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こわいしめんどくさいので、逃亡した件  作者: 雨宮ルネ(吉田)


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3/4


 一方のアーサーは――。

 戦地へ赴く少しのこと。数年ぶりに父のバークレー公爵に呼び出された。公爵邸に入ったのは数えるほどしかない。アーサーは公爵が用意した屋敷で、母と二人で暮らしていた。使用人も二人ほどの小さな屋敷だ。金だけは貰っていたが、ほぼ放置されていたのだ。

 母はとある子爵家の娘で、行儀見習いとして公爵家へ勤めていたのだった。母は人目を引くような可憐な娘だったから、公爵の目に留まり、早々にお手付きとなった。公爵自身も美丈夫だったから、アーサーは納得のハイブリットである。

 ただ母はそれほど愛情をかけてもらったわけではなかったらしい。アーサーが産まれてからは、めっきり疎遠になったという。


 そんな公爵が呼びだした理由とは?

「縁談の申し込みが来ている」

 公爵は開口一番そう言った。久しぶりの親子の対面なんて感傷は持ち合わせていないらしい。

「はあ?」

 今さらである。

「婚約者ならすでにおります」

 そう言い返したら、公爵はぎろりとアーサーを見やった。

「聞いておらんぞ」

「言う必要がありましたか」

 公爵はしばらくムッとしていたけれど、やがて「ふうっ」とため息を吐いた。

「相手はサイラス伯爵家の娘、ジェシカ嬢だ。すでに決まったことだ。異論は聞かない」


「はあっ⁉ 嫌ですよ。なんですか、急に。こちらが先です」

 アーサーも声を荒げる。公爵の眉間のシワがぎゅっと深くなった。

「どこの誰だ」

 言ったら、絶対面倒なことになる。アーサーはそう思った。

「あなたに関係ありません。そちらは断っておいてください」

 アーサーはそう言い置いて、とっとと帰ってきたのだが。


 それ以降、件のジェシカ嬢とやらが婚約者面して付き纏うようになったのだ。

「アーサー様ぁ」

 行く先々にいそいそと現れる。隙あらば触ろうとする。甘ったれた声に鳥肌が立つ。上目遣いが死ぬほど気持ち悪い。

 こいつは裏表のある人間だ。すぐにわかった。アーサーの前では殊勝なふりをしているが、自分より下の者には横柄だ。権力をかさに着た高慢ちきな娘。


 公爵家からもジェシカとの婚約を進めると通達があった。こっちの婚約リリーのことはこちらで手切れ金を用意するとも言ってきた。

 いやふざけるな。

 ここまで執着するからにはなにか理由があるに違いない。そう思って調べてみた。サイラス伯爵家というのは資産家である。貿易業の王国内の最大手だ。超富裕層。

 ジェシカは一人娘で、アーサーを婿に望んだのは彼女だった。

 名指しをされた。たぶんどこかで目を付けられたのだ。社交界には出ていないから、医局でなのだろう。自分が診察に来たのか、あるいは誰かの見舞いに来たのか。

 見たところ、ずいぶんと元気そうだったが。というか、あり余っている。なにか他で使えばいいのに。

 どうもアーサーの婿入りに際して、多額の支度金が用意されたようだ。


 なんだ、金目当てか。おれは売られるのか。そんなことに使われたくないから、医者になって独立したかったのに。

 なんてタイミングの悪い。

 さらに悪いことに紛争が起きてしまい、王国軍に同行することになった。これは医者であれば当然のこと。


 行く前に、きっちりけじめをつけなくては。

 公爵抜きで、サイラス伯爵に面会を求めた。そこではっきりとこの結婚は断ると告げた。伯爵は「ふむ」と曖昧な返事をしただけだった。

 帰り際ジェシカが飛びつく勢いでやって来たが、すいっと身をかわした。いちいち飛びつかれてはたまったものじゃない。というか、令嬢としてどうなんだ。はしたなくないのか。ついでにじろりと横目で睨んでやったら、ビクついていた。

 そのまま、引っ込んでろ。

 心の中で叫んで帰ってきた。

 リリーのことは言わなかったから、手出しはされまいと油断したのだ。




 おかしい。

 戦地に出向いて二週間。リリーからの手紙が届かない。

「手紙を書くからね」

 って、あんなにかわいく言ったのに。

 他の手紙は来ているのだ。医局からの業務連絡とか、母とか友人とか。

 バークレー公爵からも一度来た。あの鬱陶しい女からも来る。断ったのになんなのだ。 開けもせずゴミ箱行きだ。

 こちらから送った手紙は届いているのだろうか。忙しい中時間を割いて、毎日送っているのに。

 まさかとは思うが、やつらが何かしらの操作をしているんじゃないだろうな?


