双頭の天使
双頭の天使、
木星軌道上の異星人たちの巨大避難船『サクタン』が、二ヶ月後の地球侵攻へ向けて焦燥感と決意の中で戦闘準備を進めている、まさにその頃。
日本の委任統治領である南洋諸島の特設発進基地――地表の頑強な地下ドックに潜む国軍の最新鋭戦艦『大天使二号艦』の、バイタルセンサーと防音隔壁に囲まれた第一会議室にて、緊迫した日米合同軍事会議が執り行われていた。
「――以上が、我が二号艦の電脳知性が弾き出した、最新の対『フィスプ』戦のシミュレーション結果です」 プロジェクターの冷たい光に照らされながら、黒い国軍の制服の襟を正した藤堂艦長は、卓上のホログラム宙図を指し示しながら重々しい声音で語りかけた。
そのすぐ傍らには、副官(手綱役)として完璧な姿勢で控える妻、美咲副艦長の姿もある。
藤堂が説明している相手は、大天使一号艦の艦長を務める、アメリカ軍の『ロバートソン大佐』であった。画面の向こうのアメリカ軍ネバダ基地と、こちらの南洋諸島基地をセキュアな超長距離電脳回線で繋いでの対談だ。
彼女とは、以前に一度だけ開催された「大天使一号艦・二号艦クルー合同親睦会」の席で顔を合わせたことがある。
藤堂より一つ年上の、すこぶる立派な――日本人ではまず有り得ないほどの、凄まじい質量を誇る「胸部装甲」をお持ちの未亡人だった。
今でこそ電脳化手術と美咲の毎日の手綱捌きによって指揮官としての徹底的な自制心を培った藤堂だったが、あの親睦会の夜ばかりは、男の本能としてついつい彼女の胸元に視線が行ってしまい、後で妻の美咲の機嫌を直すのに文字通り一苦労した記憶が苦々しく蘇る。
(いや、男なら生理的に仕方のない不可抗力だと思うんだが……)
そんな雑念を電脳の奥に押し込み、藤堂は冷徹な指揮官としての戦術眼で、ロバートソン大佐に向けて厳しい現実を突きつけた。
「大佐。これまでの数万回に及ぶ単艦でのシミュレーション結果から、残念ながら、現行の『大天使』では奴らの機動力と熱線兵器には勝てません。
攻防のすべてにおいて、奴らの宇宙船の方が上です。このまま別個にシミュレーションを続けても、同じ敗北のデータを積み重ねるだけでしょう」
……では、どうすればいいと? 我々にはこの二機しか『保険』は無いのだぞ、藤堂艦長」ロバートソン大佐が、豊かな胸を制服の奥で波打たせ、画面の向こうで険しい顔を向ける。
「そこで、完全な【共同戦法】を提案します」
「今までも、日米共同で戦うシステムを構築していたではないかね」
はい。ですが、残念ながら我ら大天使の機動力と、敵フィスプとの間には、絶対的な『運動性能の差』がありすぎるのです。
今までの戦術ではその差を突かれ、お互いにカバーへ向かう前に、一号艦と二号艦が各個撃破されているのが現状です。
実際のところ、機械知性体の推測によるものとはいえ、あの動きが本当に出来るなら……
奴らの船はあの巨艦にかかわらず、我らの艦では不可能な機動を行えます、もし我々がそれを行えば、艦か人、何方かか両方とも壊れます、ですから、下手に機動戦に持ち込まず、我々の強み【プレッシャープレート】に賭けてみてはいかがでしょうか。
奴らの熱線兵器の解析から充分に耐えられるとシュミレーション結果も出ました、
勿論、まだ見ぬ兵器もあるでしょう……しかし現状解っている限り対処方法は限られます、奴らが未知の防御方法でも持たない限り船体の防御力は我ら大天使と変わらないはずです、むしろ奴らの先進的な推進システムのせいで、我らのような盾が有りません【プレッシャープレート】欠点を優位点に変えましょう。
……そこで今回は、【敵が地球軌道面に到達した際、大天使二機を宇宙空間で完全に密着させ、最初から一機の超巨大戦艦として運用】します
「……何だと!? 一体どういうことだね!?」ロバートソン大佐が驚愕の声を上げた。「密着すれば、お互いに回避行動も取れなくなる! 敵の熱線照射を受ければ、それこそ二機揃って一網打尽になり兼ねないぞ!」
はい。今まではそれを恐れて、お互いに距離を置いて布陣していました。
