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シルシトウ三頁目



「ついてない……」


 ハルティナ・フローリアは帰路の途中でポツリと呟く。いつもの縁無し眼鏡を掛け、知的な雰囲気を纏う顔が、今はただ倦怠感に負われた疲れた表情だけがありありと浮かんでいた。

 今日の昼、生徒会長に言われたことを思い出す。


 ――同じ生徒会員同士、仲良くやってくれ。


 冗談じゃない。なんで蛮人なんかと。ハルティナは今日だけで何回目になるか分からない悪態を胸のうちでついた。

 ハルティナは本を読むのが好きだ。これまでどれだけの本を読んだことか。それらの中に出てくる移動民は正直、良い印象はなかった。本に書いているからって勝手に決めつけるのは良くない。ハルティナだって最初はそう思っていた。


 少し大きくなって、街に多く出掛けるようになると、酒場の前で誰かしらが揉め合うのをよく見掛けるようになった。その殆どが、移動民絡みだ。それで何となく、嫌だな程度に思うようになった。

 また、別の日、河原を歩いていると、遠くに人影があった。その人影に一匹の犬が近づいて行くのが見えた。ハルティナが学校帰りーー当時は東校初等部だった――にこっそりパンをあげていた野良犬だ。人懐っこい犬だった。

 その犬が、目の前で殺された。遅れてそこにやってきた仲間と思わしき移動民が、その死んだ犬を見て嗤っていた。誰一人、咎めるものもいない。

 この事件をきっかけに、彼女は移動民が大嫌いになった。


 移動民(エスノス)にとっては、犬もリリマニトも、同じ存在なんだ。いや、もしかすると、移動民以外を同族とは見ていないんだ。

 そんな考えが彼女の思考を埋めた。

 服装も汚い、言葉も汚い、笑い方も汚い。汚い汚い汚い。一度悪い感情を覚えると、次々に嫌な点が目につく。嫌な面しか見えなくなってしまう。

 ああ、本は何も嘘を書いていなかったんだ。

 ハルティナ・フローリアは、移動民(エスノス)が大嫌いだ。



「今晩は」

「え、あっ。こんばんわ……!」


 考え事をしていて前から人が来ているのに全然気が付かなかった。慌てて挨拶を返しながら、なんだろう、随分と耳に心地良い声だと思う。すれ違っていった人物を振り返る。白銀の綺麗な髪が、月明かりに照らされて一層綺麗に映った。

 同じ制服だ。向こうは男子生徒用だけれども。あんな髪の生徒いたのか。

 首を傾げながらもハルティナは再び歩みを進めた。





 翌日、ハルティナの気分は最悪だった。

 学校を休もうかと本気で考えた程だ。だが結局、みんなから生真面目過ぎると言われている彼女にそんな事が出来るはずもなかった。


「行ってきます」



 学校につくとすぐに教室に向かった。教室の扉を開けると誰もいない。いつもと同じだ。ここに来るまでだって数人の姿をちらほらと見る程度だった。

 こんな早くから学校に来る人なんかそういない。彼女はこの静かな教室で本を読むのが好きなのだ。

 ハルティナはいつものように鞄から本を出して開いた。




「おはよー! 今日も早いな、ハル」

「おはよう」


 暫くして入ってきたのは、同級生のサーシェ・トリッツェ。彼女も同じ生徒会員だ。このクラスには更にもう一人いる。合計三人。多いほうだろう。4組の四人には負けるが……いや、今日来る編入生を合わせると並んだのか。

 ハルティナはふと思う。目の前にいるサーシェに、編入生の世話を任せれば良いのではないかと。そうだ。このクラスには既に三人の生徒会員がいる。

 それなら別に自分でなくても良いじゃないか。開いていた本を閉じた。



「サーシェ、お願いがあるんだけど」

「やだ」

「……。まだ何も言ってないんだけど?」

「昨日、生徒会長から指示があってさ、『転入生の面倒はハルティナ・フローリアに任せること。サーシェ・トリッツェ及びリリック・マーベはそれを優しく見守ること』だってさ。たぶん担任にも言ってるんじゃないかな」


 生徒会長の口調を真似しながらサーシェが言う。元々がやや男の口調の様な話し方である為か、然程違和感がない。リリック・マーベはもう一人のこの組の生徒会員だ。

 ハルティナは溜め息をつく。もうどうにでもなれ。ハルティナは諦めた。どうせ問題を起こしてすぐに出ていくに決まっている。そう思うことにした。そう思わなければやっていけない。


「分かったわよ」

「うん、頑張れ頑張れ! もし男で、ハルティナが襲われそうになったら、その時は助けてあげるから安心しな」


 肩を叩いて励ましてくれる笑顔の友人に、力ない笑みを返した。いつも前向きで元気一杯な彼女が羨ましい。彼女なら例え今の自分と同じ立場になってもその役を喜んで受け持つのだろう。



「それはそうと、今日も早朝特訓してきたの?」

「選抜試合の日も近いからね。やれるだけやっておかないと」

「そうなんだ。応援してる」

「うん、ありがとう!」


 選抜試合か。あったなー、とハルティナは思い出す。

 毎年、アシェルにある四校で、対抗試合が行われる。団体戦で行われる学年別試合と、学年関係なく行われる個人戦。サーシェなら問題なく選抜メンバーに選ばれるだろう。

 他に確定しているだろうメンバーは三人、彼女の頭に浮かぶ。ザイベル・アルベイン、クルラ・ハルラ、ウィルケイド・ボイド。団体戦は五人までだから、残りの一枠を狙っての戦いになるんだろうな、とハルティナは他人事に考える。

