第17話 返しに行く準備
小説フリマの存在を知ったのは、レナからだった。
「来月、小説フリマあるけど知ってる?」
「名前は知ってる。行ったことはない」
「まる助さん、出るっぽいよ。活動報告に書いてた」
心臓が一回跳ねた。
師匠が出る。小説フリマに。スペースを取って、本を並べて、そこにいる。
つまり、会える。
画面越しではなく、直接。
まる助の活動報告を確認した。確かに書いてあった。「小説フリマ、スペースいただきました。新刊はたぶん間に合います。」淡々とした報告。いつもの師匠の温度だった。
行くかどうか、という問いは一瞬で消えた。行く。それは決まっている。問題はその先だった。
何を返しに行くのか。
ノートを開いた。師匠に会ったら伝えたいことを書き出した。
「作品に救われたこと」
書いた。
「あの本命作が自分の始まりだったこと」
書いた。
「教わったことが、今の自分に全部つながっていること」
書いた。
「読まれにくいかもしれないけど、師匠の作品はすごいこと」
書いて、止まった。これは地雷だ。消した。
「自分の人気は師匠の教えの結果でもあること」
書いて、また止まった。これも重い。表現を変えた。
「師匠の教えがなければ、今の自分はないこと」
変えても重かった。
「感謝」
一文字で済ませてみた。雑すぎた。
三十分後、ノートの見開きが埋まっていた。
伝えたいことが多すぎる。何を先に言うか。何を後に回すか。何を言葉にして、何は態度で見せるか。全部考え始めたら終わらなかった。
あかりにノートを見せた。
「推し活じゃん」
「違う」
「差し入れリスト作ってるじゃん」
「……それは、会場で渡すものだから」
否定できなかった。差し入れの中身を考えて、紙袋の色を考えて、メッセージカードを添えるかどうかで迷って。動きだけ見れば、確かにそうだった。
服装まで考え始めた。普段着でいいのか。少しちゃんとした方がいいのか。初対面なのだから、第一印象は大事だ。でもかしこまりすぎると逆に怖い。あかりに相談したら「普通でいいよ」と言われた。普通が分からなかった。
自分の本を持っていくかどうかで、少し迷った。
レナに勧められて、七瀬ユイ名義の連載分を少部数だけ紙にしていた。手元に十冊だけある。押し付けがましいかもしれない。読まれてる側が読まれてない側に本を差し出すのは、また地雷かもしれない。
でも、画面越しでは届かなかったものを渡しに行くなら、言葉だけでなく、形のあるものも一緒に渡したい気がした。鞄の底に一冊だけ入れた。渡すかどうかは、会ってから決める。
話す順番を考えた。まず挨拶。次に本を買う。それから差し入れを渡す。そのあとで、伝えたいことを言う。
でも何からでも、何から言えばいいのか。
「ファンです」は違う。
「弟子です」は向こうが認めていない。
「救われました」は一言目には重い。
言うことメモが三枚目に入った。
あかりが呆れた顔で言った。
「メモ見ながら話すの?」
「まさか。暗記する」
「余計怖い」
笑えたけれど、本気だった。この人の前で、適当なことは言いたくなかった。
夜、ノートを閉じた。
メモは増え続けていた。伝えたいことが減らない。差し入れの候補も決まらない。服装も決まらない。話す順番も決まらない。何も決まっていなかった。
でも、一つだけ決まっていることがあった。
私は「会いに行く」のではない。「返しに行く」のだ。
何を返すのかは、まだ完全には言葉にならない。でも、画面越しでは届かなかったものを、直接渡しに行く。それだけは分かっていた。
感謝なのか、敬意なのか、それとも「あなたの作品が私の始まりだった」という事実なのか。全部かもしれない。全部をうまく言えないかもしれない。
でも、行く。
逃げずに行く。




