日前の地獄を思い出して冷や汗が流れた。


 実技は大好きだが座学は大嫌いな彼女が、千ページ程もある“生徒会規則全集”は覚えるどころか、読む気にすらなるはずもなく、見かねたクルラが休日を使って最低限必要な内容をカノイに叩き込んだのだ。

 カノイ・ヤーケルトとクルラ・ハルラのふたりは幼少の頃からの親友で、家も近く、気が置けない間柄にある。だが、カノイが生徒会に所属する一年程前からクルラは既に生徒会に所属していたため、生徒会の仕事の時はどうもカノイは彼女に頭があがらない。


 カノイはぶんぶんと首を大きく左右に振った。


「じょ、冗談だってば。言ってみただけだって。あははは、もうやだなー。クルラは直ぐ本気にしちゃうんだからさ」

「そう? 残念。私はもう一度したかったんだけどな」

「い、いいって。それよりさ、ほらっ、早く逃げたリリマニト追っかけようよ。他の警備隊に負けたくないしさ」


 少し前に進みながらクルラにも歩くように催促する。



 ーーその時、カノイの直ぐ後ろ、ほとんど黒色に見える程に暗い深緑色の雑草が、激しく揺れた。


 カノイが振り返る。

 視界が完全に後ろを向くよりも早く、カノイの腹部を衝撃が襲った。小柄な彼女の身体は簡単に地を離れ、吹き飛ばされたカノイは幹の太い樹木に背中から衝突する。


「カノイ!」


 カノイの身を案じながらも、クルラはその場を動かずに辺りに注意を向け続ける。


 敵は居るが、しかし、その姿が彼女の視界に映らない。先ほどカノイが吹き飛ばされた時もそうだった。迎撃に移ろうと身構えたが、本来在るべき姿がそこには無かった。

 クルラはふた通りの可能性を考えた。

 ひとつが、“カノイを襲ったリリマニトが恐ろしく速い”ということ。そしてもうひとつ、“敵は姿を消せる”ということだ。

 街が襲われた時のことも考えれば後者の可能性が高い。

 姿が見えないから警備隊の人間が気付かず、普段鳴るはずの鐘が鳴らなかった。そして、リリマニトは堂々と街の中に侵入する事が出来たのだ。


 姿が見えないだけなら、対処は簡単。

 クルラは目を瞑り、耳を澄ます。

 離れた位置でカノイの咳き込む声が聞こえる。申し訳ないと思いつつも、早々に脅威を排除したいが為に敵の位置を把握しようとその場で静かに待ち続ける。


 だがクルラの思いに反し、リリマニトはなかなか音を立てない。

 先に、カノイの手当てを行おう、クルラがそう決心するのと同じくして、目を閉じたままの彼女の瞼に強い光が当たった。

 目を開けて辺りを確認すれば、カノイの頭上高くに強い光を放つ丸い発光体が浮かんでいる。


 信号弾。敵を発見した時や、救助を要請する際に使用する道具。

 警備隊はリリマニトを発見した時はこれを投げるように指示されている。



「生徒会っ……規則、だよね……!」


 腹部にまだ痛みが残るのだろう。カノイはふらふらと立ち上がると、痛みに耐えながらもクルラにブイサインを向けて笑った。

 なんとか平気そうなカノイの様子を見て、クルラは安心したようにほっと胸をなで下ろし、それから呆れたように笑い返す。


 カノイの行動は思わぬ効果も発揮した。

 信号弾の強い光に当てられ、姿を消していたリリマニトが視覚化された。

 犬の体の十倍ほどの大きさ。目は不自然に大きく、左右の目がばらばらに動いて焦点が合わない。爬虫類のような尻尾がせわしなく動いている。

 カメレオンと犬を足して、大きくすればこんな感じだろうか。


 クルラが武器を構えた。

 地面をひと蹴りしてリリマニトの目の前に一瞬で詰め寄る。

 敵が尾を振りかぶる。

 繰り出される相手の攻撃を武器で受け流しながら、クルラは徐々に相手の近くにまで接近した。

 リリマニトが口を開く。

 人間一人を丸々飲み込めそうなほど大きな口から、矢のような速さで長い舌が伸びてきた。

 不意を付かれた攻撃に一瞬怯んだ様子を見せるも、クルラは冷静に対処する。

 高速で動く舌の動きを目で追い、そして、武器で突いた。

 敵の舌を突いたそれを、そのまま地面に突き刺す。