 そうこうしているうちに教室には徐々に生徒が増えてきて、ハルティナの気持ちは比例して重くなっていった。





「はい、皆さん、静かにお願いね」


 教室に一人の老婆が入って来て教卓の横に立って言った。この2年2組の担任である。身長は小さく、教卓と同じ高さだ。教卓の後ろに立てば、頭のうえのお団子にした白髪混じりの髪がぴょこぴょこ見えるだけだろう。目はもう、開いているのかどうかすら怪しいが、想像以上に視力は良いらしい。

 生徒からの人気は高い。担当教科は歴史であるが、彼女の授業はみんな出席して真面目に授業を受けているし、生徒からは気軽に相談もされ、一部の生徒からは愛称としておばあちゃんと呼ばれることもある。


「今日はこのクラスに、新しい仲間が増えます。皆さん、仲良くしてあげて下さいね。オルドワンさん、どうぞ」


 ゆっくりした先生の呼び声で、教室のドアが開いた。いきなりの転入生の発表に教室がざわついたが、廊下から転入生が入って来ると、一斉に静まった。

 白銀の綺麗な髪の男子生徒。昨日の人だ、とハルティナは思った。

 その男子生徒が担任の隣に立って、前を向く。堰き止められていた川の水が流れ出したかのように、一斉に歓声があがった。主に女子生徒から。ハルティナも彼が移動民だということも忘れて、見惚れてしまった。

 ――こんな格好いい人、いるんだ。

 胸のうちで呟く。ハルティナはよく友人から勘違いされるが、別に恋愛に興味がないわけじゃない。ただ今まで好きになる誰かがいなかっただけだ。

 ハルティナは前に立つ少年を見て思う。ああ、自分は意外と、面食いだったんだなあ、と。



「初めまして。アレテイア・オルドワンです。呼び難いと思うので、アルと呼んで下さい。前までは移動民でしたが、この度アシェルに住まうことになりました。この学校も、この街も、分からない事だらけですので色々教えて頂けると嬉しいです。よろしくお願いします」


 そう言って挨拶をした彼に、もう一度歓声と拍手が上がった。

 ひとしきり落ち着くと――全然落ち着いてはいないが――担任が口を開いた。


「オルドワンさんは生徒会にも入ります。ですから、同じ生徒会の方は特に、仲良くしてあげて下さいね。フローリアさん」

「は、はい……!」


 惚けているところに自分の名前が呼ばれ、慌てたように返事をする。アレテイアと目があった。自分の顔が火照っていくのが分かる。

 彼は移動民だ。ハルティナは自分に言い聞かせる。顔の良い男が女性を誑かして全て奪っていくなんて事はよくある話ではないか。

 騙されるな、そう何度も心で繰り返しても、高鳴る胸はすぐには治まらない。


「オルドワンさんの当面の補佐を、宜しくお願いしますね。オルドワンさん、彼女も生徒会に入られていますので、分からない事があれば、何でも、彼女に尋ねて下さいね」

「はい」

「フローリアさんも、良いですね」

「はい……!」


 幾人かの女子生徒が、いいなー、ずるーい、と声をあげるが、そんな言葉、今のハルティナの耳には入ってこなかった。彼女の意識はもはや前に立つ彼にしか向けられてはいなかった。


 ーーどうしよ……完全に一目惚れしちゃった。


 ハルティナはポツリと、呟いた。




「よろしく」


 ハルティナのすぐ隣に座るアレテイアが声を掛けてきた。

 朝礼が終わってすぐに授業に入り、余った机と椅子がハルティナの隣に置かれた。担任の指示だ。

 通常、個々の机は一つ一つが離れて並んでいるのだが、今回は違った。学校側の都合により、アレテイアの教材がまだ用意されていないらしく、届くまでハルティナの教材を二人で見て授業を受けるようにと言われたのだ。だから、机はピッタリとくっ付いている。距離が近い。

 周りの女子生徒の羨ましげな視線が飛ぶ。

 仕方がない仕方がない仕方がない。ハルティナは必死に自分に言い聞かせる。周りの視線なんか全然気になんかならない。ただ、すぐ隣の彼だけは気になってどうしようもない。


「よ、よろしきゅ……」


 咬んだ。漫画だったらボフっと言う効果音が付きそうな程に顔が真っ赤になる。


「ごめんね、見づらいでしょ」


 ハルティナが咬んだ事には触れず、アレテイアは言う。それは二つのくっ付いた机の上に開かれた教科書について。

 ハルティナは右利きで、教科書はいつも左側に置いているのだが、今は右隣がアレテイアの席のため、彼女の右側に教科書があるのだ。

 不慣れな様子に気付いてアレテイアはそう言ったが、ハルティナはそんな事ないと首をふるふると横に振って、動作で答える事しか出来ない。

 また咬んだら、その場から逃げ出しそうになるから。




 ふう、とハルティナは小さな息をついた。

 今は授業と授業の間の休み時間。授業が終わると同時に多くの同級生がアレテイアの元に寄って、質問の嵐が起こった。

 質問して来ている同級生とアレテイアが話しているため、今は然程緊張は感じていない。

 保たない、とハルティナは思った。



「随分と役得そうじゃない」


 ハルティナが顔をあげると、すぐ近くにサーシェが立っていた。


「保たないよ」


 隣の席のアレテイアに聞こえないような小声で答えると、サーシェは楽しそうに笑った。


「贅沢な悩みだね。でも、ハルがそんな風になるなんて意外。正直少しだけ、同性愛者かと思ってた時期もあるし。しかも朝まで蛮人とか言ってたくせに、その相手が、とかもう驚き」

「そ、それは言わないでよ……! だって、彼ってどう見ても移動民と思えないじゃない。雰囲気とか、態度とか……凄く礼儀正しいし。そ、それにっ、そんなこと言ったらサーシェだって、そうゆう話聞かないじゃない」

