避難船と戦闘艦
気絶からの覚醒と全宇宙への大恥
キィィィン、と船体が静かに安定する。 大天使二号艦は、メインエンジンを完全に破壊されて宇宙の孤児となった異星人の巨艦『サクタン』と、地球軌道から月軌道方面に向かう軌道で静かに並走する位置へと、その身を落ち着かせていた。
一連の緊急回避運動と敵のエンジン圧壊のすべては、藤堂をはじめとするブリッジクルーたちが、重力の衝撃で気絶から目覚める前の、わずか数分間の間に、美咲副艦長が一人で中央機械知能(機械脳)に行わせた奇跡の成果だった。
「……う、頭が、割れそうだ……」
対Gチェアーの中で最初に意識を取り戻した藤堂艦長は、歪む視界の中で、自らの大天使二号艦の現在の有様を電脳モニターで確認し、愕然とした。船体の片側(左舷装甲)が無残に溶け落ち、焼けただれて内部のフレームが剥き出しになった姿。だが、主要な推進中枢は機能を失っておらず、未だに操艦が可能だった。大天使の持つ、人類が産んだの恐るべき冗長性であった。 続けて、火器管制の武藤大尉、先任将校の如月大尉も、電脳の覚醒パルスによって一人、また一人と意識を取り戻し始めた。
「美咲……お前、一人でこれをやったのか?」
直接手を動かすことも声を出すこともなく、藤堂は脳波を隣の副艦長席へ送った。
『ええ、艦長。敵のエンジンは完璧に圧壊させたわ』
美咲の、いつも通りの優等生スマイルが電脳内に返ってくる。その額には一筋の汗が光っていた。 如月大尉は、電脳の戦闘ログを一瞬で読み解いた瞬間、その顔を驚愕のあまり完全に引き攣らせた。
『……み、美咲先輩。嘘でしょう……? 私たちが全員気絶していたあの数分間の間に、先輩がたった一人で、あの地獄のGの中で電脳操艦をこなして敵のエンジンを圧壊させたのですか……!?』
『ええ、まあ。大したことではないわ。熱くなりやすい旦那の手綱を引き続けるのに比べれば、この程度のコントロールなんて可愛いものですもの』
美咲が電脳の奥でフッと微笑むのを見て、士官学校時代の彼女の恐怖を知っている如月大尉は、
『やっぱりこの先輩は本物の鬼神だわ……』
と深く納得した。そして、これまで美咲の怖さをいまいち理解していなかった武藤大尉にいたっては、その人間離れしたワンオペ電脳操艦の冷徹なログを見て、改めて『絶対に、何があってもこの副長には二度と逆らわない』
と戦慄に震えながら心に誓うのだった。
一号艦、そして地球のNORADとの間で、無事に今後の役割分担の協議も終わり、藤堂艦長はチェアーの中でようやく本当の意味でホッとして胸を撫で下ろした。
――だが、その時だった。 藤堂は、ブリッジ内の如月大尉や武藤大尉、そして通信回線の向こうのロバートソン大佐や山口中将たちから、何故か、ひどく
【生温かい、憐れみと失笑の混じった目線(脳波)】が、
自分に向けて一斉に注がれていることに気がついた。
(……何事だ? 如月、武藤。みんな、なんでそんな生温かい目で俺を見ているんだ?)
藤堂が怪訝そうに問い質すと、如月大尉は必死に笑いを堪えながら、ぷるぷると震える電脳通信を返してきた。
……あ、あの、艦長。大変申し上げにくいのですが……。
先ほどの突撃の際、艦長が安全リミッターを完全カットされたじゃないですか。
あの影響で、個別通信のプライバシー暗号隔壁が一時的に完全崩壊しておりまして……
――艦長が意識を失う寸前、副艦長に向けて流された、あの……
【しんみりとした、魔女っ子コスプレでロリババアをさせてやる】という、大変情熱的な愛の遺言の会話のすべてが……
如月大尉は、もう限界だとばかりに電脳の奥で爆笑しながら、冷酷な事実を告げた。
『本艦のブリッジ内は勿論のこと、合同回線で繋がっていた
【大天使一号艦の全クルー】、
そして地球防衛の総本部である
【NORADの全セクターの最高幹部とオペレーターたち】
に向けて……最大出力の広域全波で、
【リアルタイムで無言の大音量生配信】されていました!』
(――――――――――――ッッッ!!!!!!?????)