 敵が痛みに大きな声をあげて暴れ出す。

 不思議と武器はリリマニトがいくら暴れようと地面から抜けない。

 クルラの足元に、彼女を中心にした魔法陣が広がっていた。


 そうこうする内に武器の刺さる地面と、リリマニトの舌が徐々に凍え始め、白色に変わっていく。その間もクルラの足元には陣が展開したままだ。

 クルラの頬を汗が伝った。



 人類が使えるようになった“魔法”。これまでの科学では不可能だった事を可能にする力。

 人により使える魔法属性は異なるが、魔法を使う際に精神力を消費するのはどの魔法属性にも共通する。


 クルラの魔法属性は水。しかし彼女は努力と才能でその属性を氷属性へと昇華させていた。

 やがてリリマニトの全身を氷が覆いつくす。

 クルラがリリマニトの舌を貫き地面に突き刺さる武器を引き抜くと、リリマニトの凍えた体は硝子が割れるようにパリンッと崩れ落ちた。

 それを見届けたクルラはカノイの側へ駆け寄る。


「ごめんねカノイ、すぐに手当てするから」


 そう言ってカノイに翳した手のひらの前に小さな魔法陣が浮かび上がった。

 水属性の魔法には傷を癒やす力もある。

 当然衣服の傷までは直らないが、カノイは痛みを覚える事なく平然と立ち上がりクルラとハイタッチを交わした。


「ありがとうクルラ。それにしても凄い魔法だね。もう死体がめちゃくちゃ。氷が溶けたら結構グロテスクなんじゃない」

「大丈夫、それは無いから。そうならないようにする為に、かなり細かく砕いたんだから。氷が溶けても誰もリリマニトの死体だとは気づかないわよ」

「そ、それはそれで嫌かも……。ま、まあいっか! リリマニトをやっつけた事だし、街にもどろ」

「そうね。授業前にシャワーも浴びたいしね」


 木漏れ日を反射して輝き、少しづつ溶けていく氷の欠片を背に、ふたりの少女は街へと帰って行く。

 信号弾に気付いて駆けつけて来た者らが、暫く困惑して帰った事を彼女たちは知らない。





 …………………………。

 ………………。


 日が傾き始めた。

 公園に集まっていた四人の少年少女が家路に就こうとする。

 鳥のように、空から地上を見渡した景色が映る。


 ――夢?


 カノイは靄が掛かった意識の中でそんな疑問を持つ。

 夢を夢と知りながら見るのは、随分と久し振りだ。彼女はこの何とも言えない浮遊感を感じられる感覚が好きであるのと同時に、怖くもあった。

 過去に何度かあったこの、夢と知る夢は、起きた後には必ずと言っていい程に、変化があるからだ。

 変化。そう、別に悪い事だけが起きるだけではない。悪い事が起きることも勿論あったが、良い事だって何度も起こった。それでも、怖いのだ。自分がこんな夢を見たせいで、周りで変化が起こる。

 この夢はいったい何なのか。

 カノイの思考を無視して、夢は流れ続ける。


 家路に着こうとした彼らに、声が掛かる。


 「ねえ。一緒に遊ぼうよ」


 皆が声の主の方へ視線を向けると、彼ら彼女らと同じくらいの歳の少年が立っていた。

 白銀の髪の赤い瞳をしたその少年に鴇色(ときいろ)の髪の少女――「私だ」とカノイが認識する――が自分より少しだけ背の高い紫紺色の髪の少女の背に隠れて怯えたように声を出す。


 ――クルラのショートヘアー姿、懐かしいなあ。


「だ、誰?」

「街の者では無いな。そんな髪色の人間、この街では見た事がない」


 子供カノイに続いて、眼鏡を掛けた細身の少年が言った。


 ――うわ、ギース全然変わってない! あれ、ザイベルもいる! あの二人、全然変わらないなあ。


 赤髪の少年に意識の向いたカノイが驚くと、それから懐かしそうに四人を眺めた。


 メガネの少年、ギースこと子供ギースの言葉に白銀の髪の少年は頷く。


「とーぜん、僕はこの街の者じゃないからね。今日、外から来たんだ。だから友達もいなくて暇で暇で。近い歳の子を探してたんだよ。で、君たちがその第一号って訳なんだけど……どうかな、僕と友達になってくれないかな?」


