第13話 どうすればいいかは分からない
送ってしまった「おかげです」と「書けません」の近況報告には、丸一日経っても返信が来なかった。いつもなら早ければその日、遅くとも翌日には返ってくる。静かだった。
待つ時間に耐えきれなくなって、私は過去のメッセージを全部並べた。
PCの画面に、まる助とのやりとりを時系列で開いた。最初の感想。返信。報告。返信。神作メッセージ。返信。控えめな近況。返信。禁止事項だらけの文面。返信。
全部並べると、見えるものがある。
最初の返信は体温があった。「読んでますね。理屈も通っています。」短いけど、こちらの言葉を受けて返している感触があった。
途中から変わった。どこからかは正確に分からない。でも、内容は正しい。言葉は誠実だ。なのに、考えてから書いている文になっている。感情を一度畳んでから外に出している温度が、並べるとはっきり浮かんだ。
「この回から固い」
画面に向かって呟いた。メッセージ履歴に付箋を貼りたかった。物理的にはできないので、ノートに日付と文面の特徴を書き出した。
自分でも分かっている。これは小説を読むやり方だ。文体の変化から書き手の状態を推測する。活動報告の三年分を読んだときと同じことを、師匠の返信に対してやっている。
普通に怖い行為だ。でも止められなかった。
昼休み、大学の中庭のベンチであかりに話した。
「師匠のメッセージ、全部並べてみた」
「並べた」
「句点の数と文の長さの変化を追った」
「それはもう、ちょっとした研究だよね」
「いや、でも分かるんだよ。変わってるの。最初の頃と今で、明らかに文体が違う」
あかりはしばらく黙って、それから言った。
「あんた、その人のこと好きすぎるんだよ」
一瞬止まった。
「違うし」
「違わないよ。だいぶ重いよ」
「敬意です」
「重い敬意」
否定しきれなかった。恋愛の話ではない。それは確かだ。でも、この人の作品に救われて、この人の言葉で書き始めて、この人に認められたくて、この人を喜ばせたくて。その全部の総量が、たぶん普通ではない。
「好きすぎるから、文章の温度まで読んじゃうんだよ。普通の人はメッセージの句点の数なんて数えない」
その通りだった。
「で、どうしたいの」
「分からない。分からないから困ってる」
あかりは足を組み直して、空を見た。
「あんたは人気が出たことに困ってるんじゃないよね」
「うん」
「書けるようになったことにも困ってないよね」
「うん。書くのは楽しい。やめたくない」
「じゃあ何に困ってるの」
「師匠の前で、どう立ってればいいか分からない」
言葉にしたら、少し形が見えた。
人気が出たこと自体は問題ではない。書けるようになったことも問題ではない。読者が増えたことも、ランキングに入ったことも、全部うれしい。全部本当だ。
問題は、その全部を師匠の前にどう置けばいいか分からないことだった。
師匠は私より長く書いている。私より深い作品を持っている。私より本気で向き合っている。なのに数字は私の方が大きい。
その現実を前にして、「うれしいです」とも「すごいですね師匠」とも言えなくなっている。何を言っても事故る。何を控えても届かない。
でも、その問い自体が少し違うのかもしれない。
師匠の前に置く、という考え方が、もう近すぎる。私は師匠に数字を見せたいわけではない。褒めて安心させたいだけでもない。受け取ったものを、受け取ったときの形のまま返そうとしているから苦しくなるのだと思った。
帰り道、一人で歩きながら考えた。
受け取ったものは大きい。師匠の作品に救われた。師匠の言葉で書き始めた。師匠の理屈で読者に届いた。その全部を、この人に返したい。感謝を伝えたい。すごさを伝えたい。
でも「すごい」と言っても事故る。「おかげです」と言っても重い。「神作です」と言っても地雷になる。画面の上で言葉を選んでも選んでも、師匠の返信は少しずつ固くなっていく。
自分の方が読まれることと、受け取ったものを返すことは、たぶん別なのだと思った。まだはっきりとは分からない。でも、数字を見せることが返すことではないし、言葉で褒めることが返すことでもない。
返すなら、形を変える必要がある。
師匠の作品を読んだ私が書いたもの。師匠の言葉で踏み出した私が、読者に届くように作ったもの。そういうものとして返さないと、たぶん届かない。
じゃあ何を返せばいいのか。どうやって返せばいいのか。
分からなかった。
自室に戻って、PCの前に座った。メッセージ画面が開いたままだった。まる助の最新の返信が表示されている。整った文。正しい言葉。畳まれた感情。
このまま画面越しに何かを送っても、たぶん届かない。
言葉を選んでも、禁止事項を増やしても、控えめにしても、変わらない。画面の上でできることの限界が、少しずつ見え始めていた。
喜ばせるための言葉ではなく、受け取ったものが自分の中でどう変わったかを渡す方法が必要だった。
まだ、どうすればいいかは分からない。でも、返信文を直し続ける場所からは、もう出なければならない気がした。




