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降伏の儀式 捧ぐ  作者: kero


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10/12

0.3秒

鉄の冗長性 

その頃、大天使二号艦の藤堂艦長は、平均して15Gにも達する、肉体を内側から押し潰すような超絶的な加速重力の中で、ギリギリの意識を保ち続けていた。 

手足はチェアーに固定され、指一本動かすことはできない。


だが、電脳内では最後の指示通り、艦の中央機械知脳が敵艦の進路を読み、敵火砲の死角へ艦を潜り込ませようと、敵サクタンのAIとの間で、光速の先読み合戦を繰り広げているのを冷静に眺めていた。


ただ、如何に敵AIが優れていようとも、この局面において、奴らにできることはほとんど残されていないことは藤堂にも分かっていた。


自分が直接脳波で操艦の介入を行ったとしても、全く同じ戦術的結論に達しただろう。 


なぜなら、彼らは「逃げなければならない」という絶対的な制約を背負っている。つまり、サクタンは艦尾を我々に向け続けなければならないのだ。


多少は巨体を激しく振ったり、回転させたりはするだろうが、それでも向けられる射線は限定的である。 今、奴らにできることは二つだけ。 

一つは、加速を完全に止めて回頭し、こちらの突撃に正面から全火力を叩き込むこと。

だがそれを選べば、二号艦を破壊(攻撃)できたとしても、衝突の慣性で生じる何万トンもの破片がサクタンに直撃し、どちらにせよ相打ちになる。 


もう一つは、今のまま逃げ続け、核パルスエンジンの超高熱な『エンジンの噴射ガス』を我が二号艦に真っ正面から浴びせかけ、こちらの船体を破壊・減速を狙うこと。だが、それを選べば、敵艦は剥き出しのエンジン噴射口を晒し続けることになり、一号艦の残存レールガンや二号艦の全艦砲射撃をそのエンジンに受ける可能性が飛躍的に高まる。


どちらを選ぼうが、奴らはすでに詰んでいる。

――俺たちの、勝ちだ……!


勝利を確信した瞬間、強烈なGの圧迫の中で、藤堂の電脳の海にふと、一抹の寂しさが過った。 

ドックの宿舎で交わした、あの優等生な妻との約束。

無事に生きて還って、一等地で最高級のトラクターを運転するんだという、あの静かな誓い。


……心残りは、美咲とのあの約束が、守れそうにないことか。

……済まない、美咲。


俺の無茶に最後まで付き合わせてしまったな。

もし、あの世という場所があるのなら……

次こそはお前に、お前の一番似合いそうな「魔女っ子コスプレ」をさせて、

思う存分ロリババアをさせてやるからな…… 


薄れゆく意識の淵で、藤堂は心からしんみりと、最愛の妻への遺言を電脳の共有領域へ流した……。 


――その、刹那だった。


『――なんですって?』 


突如として、藤堂の脳髄を直接掴み揺らすような、あまりにも冷ややかな美咲の怒声が電脳空間に響き渡った。


『誰がロリババアですって? 艦長(あなた)、人がGの限界値の処理でコンソールに全神経を集中しているのをいいことに、薄れゆく意識の中で何を盛大にトチ狂った遺言を残していらっしゃいますの?』


『あ、いや、これはだな、その……! 違うんだ、美咲! 俺はただ、お前への深い愛をだな……!』


愛を囁く文脈に、なぜ魔女っ子とロリババアという不穏な単語が混入しますの!?


ログにはっきりと残っていますわよ!


――大体、私たちは【電脳で常に全回線を同期している】のを失念していらっしゃいませんか!?


あなたの恥ずかしい脳内妄想は、私に全て無言で筒抜けなんですけれど!!


『す、すっかり忘れてたァァァーーーッッ!!!』 


Gの恐怖とは全く異なる冷や汗が、藤堂の脳波を激しく乱れさせる。

電脳領域でパニックを起こしている藤堂の元へ、割り込むように新たな思考パルスがブリッジを走った。


――艦長!! 敵艦より、通信受信!