 週に一度、王都から戦地に物資が届く。その時に個人あての手紙が一緒に届くのだが。

 仕分けしてくれる係のところへ行ってみる。

「仕分けから漏れた手紙ってあるかな?」

「いいえ。きっちりとお届けしていますよ」

 ちょっとムッとされた。疑っているわけじゃないのだが、申し訳ない。

「では、こちらから送った手紙はちゃんと届いているんだよね」

「もちろんです」

 ますますムッとされた。申し訳ない。


 だとしたら、問題があるのはやはり向こうだ。友人を頼って調べてもらうと、案の定だった。そもそも物資の配送を担当しているのは、軍ではなくてサイラス伯爵の業者だった。ならばリリーへの手紙も、リリーからの手紙ももみ消しているに違いない。

 しかも、あの女が自分の正式な婚約者で、リリーは略奪したどろぼうだと噂が出回っているという。

 なんてことだ! こうしてはいられない。はやく行ってリリーを助けなければ!


 そうは言っても交代の医者を手配しなくてはならない。緊急で医局に連絡を取り、交代要員を送ってもらった。彼の到着を待って、入れ違いに王都へと戻った。

 その間およそ二週間。リリーはだいじょうぶだろうか。ひどい目に合っていないだろうか。まさか暴力を受けてはいないだろうな。気持ちは千々に乱れた。

 駅馬車を乗り継ぎ乗り継ぎ、やっとの思いで王都へ着いた。


 まっさきに薬局へ向かった。埃まみれ汗まみれ、ついでに無精ひげの旅装のままである。薬局へ飛び込むと、一斉に目を向けられた。それから、不自然に目を逸らされた。リリーの姿はない。

 おかしい!

「リリー、じゃなくてハワードさんは」

 自然と声が低くなる。誰も答えなかった。

「リリーはどこだ!」

 怒鳴りつけると、ようやく彼女の上司が立ちあがった。

「ハワードさんは辞めました」

 なんてことだ!

「なぜ、と聞くまでではないよな。だいたい想像はついている」

 アーサーは、強く唇を噛んだ。

「薬草の配送を止められたんですよ。薬が作れなくなって、それでハワードさんは自主的に辞めたんです。どうしようもなかった」

 言い訳がましく彼は言った。

「被害者面をするな」

 アーサーがそう言ったら、彼はひどく気まずそうにうつむいた。

「リリーを見捨てたくせに。被害者はリリーだ」


 アーサーは背を向けると走り出した。ここにいないのならば自宅だ。廊下を走ってエントランスホールへ出たところで。

「アーサー様ぁ」

 おぞましい声に呼び止められた。無視しようかとも思ったが、元凶であるこいつは成敗しなければならない。ならばここでしてしまおう。また会うなんてまっぴらごめんだ。

 立ち止ると、何を勘違いしたのか、彼女は喜び勇んで小走りにやって来た。「アーサー様、お帰りだったのですね。言ってくださればお迎えに上がりましたのに」

 ムカつく婚約者面。そう言うことはリリーに言ってほしかった。手が届くほどに近づいた彼女に、アーサー手を伸ばした。


 がしっ!

「きゃっ⁉」

 きれいに結った髪の毛を、頭頂部でむんずと掴んだ。油かなにかでメトメトする。ぎゅうっと力任せにつかみ上げた。

「ア、アーサー様っ⁉ 痛い、痛いですわ」

 手の中でメリメリと音がする。

「きゃあっ! 放して、アーサー様っ!」

「貴様っ! お嬢様を放せ!」

 護衛があわてて、アーサーの腕を掴もうとした。アーサーはそれを避けるようにジェシカごと横に振った。ぎゃっと彼女が叫ぶ。

「無理に引き離そうとすれば、髪の毛がごっそりと抜け落ちるぞ」

 ひいぃーっ! とジェシカが叫んだ。まったく「きゃあ」だの「ぎゃあ」だのうるさいヤツだ。


 アーサーはジェシカをのぞき込んだ。

「さて、貴様。リリーになにをした?」

「えっ、いえっ、わたくしはなにもっ」

 ジェシカはウルウルと見上げた。この期に及んでまだぶりっ子をするか!