「そりゃあ、あたしは同性愛者だもの」


 さらりとそう言ってニヤリ笑う彼女を見て、ハルティナは嘘か本当か判断がつかない。かと言って深堀したい話でもない。だからわざとらしく一つ溜め息をついて「はいはい」と、サーシェが冗談を言ったのだという風に流してしまう。

 それから少し、隣で質問攻めにあっているアレテイアの方に意識を向けた。少し冷静になってその横顔を見て、やっぱり格好いいなあ、と頬がほんのりと紅潮する。


「どのくらいの街を渡ったの?」

「三十箇所くらいかな」

「雪って見たことある?」

「勿論。ここよりもっと北の街で。一面真っ白で、でもそれでいて綺麗な景色に見えるんだ」

「リリマニトを食べるって本当なの? てか上手いの?」

「あー、非常時には食べるよ。でもすっごい不味いからお勧めはしないな」


 どんな質問にも愛想良く受け答えをしている姿を見ると、どうしてもこれまでの移動民(エスノス)のイメージと一致しない。

 でも、だからこそだろうか、胸が高鳴ってしまうのは。

 酒場の前で見かけた移動民のような汚い印象もないし、教養がないなんて思えない応接。教科書を見る時は礼を言ってくれるし、肘と肘がぶつかった時は先に謝ってくれる。

 彼に関してだけは、移動民とかそうじゃないとか、もうどうでも良かった。

 ただただ、もっと彼の事が知りたかった。





「アレテ……アルさんさえ良ければ、これから学校を案内しようと思うんですが、どうですか?」

「ああそれなら、生徒会室に案内して貰っても良いかな。生徒会長に放課後来るように言われてたんだ」

「分かりました。それでは早速行きましょうか」

「よろしく。ああそれと、さんも付けなくて良いし、敬語もやめよ。そうゆうの移動民は苦手だし、早くみんなと仲良くなりたいってのもあるから」

「分かりまし……分かったわ、ア……アル。わわ私もっ、ハルで良いから……!」

「ん。ハルね」


 放課後にもなると、朝に比べてだいぶ慣れたハルティナではあるが、それでも事あるごとに顔が赤くなってしまう。それを隠すようにアレテイアに背を向けて、生徒会室へ向かって歩き始める。

 その道中で、アレテイアがハルティナの背中に言葉を投げ掛ける。


「そういえば、一つ確認しておきたいんだけど。休み時間に話してくれた昨日のリリマニトの話、二体とも同型のリリマニトで間違いはないんだよね」

「私の聞いた報告だと、そのはずだけど。それがどうかしたの?」

「ん、ちょっとね。生徒会室で話すよ」


 そうしてポツリポツリと会話をしながら、二人は生徒会室の前に着いた。





「やあ、ようこそ。アシェル東校へ」


 扉を開けてすぐ、そんな言葉が掛かる。ドアを開けた正面の奥に、こちら側を向いて座る男子生徒、生徒会長の声だ。その隣には副会長が座る。

 長机が四角く並べられた生徒会室内には、今日は彼らの他にも十八名の生徒がいた。教室の左右に並ぶ机の前にまばらに座り、アレテイアを観察するようにじっと観ていた。

 二年の生徒会員達である。顔合わせのために呼んだのだが、そこに2組の生徒会、サーシェ・トリッツェとリリック・マーベは来ていない。同じクラスだから必要ないだろうという生徒会長の判断だ。


「まあ座って座って」


 生徒会長がそう催促し、アレテイアとハルティナは入口に一番近い席、生徒会長の座る机と対面になるように並んだ机の前に座った。

 アレテイアのすぐ横に、ちょっと照れながら座ったハルティナを見て生徒会長は「おや」と小声で呟くと、面白そうに「ふうん」と笑う。それからアレテイアへ視線を移した。


「アレテイア・オルドワン、だよな。俺はこの東校の現生徒会長、ミリオ・ボイドだ。よろしく。隣にいるのは副会長のマリア・ラリルラだ。そんで、左右に並ぶ彼らはおまえと同学年の生徒会員だ。今日は顔合わせのためだけに呼んである」


 アレテイアは左右を見渡した。自分を警戒するように観てくる彼らの中に、ひとりだけ、他とは違う様子でじっと見つめてくる生徒がいる。鴇色の髪をした女子生徒だ。

 視線を合わせて微笑むと、慌てた様に顔を逸らされてしまった。



「まあ呼び出しておいてなんだが、正直に言って顔合わせ以外なんも考えてなかったんだよなあ。そうだな……おまえの方から何か質問とかないか?」

「質問、ではないんですけど、挨拶をしても良いですか」

「おっ、いいねいいね。それじゃ早速始めちゃって」

「ありがとうございます。それでは改めまして、アレテイア・オルドワンです。僕が移動民だったことはみんなもう知っているようですね」


 ひしひしと感じる警戒の視線はそれが原因であろう。アレテイアは若干苦笑いを漏らす。


「今日は移動民についての意識を、ちょっとだけでも変えて頂きたくて、この場で挨拶させてもらいます。それでその前にまず、皆さんが移動民に対してどういった意識を持っているのかお聞きしても宜しいですか」


 アレテイアが左右の椅子に座る生徒たちへ視線を向ける。それを見るだけで大抵は理解できてしまう。つまり、良い感情を持っている者はいない、だ。

 生徒会長が口を開いた。


「君の隣に座ってる人に聞けば、一般の移動民象が浮かび上がって来ると思うよ?」

「え……ええっ!? いえ、その……」


 ハルティナが嫌そうな顔をする。その話題を振って欲しくはなかった。確かにハルティナの移動民に対する考え方は一般的である。やや毛嫌い感が強いかもしれないが、些細なものだろう。