ですが、奴らの圧倒的な運動性の前には、片側が叩かれている間、もう片側が応援に行く前に、叩き潰されることが証明されています。
つまり、距離を置いても結果は同じなんです。
ならば、初めから二機を一機として密着運用すれば、純粋な【火力】においてのみ、奴に正面から対抗可能となります。
フォーメーション(陣形)の3Dデータはこうです
藤堂が電脳を操作すると、一号艦と二号艦が互いの艦首を真っ直ぐに向け合い、宇宙空間でガッチリと結合する異様なホログラムが展開された。
「私の二号艦が『盾』として前方に位置し、大佐の一号艦は通常通りの迎撃体制のまま、後に続きます。分かりやすく言いますと、【艦首同士を向け合って進む】わけです。正面からの敵の攻撃は、私の艦の副砲群、X線レーザー、強化された船尾の頑強なプッシャープレートですべて防ぎます。
敵艦がどこから回り込もうとしても、私の艦を動かない盾とした状態で、大佐の艦が完全にフリーな状態で最大火力の軸線砲で攻撃することが可能です
藤堂の冷徹な戦術眼は、二機の戦艦を組み合わせることで、無敵の要塞を構築する最適解を導き出していた。
仮に敵が側面に回り込もうとしても、二機が結合していれば、どちらの艦もわずか45度の回頭をするだけで、すべての火線を敵へと向けることができます。
……唯一の問題は、互いの核パルス推進が相殺し合うため、艦隊としての『加速・前進がほぼできない』という点です
「つまり……敵への追撃が不可能な点か?」ロバートソン大佐が、その戦術の弱点を正確に見抜いた。
はい。
ですが、我々の勝利条件は、敵を全滅させることではありません。
どちらの艦も沈められずに、地球へと接近する彼らを『追い払えれば』それで良いのです。
地表に待機する我々が発進し、地球の軌道面から一歩も離れずに、軌道上の数十機の迎撃衛星と組み合わせて戦えば、十分に勝敗の余地はあります。
……奴らを完全に沈めるのは、戦後、我々の『大天使』の技術が、彼らの船と同等かそれ以上に進化してからで良いではありませんか」
「……なるほど。理にかなっている」どうやら、アメリカ側のロバートソン大佐も、この狂気の合戦術に納得したようだった。
一度、大天使一号艦のクルーたちとこの双頭戦術を厳密に検討した後、合同での電脳シミュレーションを行うことにしよう。
……見事な着眼点だ、藤堂艦長、 会議は上々の成果を上げ、日米の共闘体制はかつてないほど強固なものとなった。
前世は鬼か、野蛮人か
――が、その重要な軍事会議の直後。
ドック内に併設された国軍の宿舎廊下を、自分の私室(ハイテク医療ベッドのある寝室)へと向かって歩く藤堂の横顔は、戦勝の喜びなど微塵もない、絶望的な冷や汗に濡れていた。
(……おかしい。何故か、美咲の機嫌がすこぶる悪い……っ!)
隣を歩く妻の美咲は、一言も喋らない。
しかし、電脳の通信同期機能の隙間から漏れ聞こえる彼女のバイタルサインは、怒りのエネルギーで真っ赤に燃え上がっていた。
制帽から流れる綺麗な黒髪が、心なしかピキピキと怒気で震えている。
「あの……美咲? 怒っている? よくわからないんだが?何か?怒らす様なことをしたかな?言っとくけど、俺とロバートソン大佐の間には本当に何もないよ? 会議中、資料を見るために一度だけ、本当にたった一度だけ彼女の胸元に視線が行っただけで、そこまで気にする必要は――」
「――別に、気にしてなどいませんわ、艦長」美咲はフッと冷たい優等生スマイルを浮かべたが、その目が全く笑っていない。
藤堂は、半年間の肉体改造を経て自分の心肺機能やタフさが跳ね上がっていることに、少しだけ気が大きくなっていた。かつての中年男の脆弱な肉体だった頃なら、彼女の物理的な怒りの前には手も足も出なかったが、外科手術で細胞レベルまで強化された今の頑強な肉体なら、妻の機嫌取り(あるいは夜の小競り合い)だって、十分に互角に相手ができるはずだ。
「おいおい、そんなに気にするなよ。昔のお前ならともかく、今のお前(美咲)の胸なら大佐とだって張り合えるよ、気にすることは無いよ、私にとっては十分すぎるほど魅力的で、素敵なんだから。私は……」
――どぉぉぉォォン!!!!!