 子供カノイが他の三人に目をやる。口には出していないが、その表情は「どうしよ?」と語る。


「私は別に構わない、かな?」

「ふむ、門限まではまだ時間はあるな」

「……どっちでも」


 子供クルラ、子供ギース、子供ザイベルが次々と答え、その視線が子供カノイに集まる。


「カノイはどう?」

「ぁ、う……。わ、私もだい……じょぶ……」


 みんなの視線を浴びて、縮こまるように後ずさりながら子供カノイが答えた。


「ごめんね、カノイはちょっと人見知りが激しいから。あ、カノイって言うのは私の背中に隠れてる、ピンクの髪の子ね。カノイ・ヤーケルト。私はクルラ。クルラ・ハルラ。よろしくね」

「私はギーシュルツ・ハロルド。ギースで結構」

「……ザイベル・アルベインだ。ふぁああ……ねむ」

「あはは、ごめんね、ザイベルはいつもこんな感じなの。じゃあ、そろそろ、君の名前も聞かせてもらっても良い?」

「もちろん、僕の名前は――」




 靄が一度濃くなり、再び薄れていく。場面が変わった。

 カノイは直ぐに状況を確認する。

 大森林。そう、そこは緑の葉をこれでもかと身に纏った木々が茂る大森林、だった。

 子供の頃までは。

 今ではアシェルの街の中にある、人の手が加えられた林の、そのひとつに過ぎない。

 子供の頃に感じていた、暗くて怖くてドキドキした、広くて楽しくてワクワクしたあの感覚は、もう感じることもない。


 バサリッと木の枝を揺らして、一羽の鳥が飛び立った。

「きゃあっ」

 子供カノイがしゃがみ込む。


「カノイ、ただの鳥だよ」

「私はむしろ、君の叫び声に驚いたよ」

「……ふぁああ」


 うぅ、と涙目になりながら、周囲に目配せし、何も無いと確認して安堵する子供カノイ。

 その肩がポンポンと叩かれた。


「大丈夫だよ。みんなが側にいるから、怖いものなんて何もないよ。もし何かあったって、僕が必ずカノイを守ってあげる」


 そう言って励ましてくれたのは、白銀の髪の少年。キラキラと輝いて見えたのは……木漏れ日から漏れた光のせいだろうか?

 子供カノイは真っ赤に染まった顔を隠すように「ぅん」と何とか絞り出したような声で答えると、顔を伏せてしまった。


 今日は白銀の髪の少年が、四人と友達になって丁度半年が経った日。皆が少年を仲間と認め、彼ら四人の秘密基地を教える日だった。

 秘密基地を教える、教えてもらう。それだけで子供である彼らには、仲間になったと証明するには十分なイベントだ。


「やったねカノイ」

「な、ななな何の事っ?」


 子供カノイの側で、コソッと子供クルラが囁くと、慌てたように子供カノイが子供クルラの肩を掴んで男三人から遠ざかるように押し進んでいく。


「あはは。カノイ、顔真っ赤」

「ち違うってばっ。そんなのじゃないから。あ、あんな風に言われたら誰だって照れるでしょ……?」

「それが王子さまなら、なおさらだもんね」

「も、もう、もうっ。違うってばああ!」


 その当時の、子供カノイにしては珍しい大きな叫び声が、木々に跳ね返り、空にあがった。



 景色が変わる。



 白銀の髪の少年と向かい合うように、二人の少年と二人の少女がその前に立つ。皆の顔がどこか暗い。

 鴇色の髪の少女が、一歩近付く。


「ほ、本当に……行っちゃうの?」


 震える声を我慢してか、一言一言がかなりゆっくりで、認めたくないという少女の思いが感じられる。目には既に小さな涙が浮かんでいた。

 白銀の髪の少年はただ申し訳なさそうに頷くだけ。


「君は中々面白い人物だったよ。またこの街に来る時があれば、是非また語り合おう」

「ありがとうギース。その時は真っ先に君たちの所へ報告しに行くよ」


 子供ギースにしては珍しい、他人を認める言葉。子供ギースは何度も眼鏡を拭く。それはギースが何かしらの感情を抑えるときにいつも行っている癖のようなものだ。


「……お前とのケンカはまだ決着がついてねえのに……逃げんのかよ」

「それもまた、いつか」


 子供ザイベルにしては珍しい、イライラとした声。それは目の前の少年に対するものでなく、自分にはどうしようも出来ないことに対する苛立ちだ。


「あなただけ残るとか出来ないの? 私の家、大きいし、ひとりくらいなら住む人が増えたって大丈夫だよっ」

「流石にそれはクルラの両親にも悪いよ」


 全然悪くなんかない、その言葉を呑み込んだ。彼のことだから、ひとりだけこの街に残る事だって考えた筈だ。それを彼がしないって事は、出来ない理由があるのだろう。それは宿泊する場所の問題以外にも色々と。



