3
一方のアーサーは――。
戦地へ赴く少しのこと。数年ぶりに父のバークレー公爵に呼び出された。公爵邸に入ったのは数えるほどしかない。アーサーは公爵が用意した屋敷で、母と二人で暮らしていた。使用人も二人ほどの小さな屋敷だ。金だけは貰っていたが、ほぼ放置されていたのだ。
母はとある子爵家の娘で、行儀見習いとして公爵家へ勤めていたのだった。母は人目を引くような可憐な娘だったから、公爵の目に留まり、早々にお手付きとなった。公爵自身も美丈夫だったから、アーサーは納得のハイブリットである。
ただ母はそれほど愛情をかけてもらったわけではなかったらしい。アーサーが産まれてからは、めっきり疎遠になったという。
そんな公爵が呼びだした理由とは?
「縁談の申し込みが来ている」
公爵は開口一番そう言った。久しぶりの親子の対面なんて感傷は持ち合わせていないらしい。
「はあ?」
今さらである。
「婚約者ならすでにおります」
そう言い返したら、公爵はぎろりとアーサーを見やった。
「聞いておらんぞ」
「言う必要がありましたか」
公爵はしばらくムッとしていたけれど、やがて「ふうっ」とため息を吐いた。
「相手はサイラス伯爵家の娘、ジェシカ嬢だ。すでに決まったことだ。異論は聞かない」
「はあっ⁉ 嫌ですよ。なんですか、急に。こちらが先です」
アーサーも声を荒げる。公爵の眉間のシワがぎゅっと深くなった。
「どこの誰だ」
言ったら、絶対面倒なことになる。アーサーはそう思った。
「あなたに関係ありません。そちらは断っておいてください」
アーサーはそう言い置いて、とっとと帰ってきたのだが。
それ以降、件のジェシカ嬢とやらが婚約者面して付き纏うようになったのだ。
「アーサー様ぁ」
行く先々にいそいそと現れる。隙あらば触ろうとする。甘ったれた声に鳥肌が立つ。上目遣いが死ぬほど気持ち悪い。
こいつは裏表のある人間だ。すぐにわかった。アーサーの前では殊勝なふりをしているが、自分より下の者には横柄だ。権力をかさに着た高慢ちきな娘。
公爵家からもジェシカとの婚約を進めると通達があった。こっちの婚約はこちらで手切れ金を用意するとも言ってきた。
いやふざけるな。
ここまで執着するからにはなにか理由があるに違いない。そう思って調べてみた。サイラス伯爵家というのは資産家である。貿易業の王国内の最大手だ。超富裕層。
ジェシカは一人娘で、アーサーを婿に望んだのは彼女だった。
名指しをされた。たぶんどこかで目を付けられたのだ。社交界には出ていないから、医局でなのだろう。自分が診察に来たのか、あるいは誰かの見舞いに来たのか。
見たところ、ずいぶんと元気そうだったが。というか、あり余っている。なにか他で使えばいいのに。
どうもアーサーの婿入りに際して、多額の支度金が用意されたようだ。
なんだ、金目当てか。おれは売られるのか。そんなことに使われたくないから、医者になって独立したかったのに。
なんてタイミングの悪い。
さらに悪いことに紛争が起きてしまい、王国軍に同行することになった。これは医者であれば当然のこと。
行く前に、きっちりけじめをつけなくては。
公爵抜きで、サイラス伯爵に面会を求めた。そこではっきりとこの結婚は断ると告げた。伯爵は「ふむ」と曖昧な返事をしただけだった。
帰り際ジェシカが飛びつく勢いでやって来たが、すいっと身をかわした。いちいち飛びつかれてはたまったものじゃない。というか、令嬢としてどうなんだ。はしたなくないのか。ついでにじろりと横目で睨んでやったら、ビクついていた。
そのまま、引っ込んでろ。
心の中で叫んで帰ってきた。
リリーのことは言わなかったから、手出しはされまいと油断したのだ。
おかしい。
戦地に出向いて二週間。リリーからの手紙が届かない。
「手紙を書くからね」
って、あんなにかわいく言ったのに。
他の手紙は来ているのだ。医局からの業務連絡とか、母とか友人とか。
バークレー公爵からも一度来た。あの鬱陶しい女からも来る。断ったのになんなのだ。 開けもせずゴミ箱行きだ。
こちらから送った手紙は届いているのだろうか。忙しい中時間を割いて、毎日送っているのに。
まさかとは思うが、やつらが何かしらの操作をしているんじゃないだろうな?