「がっ、ぶふぉっ!?」
次の瞬間、藤堂の視界は激しく回転した。
美咲が、士官学校時代に上級生で首席の天狗(藤堂)を完膚なきまでに叩きのめした、あの伝説の『物理最強』のストレートを、目にも止まらないスピードで藤堂の腹部へと叩き込んだのだ。
強化された腹筋が衝撃を和らげたものの、藤堂の身体は私室の扉を突き破って、廊下の冷たい床へと吹っ飛んだ。
ガチャン!!!と、
内側から寝室の重厚な装甲扉が容赦なくロックされる。
「……いたたた……。気がついたら、俺、廊下で横に寝かされてるんだが……?」藤堂は、若返った顔を引き攣らせながら、静まり返った私室の扉の前にポツンと座り込んだ。
短気すぎるだろ、我が妻ながら。
「私は……」の後に、ちゃんとした声で「愛してる」って言おうとしてたのに。
最後まで話を聞かずに拳を繰り出してくるあたり、彼女の前世は、戦国時代の鬼か何かに違いない。
野蛮人め。
「……はぁ。これも、大天使の発進を控えた緊迫した日々における、重要なコミュニケーションの一環だと思って耐えるしかないか……」
藤堂は、まだ少し痺れるお腹をさすりながら、冷たい廊下の床に背中を預けて遠い目を吸うのだった。
しかし、そんなベース基地での不器用な夫婦の日常を余所に、地球から数億キロ離れた木星の闇の中では、完全に生存のための狂気に囚われた異星人の本船『サクタン』が、二ヶ月後の地球軌道面への「絶望の侵攻」に向けて、そのメイン核パルスエンジンの出力を、いよいよ最大へと引き上げようとしていたのである。
黒い軍服と、静かな決意
合同軍事会議が上々の成果を上げ、日米の共闘体制が固まったその日の深夜。
ようやく入れてもらえた国軍の寝室の一室で、藤堂はベッドの上に腰掛け、静かに自分の手のひらを見つめていた。
肉体年齢は20代後半まで若返り、細胞レベルでの耐ショック補強を施された身体。見た目こそ普通の人間と変わらないが、衣服の隙間から覗く胸元には、電脳化と心肺強化手術の微細な管理コネクタの跡が残っている。
国のためにすべてを捧げ、人間としてのあり方を半分捨ててしまったという現実に、時折、言い知れぬ寂しさが胸を過ることがあった。
「……あなた、まだ起きていたの?」 バスルームから戻ってきた妻の美咲が、いつも通りの穏やかな優等生スマイルを浮かべて隣に腰掛けた。彼女の白い首筋にも、自分と同じコネクタの跡がある。
すまない、美咲。……少し、考えていたんだ。俺たちは電脳化され、宇宙空間で生身で生きられるような肉体に改造された。
任務が終わった後、俺たちは本当に、普通の人間として元の世界に戻れるんだろうかとな……
藤堂の弱音を、美咲は否定しなかった。
彼女はそっと藤堂の大きな手をとり、自らの手のひらと重ね合わせた。強化された互いの心音が、電脳の通信領域を通じて、トク、トク、と静かにシンクロしていく。
「戻れるわよ、絶対に。この身体だって、見た目は何一つ変わっていないわ。
温泉に入る時にも困らない、完全密閉型の綺麗な改造じゃない。
国軍の医療班だって、日常生活には支障がないって保証してくれたわ、美咲は藤堂の目を真っ直ぐに見つめ、いたずらっぽく笑った。
地球の環境を汚染してまで飛ばす『大天使』なんてゲテ物、本当に最後の最後まで使いたくないのが本音よ。
だからこそ、私たちは一秒でも早くこの任務を終わらせるの。
そして、国から約束された莫大な危険手当を貰って、私の実家で最高の農地を買いましょう。
……あなた、私の後ろで最高級のトラクターを運転する約束、忘れていないでしょうね?