「本当に、みんな今までありがとう。君たちと友達になれて良かった」


 白銀の髪の少年が一度四人を見渡す。みんな泣いていた。

 カノイ。人見知りで、寂しがり屋な女の子。泣き顔は見慣れているけど、今の泣き顔を見ると、罪悪感が押し寄せる。

 クルラ。お茶目で、真面目な女の子。思えば、彼女がいたから、この四人と友達になれたのかもしれない。彼女の泣き顔は、珍しいな。

 ギース。無愛想で、冷静な男の子。話してみると、意外と良い人物だった。なんて言葉を言うと、むすっと眉をひそめるだろう。眼鏡を直す振りをしながら、涙を拭っているけど、誤魔化しきれてない。

 ザイベル。これまた無愛想で、てきとーな男の子。接してみると、面倒見の良い人物だと分かった。彼が、涙を流してくれるなんて、想像もつかなかった。



「みんな、泣かないでよ」


 そう言った白銀の髪の少年の声も震えていた。

 ポツリと、涙が地面に落ちては、吸い込まれていく。それでも少年は笑顔でいた。涙でお別れなんて嫌だから。

 少年につられるように、ひとりまたひとりと笑顔になる。勿論、少年と同じで涙は止まらない。


 少年は、まだ泣き続ける少女に近寄った。


「カノイ、お願い」

「ぅう……うわあああぁあっ」


 カノイが少年の背に腕をまわして、抱きしめた。少年は胸の中で泣く少女を抱きしめ返した。


「行っちゃやだっ。やだやだやだあああ!」


 子供カノイだって、無茶を言っているのは分かっていた。でも、分かっていても、その気持ちを押さえ込むことがまだ子供の彼女には出来なかった。


 ひとしきり泣き続けた彼女はようやく顔をあげた。

 少年の顔が近い。

 普段ならそれだけですぐに顔を真っ赤にして、その大きくて優しい両腕から逃げたことだろう。

 でも、今だけは違った。

 少女は踵をあげて背伸びをする。そのまま少年の唇と自分の唇をくっつけた。


「バイバイ」


 涙でぐちゃぐちゃで、でも、今までで一番の顔で、彼女は笑った。



 靄が濃くなっていく。


 ――あ、夢が終わる。


 そんな事を考えながら、カノイは思う。

 この夢はなんだろう。

 自分の過去にこんな少年はいなかったし、ましてや、誰かとキスなんてした記憶さえないのに。


 ――欲求不満なのかなあ……。


 カノイの意識は夢から離れていく。



 ………………。

 …………………………。




「……イ…………ルト……!」

「お……カノ……ヤー……ルト!」

「起きろ! カノイ・ヤーケルトっ!」


 自らを呼ぶ声、怒声により、カノイ・ヤーケルトは目を覚ました。朧気な意識のまま周囲をきょろきょろと見渡すと、呆れた顔の親友クルラ・ハルラや、同級生たちの顔が映り、意識がしっかりし始めたところで、丁度、彼女たちの魔法学の女教員と視線があった。