 ハルティナが心配するのは、それをハルティナが話すことでアレテイアに良い印象を持たれなくなる事に対してである。

 彼女からすれば一目惚れではあるにせよ、初恋の人なのだ。それが初日から悪印象となると、もう最悪だ。

 それでも集まった視線を振り払う上手い言い訳がすぐに浮かばず、口ごもってしまう。


「気を遣わなくても良いから、一般的な印象を教えて。それでハルを嫌いになったりなんかしないから」


 隣から優しい声が掛かる。横を見れば微笑む彼の顔。

 ハルティナはコクリと頷いた。


「移動民には、正直良い印象はありません。言葉は乱暴で、所構わず大声で騒ぐし、すぐ喧嘩もして、最低限の礼儀も無くて。それでいてリリマニトと戦えるだけの十分な強さがあるから一般民だと手に負えないから、迷惑な存在……だと思ってました」

「蛮人だもんなっ」

「せ、生徒会長っ……!」


 からかうように付け足して言った生徒会長ーーミリオ・ボイドをハルティナは顔を真っ赤にさせてキッと睨みつける。

 半分は怒りでもう半分は隣のアレテイアに対する恥ずかしさから来たものだ。

 生徒会長から視線を外して「今ではみんなが皆そうじゃないと分かってるから。アルは全然そんな雰囲気しないし、蛮人だなんてこれっぽっちも思ってないから」と、ぼそぼそとアレテイアに伝えた。


「うん、ありがとうハル」


 アレテイアはハルティナに囁くともう一度前を向いた。


「僕も今のような認識で概ね間違っていないと思ってます。でも、全員が全員そうじゃないと分かって欲しいんです。彼らは街を出てしまえば死と隣り合わせの環境に長くいることになる」


 だから街に入ると緊張を解くために酒を飲んで、大声で笑う。外でそんな事をすればすぐにリリマニトに襲われてしまうから。だから街では羽目をはずして心に寛ぎを与えるのだ。

 アレテイアがそう説明をすると、それを聞いていた生徒会員のひとりがポツリと呟いた。


「だから、移動民の身勝手な行動を許せってか」


 言葉に乗るのは押さえ込んだ怒りと悔しさ。

 その小さな一言を皮切りに、堰を切ったように次々とその男から感情が溢れ出る。


「俺の親父と兄貴はな! 移動民のせいで怪我してっ、警備隊を辞めることになったんだぞ! それを外出たら危険なんだから許して下さいってかっ? ふざけんな!」


 数人が頷く。恐らくは彼らも同じ様に移動民の騒ぎの為に何かしらの被害を被ったことがあるのだろう。ハルティナも、小さい頃に可愛がっていた野良犬が殺された時の事を思い出していた。

 立ち上がってまで叫んだその生徒会員に、アレテイアは頭を下げることしか出来なかった。


「オルドワン、いい、顔をあげろ。お前は悪くねえし、別に話はそれで終わりじゃねえんだろ」

「……ありがとうございます、会長。でも確かに、一部の移動民の素行の悪さは、同じ移動民の中でも問題視されている事実です。その対応が出来ずに迷惑を掛けてしまった事は本当に申し訳なく思ってます」


 そう言って再度、先程の生徒に頭を下げたあと、アレテイアは続きを話し出した。



「そもそも移動民は何故、リリマニトのいる外壁の向こうに出て行くのか、皆さんは知っていますか。死が怖くて、街のみんなにも迷惑を掛けるくらいなら、いっそ定住した方が良いとは思いませんか?」


 返事はない。アレテイアは続ける。


「そうしない理由。それは、リリマニトの調査の為、そして……人口削減の為です」


 数人が息を呑む。驚いた顔でアレテイアを見る者も数名。

 人口削減。

 この街、アシェルのように自給自足が上手く出来ていて、住む場所も沢山あるような街ならそんな心配もまだまだ当分は要らないだろう。しかし、小さな村や、農作物や動物が上手く育たない街だとどうか。食べる物はないけど、人だけが増えていく。そうなればいずれ訪れるのは食糧不足による餓死だ。

 だからある街では、リリマニトの調査隊と言う名目で街から追い出される。断って残っても、食料は売っても貰えないし、当然与えられもしない。

 当然他の地域で定住する者もいる。だが、そうした人が集まってしまうと、今度はその街が食糧不足に陥る危険が孕む。だから街側も移動民の受け入れは余り進んで行うことが無い。



「僕が何故、挨拶の時間を貰ってこんな話をしているのか。それは皆さんに同情をして欲しいからではありません。移動民にも、まともな人物は沢山いるという事を知って欲しかった事がひとつ。それと、これが本命なんですがーー」


 アレテイアが生徒会長をジッと見据える。

 アレテイアの、何か異様な雰囲気を纏ったのに気が付いたのか、生徒会長の態度も自然と真面目なものに変わる。



「この街に、危険が迫っている可能性があります」





 街の外壁の上に、いつになく多くの人影があった。それはアレテイアと呼ばれる移動民から、アシェル東校の生徒会長にとある情報を話が入り、それが今度は生徒会長から警備隊の本部の方へと連絡が行き、警戒態勢が敷かれたのだ。


「第二世代、第三世代の可能性も有り、ねえ……」

「なんだ? その第二とか第三とか」


 外壁の上の警備員が数名、暇そうに雑談をしていた。


「何でも、東校に編入した移動民がリリマニトに関する情報を持って来たらしいんだがな、昨日この街を襲ったリリマニトいるだろ? それが第二世代と呼ばれる奴らしいんだわ」