ああ……忘れるわけがない。お前と一緒に、土をいじって静かに暮らす。
それが私の、これからの本当の目標だ 藤堂は美咲の肩を優しく引き寄せ、その細い身体を抱きしめた。
熱くなりやすい自分をいつも物理で支え、常に最適解へ導いてくれる最高の妻。
この理不尽な時代にあって、彼女の存在だけが、藤堂が正気を保ち続けられる唯一の錨だった。
「愛してるよ、美咲」
「……知ってるわ。だから、さっき会議室でロバートソン大佐の胸元を見ていた件は、これでチャラにしてあげる」
「……お前、やっぱり気づいてたのか」
「電脳を同期しているのよ? 視線の動きなんて一発でログに残るわ。次は無いからね、艦長?」
「胸が恋しいなら私を見なさい、ロバートソン大佐にも引けは取らないわ」
「何なら、魔女子のコスしてあげるわよ!」
「何故?……それを?」
「妻に内緒ごとは出来ないと思い知りなさい!」
「貴方は私だけを見ていれば良いのよ!」
「そうする」
クスクスと笑い合う二人の時間は、激動の時代の裏側にある、何よりも尊い夫婦の絆だった。お互いの強化された肉体を労わり合いながら、二人は静かにベッドの明かりを落とし、束の間の平穏に身を委ねるのだった。
コロラドの不夜城と、六ヶ月の秒読み
藤堂夫婦が地上基地で絆を深め、実戦用核弾頭の搬入や大天使二号艦の最終調整に追われていたその頃。
地球防衛の頭脳たるアメリカ・コロラド州の【NORAD:北米航空宇宙防衛司令部】の戦略メインオペレーションルームは、かつてない緊迫感に包まれていた。
薄暗い巨大な管制室の正面に鎮座する、数十メートルに及ぶメインスクリーン。そこには、地球を囲む三次元のグリッド線と、その軌道上を周回する「光の点」が映し出されていた。
「――極東セクターからロケットの打ち上げを確認! 積載物は『指向性核爆弾搭載迎撃衛星』、これで合計36機目です!」 管制室には、世界中のオペレーターたちの張り詰めた報告が飛び交っていた。
画面に映る無数の迎撃衛星群――それらはすべて、搭載されている武器(核ミサイルか、X線レーザーか)が違うだけの、完全無人の自動迎撃衛星であった。
2060年の地球の国力では、短時間に大量の宇宙機を用意することなど到底不可能だ。各国の宇宙機関が24時間不眠不休でロケットを打ち上げ、軌道上へ必死に追加配備を進めているものの、無人の盾はせいぜい数十機が限界だった。
また兵器としての衛星以外にも、多数の観測衛星、迎撃衛星をコントロールする指令衛星群、中には敵の通信や観測を妨害する為の電子戦衛星等も有った、まさしく総力戦である。
「……敵フィスプ(サクタン)が木星を発進した。ここからが本当の戦いだ」 司令官席の隣で、通信回線を通じて統括責任者の『山口中将』が、重々しい表情で画面の軌道予測を覗き込んでいた。
「報告します! 木星を発進した敵艦『フィスプ』の巡航速度、および地球軌道面への侵入時の減速シーケンスを逆算!」 オペレーターが、電脳の弾き出した正確な軌道計算の数値を告げた。
地球の科学力では、深宇宙まで行って奴らを迎撃することは不可能。
奴らは地球軌道に乗るためにスピードを落としながら、こちらへ肉薄してきます。
――敵船予定到着時刻……【今から六ヶ月後】!!」
「六ヶ月、か……」 早い!大天使ならともかく従来の宇宙機なら年単位の月日がかかるところを、半年で走破するのか?
山口中将は手元のスケジュール端末を見つめ、深く、重いため息をついた。 他国の無人迎撃衛星網がすべて突破された時、最後に地表から発進する、日米の核パルス宇宙戦艦『大天使』
その発進は、毎秒一発の小型核爆弾の炸裂を伴い、地球の環境に甚大な放射能汚染を及ぼす人類最期の「保険」である。
敵が地球に直接的な攻撃を仕掛けてこない限り、地上のドックから発進させるわけにはいかない。
だが、敵が侵攻してきたならば、その瞬間に引き金を引かなければ間に合わない。
山口中将、南洋諸島の藤堂艦長、およびネバダのロバートソン大佐より、実戦用推進爆弾の搬入完了報告が届いています。
……彼らは、地上の暗闇の中で、静かにその時を待っています
……分かった。これより六ヶ月間、全力を尽くして大天使のシステム習熟度を極限まで引き上げろ。
無人の盾の配備も、限界の最後の1機まで続けさせるんだ」
六ヶ月……
それが、人類に残された、最後の準備期間だった。
互いが生き延びるために最悪の誤解を抱いたまま、木星を発進した異星人の巨艦と、地上のドックで静かに爪を研ぐ大天使。
両者が激突する「半年後の決戦」へ向けて、太陽系の命運を賭けた、長すぎる秒読みの針が、今、静かに動き出すのだった。