 女教員がニコリと笑う。

 カノイに冷や汗が流れた。


「お、おはようございま――っいたぁ!」


 カノイのおでこが赤い。寝ていた跡という訳ではなくーー勿論それもあるがーーそれは女教員の元から弾丸の如く飛んできたチョークとの衝突によるものである。

 机の上で無惨にも砕けたチョークが散らばっているのを見れば、どれだけ威力があったのだろうかという想像もしたくなくなる。

 みんなの憐れみの視線がカノイに向けられた。




 授業が終わって教員が出ていくと、息を吐き出しながら机に突っ伏した。それからガバッと起きあがると、右隣の席のクルラ・ハルラへ向き直る。


「もうっ、シイヤ先生の授業の時は起こしてっていつも言ってるのにっ」


 どうして起こしてくれないの、と叫びながら机をバンバン叩くカノイに、クルラは理不尽な怒りだ、と呆れたように溜め息をはく。


「起こしてるのにカノイが起きないんじゃない」

「起きてないんじゃ、起こしてないのと一緒だよ!」


 クルラがまた溜め息をはく。これまでもう何度繰り返したやり取りか。

 そんな二人に前から声が掛かる。


「……おいバカ。今朝の当番、お前らだよな」


 赤髪の気怠そうな顔の男子生徒、ザイベル・アルベイン。一番授業中に寝てそうに見える彼だが、授業中に寝ていたことはない。

 真面目に受けているか、や、毎回授業に出席しているか、といった事を除けばであるが。


「バカとか、そんな直球に言わなくてもいいじゃんっ!」

「…………。お前ら、今朝の当番だよな」


 カノイから視線を逸らして再度クルラに尋ねる。

 ザイベルが言っているのは生徒会の、朝の警備当番の事だ。



 この街、アシェルには四つの学校がある。

 アシェルは円状に半径25km、高さ20メートルの外壁――第一外壁と呼ばれる――に囲まれている。その北端、南端、東端、西端にそれぞれ学校が置かれている。

 そこから中心に向かって、農業地区、住居地区、商業地区、娯楽地区、中心地区といった具合に並ぶ。20メートルの外壁の外側には更に農業第二地区、工業地区、5メートルの小さな外壁――第二外壁と呼ばれる――が並ぶ。


 5メートルではリリマニトから守るのには不十分だったらしく、今は第一外壁より外側の農業第二地区、工業地区は廃棄され、小さな工業地区が第一外壁より内部にーー主に農業地区の一部を間借りしてーー建てられ使用されている。

 第二外壁は現在もまだ増設工事中である。


 学校に名前はなく、北校、南校、東校、西校と呼ぶ。カノイらが通うのは東校だ。

 これらの各学校には生徒会と呼ばれる組織があり、皆はそこに入れるように日々励んでいる。

 必要とされるのは最低限の学力と最低限の協調性、そしてリリマニトと戦えるだけの実力である。生徒会長を目指すなら当然全てにおいて高い評価が必要とされる。

 人数に制限はない。と言うのも、生徒会に席を置く者は当番制で朝と夕と、外壁や街中の警備を手伝うことと決まっており、その人数が多ければそれだけ個々の安全も高くなるからだ。