週に一度、王都から戦地に物資が届く。その時に個人あての手紙が一緒に届くのだが。
仕分けしてくれる係のところへ行ってみる。
「仕分けから漏れた手紙ってあるかな?」
「いいえ。きっちりとお届けしていますよ」
ちょっとムッとされた。疑っているわけじゃないのだが、申し訳ない。
「では、こちらから送った手紙はちゃんと届いているんだよね」
「もちろんです」
ますますムッとされた。申し訳ない。
だとしたら、問題があるのはやはり向こうだ。友人を頼って調べてもらうと、案の定だった。そもそも物資の配送を担当しているのは、軍ではなくてサイラス伯爵の業者だった。ならばリリーへの手紙も、リリーからの手紙ももみ消しているに違いない。
しかも、あの女が自分の正式な婚約者で、リリーは略奪したどろぼうだと噂が出回っているという。
なんてことだ! こうしてはいられない。はやく行ってリリーを助けなければ!
そうは言っても交代の医者を手配しなくてはならない。緊急で医局に連絡を取り、交代要員を送ってもらった。彼の到着を待って、入れ違いに王都へと戻った。
その間およそ二週間。リリーはだいじょうぶだろうか。ひどい目に合っていないだろうか。まさか暴力を受けてはいないだろうな。気持ちは千々に乱れた。
駅馬車を乗り継ぎ乗り継ぎ、やっとの思いで王都へ着いた。
まっさきに薬局へ向かった。埃まみれ汗まみれ、ついでに無精ひげの旅装のままである。薬局へ飛び込むと、一斉に目を向けられた。それから、不自然に目を逸らされた。リリーの姿はない。
おかしい!
「リリー、じゃなくてハワードさんは」
自然と声が低くなる。誰も答えなかった。
「リリーはどこだ!」
怒鳴りつけると、ようやく彼女の上司が立ちあがった。
「ハワードさんは辞めました」
なんてことだ!
「なぜ、と聞くまでではないよな。だいたい想像はついている」
アーサーは、強く唇を噛んだ。
「薬草の配送を止められたんですよ。薬が作れなくなって、それでハワードさんは自主的に辞めたんです。どうしようもなかった」
言い訳がましく彼は言った。
「被害者面をするな」
アーサーがそう言ったら、彼はひどく気まずそうにうつむいた。
「リリーを見捨てたくせに。被害者はリリーだ」
アーサーは背を向けると走り出した。ここにいないのならば自宅だ。廊下を走ってエントランスホールへ出たところで。
「アーサー様ぁ」
おぞましい声に呼び止められた。無視しようかとも思ったが、元凶であるこいつは成敗しなければならない。ならばここでしてしまおう。また会うなんてまっぴらごめんだ。
立ち止ると、何を勘違いしたのか、彼女は喜び勇んで小走りにやって来た。「アーサー様、お帰りだったのですね。言ってくださればお迎えに上がりましたのに」
ムカつく婚約者面。そう言うことはリリーに言ってほしかった。手が届くほどに近づいた彼女に、アーサー手を伸ばした。
がしっ!
「きゃっ⁉」
きれいに結った髪の毛を、頭頂部でむんずと掴んだ。油かなにかでメトメトする。ぎゅうっと力任せにつかみ上げた。
「ア、アーサー様っ⁉ 痛い、痛いですわ」
手の中でメリメリと音がする。
「きゃあっ! 放して、アーサー様っ!」
「貴様っ! お嬢様を放せ!」
護衛があわてて、アーサーの腕を掴もうとした。アーサーはそれを避けるようにジェシカごと横に振った。ぎゃっと彼女が叫ぶ。
「無理に引き離そうとすれば、髪の毛がごっそりと抜け落ちるぞ」
ひいぃーっ! とジェシカが叫んだ。まったく「きゃあ」だの「ぎゃあ」だのうるさいヤツだ。
アーサーはジェシカをのぞき込んだ。
「さて、貴様。リリーになにをした?」
「えっ、いえっ、わたくしはなにもっ」
ジェシカはウルウルと見上げた。この期に及んでまだぶりっ子をするか!