「嘘を吐くな! おれは貴様の婚約者になったことはないぞ。それを、まるでリリーが悪いように言いやがって」

 言いながら、ぎりぎりと掴む手に力を加える。ジェシカは、ひいひいと泣き声をあげた。ぶちぶちと髪の毛が抜ける音がした。それでもアーサーは力を緩めない。

「いいか。おれの婚約者はリリーだ。わかったか」

「は、はいー」


「リピートアフターミー。アーサーの愛する婚約者はリリーです。はいっ」

「ア、アーサーのっ、あ、愛する……」

 ふげぇー、とジェシカは泣き出した。

「ほら、ちゃんと最後まで言え!」

 アーサーは掴んだ手をぶんぶんと振った。ジェシカがぎゃあっと叫んだ。

「アーサーのっ、あああ愛するっ、こここ婚約者はっ、リリリリリーですっ」

「リリーは悪くありません。はいっ」

「リリリ、リリーは、わ、悪く、ありません」

「わたしが嘘をつきました。はいっ」

「わわわわたしが、ううう嘘を、つつつつきました」

「よし! わかったな!」

「はひい。ごめんなさいぃー」

「家に帰ったら金満オヤジにもちゃんと言っておけ! 金輪際、おれたちに付き纏うなよ!」

 アーサーは、ジェシカを放り投げた。彼女は転げてどすんと尻もちをついた。護衛と侍女が「お嬢様っ」と駈け寄った。ジェシカはみっともなく「うえーん」と大声で泣き出した。せっかく整えただあろう髪はぐしゃぐしゃ。涙と鼻水で顔はどろどろ。

 高慢令嬢も形無しだな! ざまあみろ。

 ふんっと鼻で笑って、アーサーは外へ駆けだしたのだった。


 ここにいないのならば家だ。

 アーサーは乗合馬車を待つのももどかしく、リリーの家に向かって走り出した。

 ドロドロのボサボサのアーサーの急襲に、リリーの母はぎょっとした。

「リ、リリーは」

 息を切らしてそう言ったアーサーに対して、母は冷たかった。

「今さらなんですの?」

「申し訳ありませんでした。すべてはサイラス伯爵の仕業でした」

 アーサーは頭を下げた。

「そんなことだろうと思いましたよ」

 リリーの母はすげなく言った。

「なんであれ、リリーはもういません」

 いないとは。薬局も辞めて、いったいどこへ。アーサーは崩れそうになる膝を必死で支えた。

「どこに行ったのか、わたくしどもにもわかりません。なにも言わず出て行ったきりなのです」

「そ、そんな……」

 アーサーはとうとう膝をついてしまった。




 結局父と兄の出向はなくなり、元の通り宮廷勤めを続けている。何があったのかはだいたい想像できた。なぜうちの娘が。とアーサーを恨みたかったが、それも違うのは理屈では理解した。それでもやっぱり、こいつさえいなかったら、と思う気持ちはなくならない。

 リリーの行方も父と母は手を尽くして探した。北部へ向かう駅馬車に乗ったことは掴んだ。兄が直接出向いて、足取りをたどって、北部の国境に近い田舎町で薬屋を営んでいることを突き止めた。

 連れ戻すべきか、否か。

 サイラス伯爵とその娘がのさばる王都へ連れ戻しても、リリーは肩身の狭い思いをするだけである。それはかわいそうだ。

 居場所はわかったのだし、しばらく様子を見ようと一家は決断したのだった。


 だからといって、今更のこのことやって来たアーサーに教えてやる気はない。

「王都にはいないようですよ」

 それだけ言って、たたき出した。少しは大変な思いをしやがれ。略奪女だの泥棒猫だのあばずれだの、娘を散々悪く言われた親の気持ちを察しやがれ。


 たたき出されたアーサーは、とぼとぼと宿舎へ戻ると、部屋に閉じこもった。もう半べそである。

 どうしよう。

 もしかして攫われたとか。盗賊に襲われて殺されたとか。もうほかにいい人を見つけて結婚してしまったとか。

 最悪の事態ばかりが、頭の中をぐるぐると駆け巡る。

「わあぁぁぁ――‼」

 訳が分からなくなって絶叫、のち放心。


 やがて帰宅してきた同僚たちに世話を焼かれ、翌日になってようやく我に返ったのだった。


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まぁリリー一家は完全に被害者だわな
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