 なぜ学生にそんな事をさせるのかと言えば、リリマニトに慣れさせるため――と言うのは建前で、単純に警備の人数が足りていないからである。

 それに、これは生徒たちにとっても悪い話ではない。

 生徒会に入っていた、それだけで卒業後の進路決定で有利となるのだ。そして少ないながらも給金も支払われる。




「そうだよ。あのね、聞いて聞いて。今日のリリマニト、姿を隠す能力持ってたの。それでカノイのお陰で倒せたんだけど……偶然とはいえ久し振りにカノイに感謝したわ」

「く、クルラ、なんかちょっと、言葉に棘を感じるっ」

「いや、だからお前ら……今日当番なんだろ。会長に報告したのか? リリマニトを倒したんなら尚更だ。最悪、警備隊がまだ知らないでそのリリマニトを捜し回ってるぞ」


 授業中に窓の外で忙しなく働く警備隊員を見ていたザイベルが何となく嫌な予感がして聞いた結果、その嫌な予感は当たっていた。

 警備は朝、学校の始まる前。今は午前の授業が終わってお昼。約半日だ。これを会長がどう捉えるか。

 起こした起こしてないでケンカをしていた二人が同時に青ざめ、同じタイミングで互いに互いを振り向く。流石幼馴染と言うべきか、見事に呼吸がぴったりな反応だ。



「はあ……頼むぞお前ら、本当に。後で怒られんの俺なんだぞ。……取り敢えず、今すぐ行ってこい」


 ザイベルが言い終わるや否や、二人は勢い良く教室を飛び出した。

 二人が向かうのは生徒会室。

 普段の警備の報告は直接会長のいる教室に向かうのだが、今回はリリマニトが街中に現れたのだ。その警戒態勢は高い状態だ。当然各学校の会長にもその情報が届く。

 そんな時は何時でも会長に報告が出来るようにと、会長は生徒会室で待機する事になっている。





「失礼します!」


 カノイ・ヤーケルトとクルラ・ハルラ、二人の声が重なる。

 生徒会室にいるのは三名。扉を開けて正面の椅子に座る生徒会長。向かって左側に立つ副会長。生徒会長を挟んで反対側、ホワイトボードの前に立つ書記。

 三名の視線が二人を向く。


「り、リリマニトを討伐して来ました!」


 クルラが報告する。

 生徒会長の視線がカノイの頭に向かう。

 真っ赤になった額、ぴょんぴょんと跳ねている少しの寝癖。


「……いつ?」

「朝です!」


 カノイがありのままを報告する。ばかー、とクルラが心の中で叫ぶも既に遅い。

 生徒会長が指の上で回していたペンをボキリッと折った。


「ふっざけんなコラぁああ! こっちは腹減ってんじゃあ、トイレ行きたいんじゃあ、暇なんじゃああ!」


 長机でちゃぶ台返しをしそうに思えるほどの気迫に二人が怯える。いや、既にパイプ椅子を頭上に持ち上げ、こちらに投げ飛ばさんとしているのを見て単純に怯える。

 そんな生徒会長を、隣にいる女性――副会長が宥める。


「まあまあ、討伐した後で何かあったのかもしれないですし、ちゃんと最後まで聞きましょうよ」

「あぁん!? ……ああ……そう、だな……」


 生徒会長が椅子を置いて、再び座る。


「んで?」


 生徒会長が続きを催促する。

 生徒会室に沈黙が流れる。当然だ。続きはないのだから。だからカノイは答えた。


「以上になります!」

「表でろやコラぁあ!」


 その後、生徒会長は半時間程、暴れた。




 暴走の止まった生徒会長の前に二人の女子生徒が正座している。頭にはたんこぶが三つ見えるのは気のせいだろう。


「じゃあ、そのリリマニトは透明化が出来て、んでその能力は信号弾で破る事が可能だったと。確認できた攻撃方法は尻尾と長い舌くらいで、魔法の類いは、その時において使用は確認されていない、と。以上で間違いないな」

「はい……」

「討伐後は普通に授業に出て、一人は居眠りをしていた、と」

「はい……」

「はああああ、ほんっっと頼むよ、怒られんの俺なんだから」


 どこかで聞いた台詞。別に二人は兄弟でも親戚でもない。

 生徒会長は報告を纏めた紙をぴらぴらさせながら考え込む。と言ってもその間は三秒程だ。


「取り敢えず、この授業に二人が出てたプラス居眠りしてたを削除。お前らは怪我を負ったカノイの状態が治るまで安全そうな場所で身を潜めてた。信号弾に駆けつけた奴らには二人共眠ってしまっていて気付かなかった。そうゆう事にしておく。いいな」


 この内容でも全然良くはないのだが、二人が報告を忘れていたとそのまま伝える方が良くない。それが二人とも分かっているからこそ頷くしかない。

 生徒会長としても自分の学校の評判は落としたくないのだ。


「ほんっと頼む、明日には新しい生徒会員が一人増えるんだ。良い見本になるように行動してくれよ」

「え、新しい人が入るんですか」


 寝耳に水と言わんばかりに副会長が尋ねる。


「そ。俺も昨日の夜聞いたんだけど」

「どなたですか」


 次の生徒会に入れそうな候補は何人かいるが、そんなに急に生徒会に入れるだけの成績をあげた生徒は居ただろうかと、副会長は思考を巡らすも、やはり該当者はいない。



「俺も直接見たことないけど……移動民(エスノス)の、いや、元、移動民か。そいつが編入してくるらしい」

移動民(エスノス)って……蛮人ですか? う、うちの学校に来るんですか? それも生徒会に入るって……!」


 今まで黙っていた書記の女子生徒が、珍しく顔を顰めた。彼女に限らず、移動民(エスノス)に良い印象を持つものは少ない。

 移動民(エスノス)は無教養。それでいて外壁の外を動いて街から街へ渡る為に、その実力だけは折り紙つき。移動民でリリマニトをひとりで倒せない者はいないだろうとさえ言われている。

 街に住む者は、移動民はリリマニトすら食べて生きている、と思っている者も少なくない。事実、食べている者も存在するのだが。



「ハルティナ、その呼び方はやめろ。偏見でものを語るな。ちゃんと教員の方で試験と面接もしていて問題なしと出ているんだ」

「でも……!」

「ちなみにハルティナ、おまえと同じ二年の、これまた同じ2組だ。同じ生徒会員同士、仲良くしてやれよ」


 生徒会長が意地悪げにニヤリと笑い、書記の女子生徒――ハルティナは「そんな」と顔を青褪めさせた。


「編入生……そっか」


 カノイは自分があの、夢と知る夢を見て起こった変化が、今回はこの突然の編入生だと知り、ほっとした。

 これは全然良い方だ。移動民(エスノス)だろうがなんだろうが、それがなんだ。子供の頃に体験した大嵐でもなければ、未だ見たことのない人類の敵、悪魔や天使が襲ってくるような事でもない。


「2組だって。ふたつ隣の教室だね」


 カノイの横で、興味津々といった面持ちでクルラは言う。


「明日、一緒に見に行こ」


 クルラの言葉にカノイは頷いた。




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