……これは、五ヶ月前に我が方の「メッセンジャー1号」が放った

【交信を促す信号】と全く同じ波形です!


敵艦、この信号をそのままこちらへ送り返してきています!


――奴ら、我々に交信する意思あり(降伏?)の動きを見せています!


チェアーに固定された先任将校の如月大尉からの、緊迫した思考がブリッジクルー全員の電脳へと一斉に滑り込んできた。

お互いに言語の壁があり直接の意思疎通はできないが、かつて地球側が送ったメッセージをそのままオウム返しにして送ってくることこそが、奴らが選んだ「降伏」の唯一の意思表示だった。 


だが、G衝撃で血の気の引いた藤堂の思考は、冷酷な指揮官としての敵意に満ちていた。

事ここに至って、今更降伏だと?


『何を言わんとする! お前たちは俺たちとともに滅びるのだ!』 


藤堂は敵意を募らせ、その信号を完全に無視して肉弾特攻(ぶちかまし)の軌道を維持しようとした。

 

だが、その艦長の暴走を、本当の意味でへし折る者がいた。


――副艦長、美咲である。

『――機械知能。操艦権限、一時的に副長へ移行。突撃軌道を緊急修正、回頭シーケンスを開始しなさい』


『なっ、美咲!? 何をする!』


『落ち着きなさい、あなた!』 


美咲の、凛とした優等生の声が、藤堂の脳波を強引に押さえつけた。 

彼女は副長権限を行使し、操艦を司る中央機械知能に対し、人間の反射速度を遥かに超える神速の指示を脳波だけで素早く与えながら、電脳の奥で藤堂を真っ直ぐに見据えた。


これまでの日米の観測データの研究から、あのフィスプ(サクタン)は、軍事遠征用の純粋な戦闘艦ではなく、何らかの形で漂着・放浪している【民間船(避難船)】である可能性が極めて高いと研究結果が出ているのよ!


奴らが完全に戦意を損失し、交信のシグナルを上げているのなら

……私たちがここで犠牲になってまで、共倒れする理由なんてどこにもありませんわ!


『だが、奴をこのまま生かせば――』


『エンジンだけを破壊すればいい! 奴らの四肢をもぎ取って、その場に釘付けにすれば、地球の安全は完璧に確保されます!


――生きて還るのよ、マコト!!』 電脳空間という、精神が光速で交錯する世界で行われたこの夫婦の激烈な議論は、現実の時間にして、わずか【0・3秒】の出来事だった。 


だが、手綱を握る妻の圧倒的な正論と覚悟の前に、藤堂の脳波は

「……お前の勝ちだ、美咲!」と叫ぶしかなかった。 


美咲の命令を受理した中央機械知能は、衝突寸前の刹那、思考の指令通りに全外周スラスターを最大出力で一斉点火。60万トンの大天使二号艦の船体を、突撃軌道に対して完全に【直角に回頭】させるという、船体と乗組員の物理的な限界まで試す狂気的な緊急回避運動を敢行した。 

その、人間の肉体を想定していない猛烈な超急機動によって発生した、桁違いの瞬間的Gの暴力により、ブリッジの全システムが火花を散らした。 


武器担当の武藤大尉が脳内回路を遮断されて意識を失い、先任の如月大尉も一瞬で意識を喪失。

ブリッジクルーの全員が、その殺人的な重力の前に一瞬にして意識を失い、チェアーの中でぐったりと沈んだ。 

だが、その全滅のブリッジの中で、ただ一人――美咲副艦長だけは、辛うじて意識を保ち続けていた。 

彼女は、クルーの中で最も身長が低く、元々重力加速度に対する耐性に優れていた。

何より、あの半年間の保養所生活における「肉体改造の適正値」が、全訓練生の中でも最も高かったのが、この物理最強の妻だったのだ。 

彼女は手足ひとつ動かすことなく、ただ電脳のコンソールに全意識を集中させ、死に物狂いの脳波で操艦システムを叩き続けた。

 