藤堂の脳波のグリッド線が、一瞬で完全フリーズした。 頭を抱えてチェアーの中で絶叫(無言の精神崩壊)を上げる藤堂艦長。
そして、その隣では――夫の恥ずかしすぎる脳内ロリババア妄想の会話が、自艦の部下だけでなく、アメリカ軍の一号艦、さらには地球の防衛総本部の山口中将や政治家たちにいたるまで、全宇宙に完全生配信されていたことを知った美咲副艦長が。
『――――っ……! ――っ……!!』
顔を髪の毛の先まで限界突破の真っ赤に染め上げ、羞恥と怒りのあまり、ガタガタと全身を激しく震わせていた。
(み、美咲! 違うんだ美咲! これは電脳のバグで、俺の本当の意図はだな――) 藤堂が構成を試みた瞬間、美咲の脳の奥から、文字通り世界が滅びるレベルの、本物の鬼の殺気(脳波パルス)が解き放たれた。
『――藤堂艦長、如月大尉!。地球に還ったら、覚悟してくださいましね、のじゃ……❤』
自艦のクルーだけでなく、全宇宙の最高幹部たちにまで「ロリババアの夫」としての名声を轟かせてしまった藤堂艦長と、あまりの恥ずかしさに、決戦後、最初の「美咲からの凄まじい報復」が確定し、チェアーの中で自らもガタガタと震え出す如月大尉。 そんな、英雄夫妻が大恥を晒しているブリッジへと、地球のNORADから、次なる冷徹な最高機密指令が飛び込んできた。
月軌道への天秤
『――大天使二号艦。済まないな、お取り組み中!、非常に申し訳ないが、国際連盟時事会からの最終意向だ。
航行不能となった敵艦フィスプ(サクタン)を、そのまま宇宙の彼方へ放出・投棄することは断じて認められない。
何が何でも地球圏、それも【月軌道】へ確保・回航せよ、との命令だ』
NORADのコンソールから、総司令官の重苦しい声が響き渡った。
今回の戦いを目撃した地球の一般大衆は完全なパニックに陥り、世界各地で大規模な暴動が発生。地球各国は未曾有の莫大な経済的損失を被っていた。各国政府がこの戦後の混乱を早期に収めるためには、一般大衆に向けて『これが地球を脅かした化け物の正体であり、我々はこれに完全勝利した』と明確に示すための、目に見える象徴(戦利品)がどうしても必要だったのだ。
さらに科学者グループからも、100年は進んでいる異星人の宇宙船の知識や、エネルギー精製技術を得るため、放出など論外であるとの猛烈な圧力がかかっていた。 だが、その回航任務は、地球の科学力にとっては手に余る、不可能な領域の難度を秘めていた。
「指令、無茶を言わないでください!」
藤堂は、電脳のパルスで総司令官に即座に反論した。
「敵艦は現在、地球の重力圏を離れ、【月に向かう軌道】をとっています。
しかも、宇宙空間における宇宙船の牽引は、地球上の船のようにはいかない。前方で大天使が引っ張ろうとすれば、船尾から放たれる強力な核パルスの推進噴射ガスが、背後のサクタンを直接炙って焼き溶かしてしまう。短期間では意思疎通の壁があり、大天使をサクタンのエンジン部に物理的に結合させて代わりの推進器にすることも不可能です!」
大天使に残された方法は、ただ一つ。
大天使一号艦・二号艦の船体をサクタンに直接【押し当て】、力任せに押すことで、その進路を強引に変更し、月の周回軌道へと投入することだけだった。
だが、これは極めて危険な賭けだった。
相手は未知の宇宙船であり、船体の内部構造も完全に把握していない。大天使の60万トンという圧倒的な質量を直接ぶつけるのだ。もしも押し所が少しでも狂えば、サクタンの繊細な避難船としての船体は一瞬で圧壊し、大爆発を起こして木っ端微塵に破壊しかねない。 それだけではない。メインエンジンを破壊され、極限の警戒状態にある異星人たちが、大天使のこの接近・接触を「追撃」であると勘違いした瞬間、残された僅かな副砲で決死の反撃を仕掛けてくるリスクも極めて高かった。
「――さらに、時間がありません!」
先任将校の如月大尉が、メインスクリーンの軌道予測データを書き換えながら叫んだ。『敵艦サクタンの慣性移動速度、および月の公転軌道との相対角度を逆算! ――今すぐ回航プッシュを開始しなければ、奴らは月の引力圏をすり抜け、そのまま深宇宙の彼方へと漂流・行方不明になります! そうなれば、現在の地球の科学力では、二度と奴らを拿捕することも、乗組員を確保することもできなくなります! タイムリミットまで、残りわずかです!』
刻一刻と、絶望の時間が過ぎていく。 大天使の乗組員はあくまで戦闘艦の乗組員であり、未知の宇宙船の構造解析や、高度な軌道力学の専門家ではない。
彼らの手に負えないこの領域こそが、地球司令部(NORAD)の本当の仕事だった。『――大天使一号艦、および二号艦へ、NORADより緊急データ転送』 シャイアン山の地下深くから、機械知性と地球最高の科学者グループによる、極めて精密な解析レポートが両艦の電脳へと一斉にシグナルとして叩き込まれた。
両艦のセンサーによってスキャンされた敵艦の「骨組み(外殻メインフレーム)」の透過データを、NORADのメインシステムで完全解析した。
……敵船サクタンは避難船ゆえに強度は低いが、中央の燃料タンク直下にある結合ジョイント部、ここだけが60万トンのプッシュに耐えられる唯一の最も頑強な部位だ。投入に必要なパルスの精密な点火スケジュールも、こちらで完全に逆算した。
――データを送信する。ロバートソン大佐、作戦を指揮しなさい!