「嘘を吐くな! おれは貴様の婚約者になったことはないぞ。それを、まるでリリーが悪いように言いやがって」
言いながら、ぎりぎりと掴む手に力を加える。ジェシカは、ひいひいと泣き声をあげた。ぶちぶちと髪の毛が抜ける音がした。それでもアーサーは力を緩めない。
「いいか。おれの婚約者はリリーだ。わかったか」
「は、はいー」
「リピートアフターミー。アーサーの愛する婚約者はリリーです。はいっ」
「ア、アーサーのっ、あ、愛する……」
ふげぇー、とジェシカは泣き出した。
「ほら、ちゃんと最後まで言え!」
アーサーは掴んだ手をぶんぶんと振った。ジェシカがぎゃあっと叫んだ。
「アーサーのっ、あああ愛するっ、こここ婚約者はっ、リリリリリーですっ」
「リリーは悪くありません。はいっ」
「リリリ、リリーは、わ、悪く、ありません」
「わたしが嘘をつきました。はいっ」
「わわわわたしが、ううう嘘を、つつつつきました」
「よし! わかったな!」
「はひい。ごめんなさいぃー」
「家に帰ったら金満オヤジにもちゃんと言っておけ! 金輪際、おれたちに付き纏うなよ!」
アーサーは、ジェシカを放り投げた。彼女は転げてどすんと尻もちをついた。護衛と侍女が「お嬢様っ」と駈け寄った。ジェシカはみっともなく「うえーん」と大声で泣き出した。せっかく整えただあろう髪はぐしゃぐしゃ。涙と鼻水で顔はどろどろ。
高慢令嬢も形無しだな! ざまあみろ。
ふんっと鼻で笑って、アーサーは外へ駆けだしたのだった。
ここにいないのならば家だ。
アーサーは乗合馬車を待つのももどかしく、リリーの家に向かって走り出した。
ドロドロのボサボサのアーサーの急襲に、リリーの母はぎょっとした。
「リ、リリーは」
息を切らしてそう言ったアーサーに対して、母は冷たかった。
「今さらなんですの?」
「申し訳ありませんでした。すべてはサイラス伯爵の仕業でした」
アーサーは頭を下げた。
「そんなことだろうと思いましたよ」
リリーの母はすげなく言った。
「なんであれ、リリーはもういません」
いないとは。薬局も辞めて、いったいどこへ。アーサーは崩れそうになる膝を必死で支えた。
「どこに行ったのか、わたくしどもにもわかりません。なにも言わず出て行ったきりなのです」
「そ、そんな……」
アーサーはとうとう膝をついてしまった。
結局父と兄の出向はなくなり、元の通り宮廷勤めを続けている。何があったのかはだいたい想像できた。なぜうちの娘が。とアーサーを恨みたかったが、それも違うのは理屈では理解した。それでもやっぱり、こいつさえいなかったら、と思う気持ちはなくならない。
リリーの行方も父と母は手を尽くして探した。北部へ向かう駅馬車に乗ったことは掴んだ。兄が直接出向いて、足取りをたどって、北部の国境に近い田舎町で薬屋を営んでいることを突き止めた。
連れ戻すべきか、否か。
サイラス伯爵とその娘がのさばる王都へ連れ戻しても、リリーは肩身の狭い思いをするだけである。それはかわいそうだ。
居場所はわかったのだし、しばらく様子を見ようと一家は決断したのだった。
だからといって、今更のこのことやって来たアーサーに教えてやる気はない。
「王都にはいないようですよ」
それだけ言って、たたき出した。少しは大変な思いをしやがれ。略奪女だの泥棒猫だのあばずれだの、娘を散々悪く言われた親の気持ちを察しやがれ。
たたき出されたアーサーは、とぼとぼと宿舎へ戻ると、部屋に閉じこもった。もう半べそである。
どうしよう。
もしかして攫われたとか。盗賊に襲われて殺されたとか。もうほかにいい人を見つけて結婚してしまったとか。
最悪の事態ばかりが、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「わあぁぁぁ――‼」
訳が分からなくなって絶叫、のち放心。
やがて帰宅してきた同僚たちに世話を焼かれ、翌日になってようやく我に返ったのだった。