直角に回頭し、上空へと抜ける動きをとった大天使二号艦。だが、その動きにより、二号艦はその無防備な側面から、サクタンの艦尾から放たれていた超高熱の【核パルスエンジンの噴射ガス】を、真横からまともに浴びる形となってしまった。 数百万度のプラズマガスが二号艦の耐放射線装甲を猛烈に焼き溶かし、それが強烈な減退・減速に繋がった。

だが、限界を超えて加速していた二号艦の凄まじい慣性の勢いは、それでは完全に殺しきれなかった。 


大天使二号艦は、そのままサクタンの巨体の直上へと文字通り滑り込み

――自らの無敵の武器である【艦尾プッシャープレート】を、サクタンの剥き出しのメインエンジンへと、へし折るように力任せに激突させながら、上空へと強引に駆け抜けていった。 


バキ、ベキベキベキ、ドゴォォォォォン!!!! 60万トンの金属塊が激トツした瞬間、サクタンの繊細で洗練されていた核パルスエンジンは、一瞬で外側から木っ端微塵に【圧壊】

サクタンを前進させていたすべての加速の脈動が、その瞬間に完全に停止した。 


そして、二号艦もまた、敵艦からの接触がなくなった時点を見計らい、メインエンジンを緊急停止。


美咲は、まだ気絶している藤堂やクルーたちのバイタルを確認しながら、電脳をフル稼働させ、宇宙空間での緊急回頭、再度エンジン点火、停止、回頭という、減速開始と神業めいた複雑極まる制動機動を、思考の波形だけで次々と執行していった。 


船体が静かに安定する。 


大天使二号艦は、メインエンジンを完全に破壊されて宇宙の孤児となった異星人の巨艦『サクタン』と、地球軌道上で静かに【並走】し先行するように離れていく。 


――これら一連の、地球の歴史を決定づけた神速の決断と操艦のすべては、藤堂をはじめとするブリッジクルーたちが、気絶から目覚める前の、わずか数分間の間に、美咲が一人で機械脳に行わせた奇跡の成果だった。 


やがて、対Gチェアーの中で最初に意識を取り戻した藤堂艦長は、歪む視界の中で、自らの大天使二号艦の現在の凄まじい有様を電脳モニターで確認し、愕然とした。 


今回のあまりにも無茶な緊急回頭と敵の噴射ガスの直撃により、大天使二号艦は、【船体の片側が無残に溶け落ち、焼けただれて内部のフレームが剥き出しになった、文字通りの満身創痍の姿】と化していた。 


だが、驚くべきことに、主要な電脳回路、主計室、そして推進システムの中枢は、何一つ機能を失っていなかった。これほど無残に破壊されながらも、未だに完全な操艦が可能であるという、大天使という宇宙船の持つ、執拗なまでに最後の希望として作られた船の『恐るべき冗長性(タフさ)』の前に、藤堂は戦慄するしかなかった。


『……あなた。目が覚めたのね』 隣の副艦長席で、少しだけ息を切らせながら、いつもの完璧な優等生スマイルを電脳内に送ってくる美咲の姿があった。


その顔には、限界のGを耐え抜いた証として、一筋の汗が美しく光っている。


直接手を動かすことも、声を出すこともなく、ただ互いの脳波を重ね合わせる。


『美咲……お前、一人でこれをやったのか?』


ええ、艦長(あなた)。敵のエンジンは完璧に圧壊させたわ。


……これで、私たちの完全な勝利よ 


藤堂は、愛おしさと、そして底知れない恐怖(前世はやっぱり鬼か戦神だと確信した)を込めながら、自らの命の手綱を無言で握り続けてくれた最高の妻に向けて、深く、静かに微笑み返すのだった。

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