『――大天使一号艦、了解! NORADからデータを受信したわ!』
ロバートソン大佐の、意を決した鋭い指揮命令が藤堂の電脳へ飛ぶ。
『藤堂中佐、行くわよ。二機で並走し、NORADが割り出したあの結合急所へ、大天使の【艦首(先端部)】を慎重に押し当てるの。船尾のプッシャープレートは通常通り後方に向け、微速核パルス推進でコントロールしながら、二機同時にサクタンを月軌道へ押し込むわよ!』
『二号艦、了解。――美咲、一号艦艦との操艦システムの同調、限界値を維持。本艦は左舷が溶けているが、艦首のフレーム強度は生きている。……指示通りの座標へ、絶対に壊さずに押してみせるぞ』
了解、艦長。……手綱は、私が握っていますわ』 日米の大天使一号艦、二号艦の二隻は、スラスターを繊細に噴射させながら、漂流するサクタンの巨大な船体へと、死の秒読みの中でゆっくりと接近していった。
その時、サクタンのブリッジでは、異星人のオペレーターたちが、再び接近してくる地球の二隻の宇宙戦艦を目撃し、絶望的な悲鳴を上げていた。
『――警告! 敵の二隻の核パルス宇宙戦艦が、メインエンジンを失った我が方の船体に向けて、急速接近! 接触コースにあります! ――奴ら、我々にトドメを刺しに、破砕しにやってくるのですか!?』
「……いや、待て。彼らの動きが、おかしい」
サクタンの最高指揮官は、迫り来る大天使の、そのあまりにも慎重で、まるで傷をつけないように配慮された制動機動を見て、片方の触手を挙げた。
大天使一号艦と二号艦は、サクタンの船体に激突することなく、地球司令部が導き出した構造上最も頑強な「メインフレームの交点」へと、その【艦首(先端部)】をそっと、優しく押し当てた。
そして、船尾のプッシャープレートの手前で、出力を極限まで絞った小型核爆弾を慎重に点火。一秒一発の微速核パルス推進の強大な圧力が、大天使の頑強な船体を媒介にして、サクタンの巨体を月の周回軌道へ乗せるためにじわりと、力強く押し始めたのだ。
『――AI副官による、軌道予測の再演算』 中央コンソールに、驚愕の青い光が灯る。『彼らは、我が方を破壊するつもりはありません。このままの軌道を維持すれば、サクタンはあの衛星(月)の、最も安定した周回軌道へと投入されます。
……第三惑星人は、我々を深宇宙への漂流から救い、彼らの管理圏へと誘導しようとしています
最高指揮官は、その画面を見て、魂の底から激しい衝撃と、言い知れぬ感動を覚えていた。 先ほどまで命がけで殴り合っていた相手が、自分たちが戦意を失った(降伏した)と知るや否や、その荒々しい核パルスの技術を極限までコントロールし、自らの船体を傷つけるリスクを背負ってまで、必死に舵を切ってくれているのだ。
「……彼らの意図を拒絶してはならない。彼らの負担を減らすのだ。副官、我が方に僅かに残された無傷の姿勢制御スラスターを、地球人の誘導に【同調】させなさい」
『了解。……同調シーケンスを開始します』
言語の壁があり、直接的な会話は一切交わされていない。 しかし、大天使二号艦のブリッジで、電脳の回路を極限まで尖らせていた藤堂と美咲は、サクタンの船体が、こちらの押し出す力に対して驚くほど滑らかに、まるでこちらの意図をすべて先読みしているかのように美しく傾き、自ら軌道を補正し始めたのを、確かに感じ取っていた。
(……大佐、敵艦のAIが、こちらの誘導を察知してスラスターを合わせてきています!) 藤堂の驚愕の思考が一号艦のロバートソン大佐へと飛ぶ。
『分かっているわ、藤堂中佐。……信じられない。言語も通じない、短期間では意思疎通の壁が絶対にあるはずの相手が、完璧なコントロールで私たちのプッシュに応えている。
――これは、人類と異星人との、初めての【共同作業】よ』
数時間後。 二キロの巨艦『サクタン』は、日米の大天使との見事な連携により、完璧な精度で美しい「月軌道」の周回ルートへと投入されることに成功した。
サクタンのブリッジで、それを見届けた異星人の指揮官たちは、第三惑星人に対する恐怖の奥に、確かな希望を抱いていた。
私たちは、いつかあの第三惑星の知的生命体と、言葉を交わし、本当の意味で分かり合える日が来るかもしれない、と。
月軌道への投入が無事に完了し、すべての臨海の緊張が解けた大天使二号艦のブリッジ。 お互いの役割分担の協議も終わり、藤堂艦長はチェアーの中でようやく安堵の溜め息をついた。
その視線の先では、美咲副艦長が、顔を真っ赤にしたまま、しかし誇らしげに夫を見つめ返していた。
核の炎で自らの地球を汚し、その業のすべてを背負って天空へと突き進んだ超人夫婦の戦い。 言語の壁を越えた、無言の共同作業の果てに、太陽系の平和と、二人の未来の農地(約束)は、この月の裏側の静かな軌道の上で、確かに、美しく守り抜かれたのである。(『大天使計画』・ファーストコンタクト編 完)