「いや、だからなんだよ、第二世代って。まさかリリマニトが繁殖行為でもするってのか? それとも何か、誰かが造ってんのか」

「知らねえよ、そんなの。でもよ、この第二世代ってのが厄介らしいんだ。昨日のリリマニトが、姿を消していた、なんて話は聞いたか?」

「ああ、それね。透明化していたので街に入るまで気付きませんでしたって奴だろ? んなもん警備をサボってた奴の言い訳だろうが」

「俺もそう思ってたんだが、もう一匹を討伐した奴らの報告でも透明化していたって証言が出てたんだわ」

「おいおい、マジかよ。そんな奴、初めて聞いたぞ」

「俺だってそうだっつの。んでさ、その透明化する力を持ったのが第二世代って、移動民の中では言われているらしい」

「んじゃあ何? 第二世代ってのはみんな姿が見えないのかよ」

「いや、どうもそう言う話じゃないらしい。昨日のリリマニトは偶然、透明化する力を持ったらしくて、他の第二世代って奴らには火を吐く奴とか、雷を纏う奴とかもいるらしいぞ」

「おいおい、勘弁してくれよ。そんなのが出てきたらこの壁だって簡単に壊すのとかも出てくるんじゃないのか」


 外壁を歩きながら、たちの悪い作り話でも聞かされたように、二人は苦々しく笑いあった。

 それから定期的に使うようにと指示された音響弾を使用する。耳栓をしていても十分に響いてくるその音は、街の至るところから規則的に鳴り響いていた。





 時は少し戻り、場所はアシェル東校、生徒会室内。

 東校生徒会長のミリオ・ボイドがアレテイア・オルドワンの返答を待つ。たった今聞かされた第二世代と呼ばれるリリマニトへの対抗策についての返答を。


「今回の透明化という能力は、実はそれほど厄介ではありません。音は消せないし、攻撃を仕掛けようとしたり、強い衝撃や、刺激、音に当てられるとすぐに解除されてしまうようなものです」

「へえ、じゃあなんだ。さっきみたいな怖い顔して言うような事でもないじゃんか」

「いえ、それはあくまで第二世代の場合です。先程説明した第三世代が、危険なんです」


 アレテイアは一度、昨日のリリマニト討伐についての報告を詳しく聞いたあとでした説明、それは第二世代と第三世代の生まれ方について。

 第二世代は同型のリリマニトが交配する事によって生まれたリリマニトの事だ。リリマニトが交配するということ自体が、非常に稀である。しかし、その低い確率で生まれた第二世代というのが、厄介なのだ。

 第二世代はいずれも特殊な能力を持つ。今回のリリマニトであれば、それが透明化というものだ。

 さらに、狩りに慣れた多くの移動民が警戒する第三世代。これは同じく、同型の二世代目リリマニトが稀に交配し、稀に生まれる。

 能力は当然持つ。だが、厄介なのはそれじゃない。死んだ家族の情報を得て、耐性を得るというものだ。


「今回、ハルラさんという方が使った魔法は、水属性の上位互換の氷属性。さらにその中でリリマニトの身体を芯まで凍えさせるものとなると、最低でも上位下級魔法である“氷結晶”しか僕には思い当たりません」


 アレテイアが確認するように生徒会長へ視線を向ける。その視線を受けた生徒会長はそこから鴇色の髪の少女の隣にいる女子生徒へと視線を向けた。

 生徒会長とアレテイアの視線を受けた紫紺色の髪の女子生徒ーークルラ・ハルラは頭を縦に振って間違いないと告げる。


「“氷結晶”を使用出来るというのは、彼女が非常に優秀な人物である事が伺えます。が、今回はそれが裏目に出るかもしれません。ただの第一世代であればそれでも問題ありませんでしたが、同型の第二世代が二体確認されている状態での“氷結晶”は、少々過剰攻撃が過ぎました。もし、第三世代がいた場合、生半可な氷属性魔法は一切通用しないと思ってください。また、信号弾を使用して姿を現したという事は、光属性にも少なからず耐性を持っていますし、同じ信号弾による透明化の解除は不可能でしょう」


 みんなが驚きの表情を浮かべる。そんな事が有り得るのか、と。だがアレテイアの話はまだ終わらない。


「さらにリリマニトの舌を突刺したとの事らしいですがそちらも耐性を持たれているでしょう。第三世代がいた場合、突きによる攻撃は余り有効打にはならないと思われます。それから生徒会長、お願いがあります」


 アレテイアは生徒会長に視線を向ける。


「もう一体のリリマニトがどうやって殺されたのか、それを討伐した者に聞いて頂きたいのです」

「問題は無い。だけどなんだ、その話し方だともう一体の倒し方によっちゃ、さらに強くなってる事になるのか」


 アレテイアはその言葉に頷く。それから少し遠慮がちに苦笑いをする。


「二体分の情報だけならまだ楽ですね」

「どうゆう意味だ?」

「そのままの意味ですよ。先程説明した通り、第三世代は死んだ家族の情報を得るんです。つまり、仮に第三世代が三体産まれていたとします。そうすると、最後の三体目を討伐するときには、そのリリマニトはそれまでに討伐した二体の第三世代からも情報を得て、耐性を持つんです。

 ですが幸いな事に、彼らは上下の家系以外を家族とは認めないようですので、第一世代の討伐方法については気にする必要はありません」


 移動民がリリマニトに恐怖心を持つ理由が分かって頂けたでしょうか、と最後に言うと、アレテイアは椅子に座った。全員の顔が生徒会長へと向く。


「ちなみに、その第三世代がいた場合、どのくらいでこの街を襲いに来るんだ?」

「正直、まだ襲われてなかったのが意外でした。もしかすれば第三世代が産まれていなかったという可能性もありますが、最低でも五日は警戒するように警備隊の方へ伝えて頂きたいです」

「そうか……。分かった。取り敢えずはすぐに警備隊の方に連絡を入れよう。場合によってはお前らにもすぐ警備の手伝いに入って貰うと思う。その時は宜しく頼むぞ」


 全員が頷く。嫌がるものはいないだろう。少なくともここにいる生徒会員は全員、この街が好きなのだから。

 生徒会長はそれを確認すると解散を告げた。



「オルドワン、情報提供助かった。お前のこれからの学校生活が良いものになることを願っている」


 アレテイアは生徒会長に一礼し、そして部屋を出た。




「ハル、悪いけど学校の案内、明日にしてもらっても良いかな」

「え、ああ……うん。アル、何かする事が出来たの?」

「うん。僕の世話になった移動民の団体がまだこの街の何処かに居るはずだから出ていく前に探して、今の話を聞かせなくちゃ。それで第三世代がいた時は手伝ってもらわないと」


 この街に来たばかりなのに、こんなにこの街の事を考えて行動してくれるなんて、とハルティナは更にアレテイアへの評価をあげる。それと同時に、やっぱりライバルは多いんだろうなという気持ちが強くなる。

 だから、いつになく積極的な行動を取った。


「あ、アル……! 私、移動民の人が良くいるお店とか幾つか知ってるっ。だ、だから、一緒に行ってもい……良い、かな……?」


 移動民がいるところを知っていると言うのは本当だ。いつもなるべく通らないようにしていたのだから。それはきっと、ハルティナでなくても、この街でずっと住んでいる者たちなら殆ど皆んなが知っているだろう。


「あ……でも、私がついて行ったら迷惑……だよね……」

 

 一日の内にこれだけ喜んだり、恥ずかしがったり、積極的になったり、不安になったりとした事は、ハルティナの人生でこれまで一度もなかっただろう。

 それを今日初めて会ったばかりの目の前の少年にしてしまっている。これが同級生たちがよく言っている恋と言うものなのだろうか。

 一目惚れで、ここまでの気持ちになってしまっても大丈夫なのかと考えると同時に、アレテイアの事をもっと知りたいとこんなにも考えているのだから、やはりこれは恋で間違いはないのだろう。そしてそれは悪いことではないと、ハルティナは自身の中で結論付けた。

 結婚というものの前には、互いに相手をもっと知るための“恋人”という段階がある。だからハルティナの、彼をもっと知りたいという片思いは“恋”である筈だ。

 それが互いに恋する気持ちになれば、恋人となれるのだろうとハルティナは自分に言い聞かせ、胸の内で何度も相槌を打った。

 そうだ、そうに違いない。

 それなら彼にも自分の事を知りたいと思うようになってもらわないといけないのでは、とも思う。そう思わせる何かが自分にはあるだろうかと、そんな考えが過るが今は頭の隅に追いやった。


 不安そうに俯いてしまったハルティナに、アレテイアはすぐに言葉を返した。


「邪魔なんてとんでもない、凄く助かるよ。でも、良いの? これから会いに行くのは移動民で、もしかしたら……いや、絶対にハルにとって良い気分じゃなくさせると思う」

「だ大丈夫っ。役に立ちたいの……!」

「そっか……。うん、分かった。それじゃあ案内をお願いしていいかな」


 ハルティナの表情がパッと明るくなる。


「うんっ、任せて!」





 アシェルの街をぐるりと囲う、20メートルもの高さのある外壁の上を二人の少女が並んで歩く。外壁の厚みは6メートルもあるのだから、二人が並んで歩いていても何ら問題もない。

 二人の少女ーーカノイ・ヤーケルトとクルラ・ハルラの二人は生徒会の仕事である警備の為にこの外壁の上を歩いていた。ここから外を監視して、リリマニトが近付いていないかを確認するのだ。場合によってはその場で迎撃に移る。


「ねえクルラ……今日の転入生の事なんだけど」

「格好良かったよね」

「うん……ってそうじゃなくて! 彼と何処かで会ったこととかないかなぁって」


 夢と知る夢の事については子供の頃からの親友であるクルラにも話したことはない。その夢を見た後で何か悪い事が起こった時に自分が嫌われてしまうかもしれないという恐怖心の為だ。

 だから今は遠回しに、子供の頃に会っていて、自分だけが忘れているのではという確認をしたのだ。


「んー? ないと思う」

「だよねー。変な質問してごめん」

「別に変なわけでもないけど、どうして……ああっ! そういう事っ。へえ……彼がカノイの好みなんだ。ライバルは多そうだよ」


 クルラは悪戯っ子のような笑みを浮かべてカノイを見る。

 キスをした夢の記憶が蘇り、カノイは顔を真っ赤にさせた。


「ち、違うから! それにそれ言ったらクルラだって、さっき格好良いって言ってたじゃんっ。クルラの方こそ狙ってるんでしょっ」

「格好良いとは言ったけど、それと好きかは別でしょ。それよりも、カノイがそんなに動揺するのって、やっぱりそうだからだよね。顔も真っ赤だし」

「ちがーう!」


 ぽかぽかと叩いてくるカノイを見てクルラは楽しそうに笑う。カノイはからかうと面白いくらいに反応をしてくれる為、クルラは時折こうやって遊ぶのだ。

 それにしても、とクルラはしみじみと思う。あんなに引っ込み思案で、泣き虫だった彼女がこんなに活発的になるなんて、人は変わるものだなと。

 それと同時に嬉しくもあった。親友が楽しそうに過ごしているのを妬む者は少ないだろう。みんながみんな絶対そうだと言わないが、少なくとも二人の間にはそういった感情は生まれないだろう。


「ま、その話は置いておいて。リリマニトにも二世代目とかっているんだね。私、敵が透明化していてもそうゆうのもいるんだくらいにしか思ってなかったな」



 リリマニト。その言葉を聞いてカノイはクルラを叩くのをやめ、外壁の外側を見下ろす。作りかけの畑や牧草地、そして所々に見える森林地。その内のひとつには今朝倒したリリマニトの死骸が散らばったままの筈である。

 それら第二農業地区の向こうには、廃墟となった工場がまるで亡者の列の様に並ぶ工業地区。その更に向こうに現在増設工事中の5メートル外壁がこの街を囲っている。

 5メートル外壁の向こうには、カノイもクルラも出たことはない。むしろリリマニトがすぐに襲って来るような地に好んで足を踏み入れる者の方が極少数に限られるだろう。5メートル外壁はリリマニトの侵入を阻止するのには足りていなかったが、侵入を抑制するのにはそれなりに効果を発揮していた。


「私も。リリマニトの事どころか、この街の外の事なんかひとつも知らない。てかそんなの私たちだけじゃなくて、この街のみんなそうだよ、ぜったい」


 リリマニトの脅威から逃れる為に、外壁を造った人類は、自身が生まれた街以外を知る者が少ない。

 それこそ調査や人口削減のために移動民になった者か、外壁の増設の為に資材を採りに行く者達くらいのものだ。他の街の情報も殆ど知らない。噂が流れるだけでどれも信憑性が疑わしいものばかりだ。

 通話手段は一応、存在する。しかしそれはあくまで、ひとつの街の中にいる者同士での通話に限られる。

 街と街の間で通話するためには電波塔が必要となり、その電波塔は街の外に建てていかなければならないが、建てたら建てたでリリマニトに壊されてお終い。その警備にあてる為の人手も足りない。動物を使用した伝達法も考えられたが、リリマニトに殺されて終わりだった。



「そもそも、なんで移動民の人達は教えてくれないんだろうねっ。彼らがあらかじめ教えてくれていれば、何か準備とか出来た筈なのに。ねっ」


 同意を求めるかのように見上げてきたカノイに、クルラは首を横に振って答える。


「他の街じゃどうかは知らないけど、少なくてもこの街じゃ移動民の発言なんて、ほとんど全員が信じないと思うよ。それだけ彼らの信用が無いってことだよね。それが分かっているから移動民の人だってそうゆう情報を流さないんだと思う。まあ単純に知らなかっただけかもしれないから、断言は出来ないけどね」

「むぅ……そっかあ……。あれ? でもさ、転入生の言葉はみんな信じたって事だよね。生徒会長も上に報告するって言ってたし」

「んー、彼の場合は、今まで見た移動民の印象とまるで違うから、みんなも信じたんじゃないかな。少なくとも私はそう。カノイだってそうなんじゃないの」

「分かんない……けど、嘘を言っている気はしなかった。でもなんだろ……もっと違う何かのような気もする」


 違う何か。それは彼女の直感であるのだが、彼女がそれに気付く事はないのだろう。その直感がどうして働いたのかも含めて。

 こうして彼女たちの警備の仕事は駄弁りながら終わっていった。







「おーい! ここは餓鬼がデートに来る場所じゃねえぞー!」


 酒場に入ったアレテイアとハルティナに、酒に酔っ払った移動民の男がテーブルの前に座ったまま叫ぶ。同じテーブルに腰を掛ける者達の笑い声や煽るような言葉が聞こえる。

 ハルティナは怯んだ様子で、平然と酒場を見渡すアレテイアの背に隠れた。


「出よう」


 アレテイアのその言葉にホッとする気持ちと、落胆する気持ちがハルティナの胸に浮かぶ。

 ここもダメだったのか。ハルティナの知っている、移動民がよくいる場所というのはあともう数ヶ所しかない。全部回っていなかったらどうしよう、という不安になる気持ちを押し留め、次の場所にアレテイアを案内した。



「お譲ちゃん、そんな軟弱そうな餓鬼じゃなくて、俺と一緒に遊ぼうぜ。楽しませてやっからよう!」


 もはやお馴染みと成りつつある酔っ払いの声。先程と同じ様にアレテイアの後ろにハルティナが隠れ、アレテイアが酒場を見渡す。



「おい、アル坊じゃねえか! どした!?」


 先程の酔っ払いと違うテーブルの酔っ払いが発した声を聞いて、アレテイアの気が急に柔らかくなっていくのをすぐ後ろに居たハルティナは感じた。

 それは学校にいる時の穏やかな雰囲気よりも一層柔らかな気配で、その酔っ払いに対してどれだけ彼が気を許しているのかが分かった。

 目的の人物達が見つかった安堵感を覚えながらも、いつかは自分も、という決意を固める。

 アレテイアとハルティナは声の掛かったテーブルに向かう。


「お久しぶりです、団長」

「おめえな、一日前に会ってた奴に久し振りなんて言葉は使わねえんだよ、普通。んでどうした、やっぱ俺らの団に戻る事にしたのか! 良いぞ良いぞ、みんな、今日は祝い酒だ!」

「本当か、坊主! そいつは有り難え! さっきから団長がアルがー、アルがーって五月蝿くて敵わなかったんだよ! しかもなんだ? 偉いべっぴんさんなんか連れてきて、手が早えーんじゃねえのか、おい」

「取り敢えずほら、二人とも、突っ立ってないで座りな! ああ、お譲ちゃんはこっちにおいで。うちの男連中は酒臭くて敵わいからね、まったく」


 移動民に女性もいるのに驚きながら、ハルティナは四十代くらいの女性に腕を引っ張られて椅子に座らせられる。アレテイアは最初に声を掛けて来た団長を始め、酔っ払った元団員達に揉まれていた。それでいて楽しそうに笑うアレテイアの顔をハルティナは見つめていた。

 今日だけで彼の笑顔は何度も見ていたが、それらは礼儀としての笑顔とでも言うのか、決して作り笑いなどでは無かったのだけれど、なんとなく距離を置いているのを感じる笑顔であった。

 それが今の笑顔はどうだろう。これこそが仲間や、家族、そういった者達に見せる心からの笑顔。

 ハルティナは酒場の一角で騒ぐ移動民と同級生の少年を羨ましそうに眺めていた。


「あんたアル坊やのこれかい?」


 隣に座る四十代くらいの女性――カローナと言うらしい――が小指を立ててにやっと笑った。彼女らの周りにはもう数人女性がいて、彼女らも興味津々と言った笑顔をハルティナに向ける。今は男衆と女衆が完全に別れて固まっている形になっていた。

 ハルティナはぶんぶんと首を横に振る。それから顔を真っ赤にさせながら言った。


「で、でもっ……好き……ですっ……!」


 普段だったら絶対に自分からはそんな発言をしない。周りが騒がしいから誰にも聞こえないと思ったのか、それとも飲んでもいない酒に酔ったのか。はたまた、酒場には人を素直にさせる魔法でも掛かっているのかなんて、そんな有り得ない事を想像しながら、それも悪くないとハルティナは思う。

 隣にいるカローナという女性が気に入ったと言わんばかりの笑顔になった。


「いいねえ、あんたみたいな娘はあたしゃ好きだよ。アル坊の事で聞きたいこたあ、何でもこのおばさんに聞きな!」


 それから数時間、アレテイアも、ハルティナも、本来の目的を果たすこともなく雑談に華を咲かせた。

 始めは男女別れていて、次第に同じテーブルに集まっていき、何人かが歌い出し、団長が踊りだし、誰かが馬鹿をやって、みんなが笑う。

 ハルティナは思う。こんなに馬鹿みたいに笑ったのはいつ振りだろう、と。何も考えずに純粋に楽しいと思って笑えたのは、本当に久し振りだった。





「んで、なんの話をしに来たんだ」


 酔いも抜けて、落ち着きを戻した団長が言う。もう何人もの男がそこここで酔い潰れて倒れていて、それを女衆が迷惑にならないように隅に寄せていく。

 アレテイアは気持ちを切り替えるためか、一度深呼吸をする。ハルティナも小さく深呼吸をして気持ちを切り替えた。


「実は――」


 アレテイアは生徒会室で話した事を団長に伝えた。

 同型第二世代リリマニトの発見、討伐。第三世代リリマニトの存在の可能性。警備の手伝いのお願い。

 団長は特に考える素振りもなく、その頼みを引き受けた。


「アル坊の頼みだ、喜んで手を貸すぜ。但し、俺の家族に危険の及ばない範囲で、だがな」


 そう言って団長は人の良い笑顔を向けて笑ってみせた。







「今日だけで、移動民の印象が凄く変わった気がする」


 帰り道、アレテイアに家まで送ってもらっているその道中に、ハルティナはポツリと零した。

 今日出会った、移動民の人達。彼らはみんな気さくで良い人だった。あれだけ騒いでいたら、今までのハルティナだったら自分勝手な人達だ、と遠くからその様子を見て思っていたと思う。

 でも、とハルティナは少し前の酒場の風景を思い出す。彼女が席に座ってから、彼らのテーブルの上の灰皿に、煙草が一本も増え無かったのはただの偶然なのだろうか。夜が深くなる前に団長がアレテイアから話を聞く態勢になって、こうしてまだ通りを多くの人が歩いている時間帯に家路につけるのは、ただの偶然なのだろうか。


「みんな良い人たちだった」

「そう言ってもらえると、僕も凄く嬉しいよ。でも、全部の移動民がそうじゃないから、注意だけはしておいてね」

「うん」





 ハルティナを家の近くまで送ると、帰路の途中にある農業地区の中程でアレテイアは足を止めた。

 アレテイアとしては、彼女を家の前まで送ってあげるつもりでいたのだが、それを彼女が真っ赤な顔で「大丈夫だからっ」と断ってきた為、彼は素直に引き下がったのだ。

 深夜、と言うわけではないにしろ、遅い時間に異性が家まで送りに来たとなれば、彼女の両親に誤解や心配を与えかねない事は明白だったから。

 アレテイアが足を止めた農業地区には、遅い時間である為にか、人の通りはない。それでも遠くに人影がちらほらと見かけるのは、娯楽地区に遊びに出掛けていた学生が寮に帰るところなのだろう。


 学生寮。アレテイアが現在住んでいる場所であり、ここは元々勉学に集中したい者の為に用意された施設で、別段入寮は強制されていない。現在では勉学の為に、といった真面目な理由で入る者は少なく、朝起きるのが辛いから、親元を離れて一人暮らしがしたいから、といった理由で入る者が多い。また、近くの学校ではなく、遠くの学校に通う者もよく入寮している。

 そんな人気の少ない道端で、アレテイアが口を開いた。


「ヨリ、居る?」

「此処に」


 名前を呼ばれると同時に、ひとりの人物が彼の前に現れる。

 髪は黒く、その顔付きは中性的で、男性とも女性とも見られるその人物は、片膝をつき、頭を垂れる。


「団長達のサポートをお願い。危なそうな時だけ助けてあげて。彼らは」

「はっ。しかし……」

「しかし、何?」

「サティア様の方は宜しいのでしょうか。彼女は今、普通の人間と同じ――」

「大丈夫」


 アレテイアはヨリと言う人物の言葉を遮る。


「彼女の友人も大分強いようだし、もしそれでも危なそうだったとして、彼女は僕が守るから何の問題もない。だから君はサポートに専念して取り掛かるように」

「はっ」


 ヨリの身体がぶれると、静かにその姿は消えた。

 残ったアレテイアは何事も無かったように学生寮へと足を運んだ。





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